諦めずに挑戦した
誰もがサッカーをできる環境づくり

神奈川県で教員として働いていた鏡さんは、「『挑戦する姿』を生徒に見せたい」「人としての成長がしたい」と協力隊に参加。エチオピアでサッカーレベルの向上のため、サッカーの指導者としてユース年代のサッカー技術向上に取り組んだ。

鏡 修平さん
(エチオピア・サッカー・2016年度1次隊)




[鏡さんのプロフィール]
1985年生まれ、神奈川県出身。法政大学を卒業したのち、相模原市内の中学校に数学科の教諭として6年間勤務。2016年6月、協力隊員としてエチオピアに赴任。2018年6月に帰国。現在は、元の勤務校に数学科の教諭として復帰。サッカーは6歳からはじめ、指導歴は15年。

[活動概要]
配属先:エチオピアサッカー連盟
主な活動:エチオピアのサッカーレベル向上を目指し、ユース年代の強化のため主に以下の活動を行う。
●草の根レベルでのサッカー普及活動…エチオピア国内の小学校(首都12校、地方7校)で「Eプロジェクト(サッカー教室、暴力根絶活動)」を実施。
●U17とU20代表の強化…代表合宿に参加し、チームをサポート。

鏡さんの関係人物

[元カウンターパート(CP)・上司]
マコネンさん(配属先の偉い人):1年目のCP。私の活動を一番近くで応援してくれた恩人。
[CP]
デレセさん(配属先スタッフ):2年目からのCP。最終日に「さよならは言わない。また会いましょう」と言ってくれた。
[同僚]
アトナフさん(U17、U20の監督):最初からとても好意的で、意見をいつも求めてくれた。
[同僚]
サラムさん(配属先スタッフ):私に現地語を教えてくれ、活動のヒントをくれた。
[先輩隊員]
小山哲ノ介さん(陸上隊員):首都で一緒に活動(DREAMプロジェクト)を始めた仲間。
[同期隊員]
山田廣輝さん(バドミントン隊員):活動を手伝ってくれた仲間。彼のサポートにいつも助けられた。
[同期隊員]
新地弘太郎さん(体育隊員):地方でのサッカー教室をサポートしてくれた。彼なくして教室の実現はあり得なかった。
[後輩隊員]
サッカー分科会のメンバー:一緒にサッカー分科会を立ち上げ、Eプロジェクトを地方都市で行った仲間。

鏡さんの活動

自身が企画したスポーツ教室で子どもたちにサッカーを教える鏡さん

 エチオピアの首都アディスアベバにあるエチオピアサッカー連盟に配属された鏡さん。サッカーの指導者として、ユース選手の育成などを求められ、着任早々、U17エチオピア代表の合宿に合流した。しかし、試合が終わったあと同僚に「しばらく代表の活動はないから、ゆっくりしていて」と伝えられる。「どれくらい?」と鏡さんが聞くと、「1年半は予定がない」とのこと。当時について鏡さんは「最大の困難だった。私の活動はもう終わりを迎えたのかと絶望を感じたのを覚えています」と語る。
 このままではいけないと、エチオピアのサッカー強化のために必要なことをまとめ、計画書を作成しようと考えていたとき、配属先スタッフのサラムさんから「子どもと女性に焦点を当てた活動をしてほしい」と話しかけられた。詳しく聞くと「エチオピアでは、女性には我慢が強いられる風習があり、また子どもたちはお金を払えないから、誰もサッカーをする環境づくりをしない」という。
 この助言を基に考え出したのが「グラスルーツ(草の根レベル)での普及活動」だ。首都のサッカー教室で女の子だけのサッカー教室を、地方ではできるだけたくさんの子どもたちとサッカーをする「地方サッカー普及活動」の計画を作成した。これをカウンターパートに相談したところ、「協力隊員のお前だからできることだ、ぜひやってくれ」と言われ、空白になりそうだった1年半に活動を生み出し、困難を乗り越えることができた。
 その計画通り、同国に派遣されている隊員仲間たちの力を借り、配属されて2カ月目に、最初のスポーツ教室を開催。その後も、首都と地方で教室を開催し、任期終了までに合計3000人以上の子どもたちに参加してもらえたそうだ。

「経験」「時間」「仲間」は私の財産

 鏡さんは、協力隊に参加して、日本では得られない財産を手に入れたと振り返る。1つ目は「経験」だ。アフリカで暮らすことで、生活習慣を肌で感じ、特に手を使って食べることやグルシャといって相手に食べさせる文化に戸惑ったのも日本ではできない経験だった。また、言葉の壁などを感じたのも貴重な経験だった。
 2つ目は「時間」。隊員たちと苦楽をともにした時間や、活動が停滞した時期に自分を高めるため、語学やサッカーの勉強、ギターの練習、読書、映画鑑賞の時間を持てたことで、次の活動や新しい発想につながることも知った。
 3つ目の「仲間」は派遣前に二本松訓練所にいたときから感じていたという。
「私の年齢になってから、幅広い年齢層、人種、さまざまな経験や知識を持った仲間がこんなにたくさんできることは、協力隊に参加しなければ考えられないと思います。この2年間にかかわった仲間たちは、私の人生の財産です。今後は、得られた経験を未来ある子どもたちに還元していきます」

鏡さんの「やりがい曲線」

(1)活動最初の1週間を振り返る:現地語はあいさつ程度、アフリカ訛りの英語にも慣れていなくて、不安でいっぱいの活動初日。配属先に行くと「特にやることはないから、コーヒーでも飲んでいて」と言われるだけ。この状態で1週間、どうすればいいのかを考えた結果、待っていても何も始まらないと、私は下手な現地語と英語を使い、とにかく配属先にいる人に話しかけました。すると、実は同僚も緊張していたこと、また上層部の決定が同僚に伝達されておらず、私がいる理由を知らないことが判明。そのうち「何ができるの?」と同僚から聞かれ、自分のできることを話したところ、「明日からU17代表の合宿に行って監督のサポートをして」と、活動が急に始まりました。

(2)U17代表が試合に負け、チームが解散。上司に「しばらく休んでいいぞ」と1年半は何も活動がないことを告げられ、ショックを受ける。今思えば活動がなくなったからこそ出会えた人や、できた経験もある。ピンチはチャンス!

(3)先輩・同期隊員と首都の小学校で「DREAMプロジェクト(スポーツ教室)」をスタート。うまくいかないこともあったが、振り返ってみれば、諦めずに挑戦した自分たちを褒めてあげたい。

(4)DREAMプロジェクトで自信をつけ、サッカー教室を地方で実施。他の隊員の協力のおかげで無事に成功。

(5)地方の体育隊員たちと、サッカー分科会を立ち上げ、「Eプロジェクト(サッカー教室)」を各地で計画し、スタート。自分のやりたいことがあれば多少の強引さも必要だと学んだ。他の隊員にたくさん助けられたことは感謝しきれない。

(6)雨期を迎え学校が休みに入る。サッカー教室もできずに、家と事務所の往復だけの日々が続き、テンションが下がる。自分を高めるために語学やサッカーの勉強などに時間を使ったのは良かった。雨期があけてからEプロジェクトを再開。

(7)サッカーの短期隊員3人がエチオピアに到着。Eプロジェクトをはじめ、小学校でサッカー教室、クラブチームでの指導、また現地のユースチームと試合を行った。幸いにもEプロジェクトは後輩隊員が引き継いでくれた。

(8)U20代表チームに参加。大会で負けたら、私の2年間の活動が終わるというサバイバル的な状況。トレーニングやゲームの分析を行い、最善を尽くしたが、敗戦。いざ最後を迎えると寂しい。最後にたくさん言われた「ありがとう」で、ちょっと泣きそうだった。

(9)振り返って自分にひと言:早く日本に帰りたいと思った時期もあったが、充実した2年間だった。最後までやり切った自分を褒めたい。

知られざるストーリー