JICA海外協力隊 BEFORE ⇒ AFTER

[BEFORE]大学生
[AFTER]株式会社堀場製作所 社員(海外営業部)

安川玲央さん
(ヨルダン・環境教育・2015年度1次隊)




[BEFORE]
1991年:神奈川県生まれ。
2015年:3月、東京工業大学生命理工学部生命工学科生命情報専攻卒業。4月、東京工業大学大学院生命理工学研究科へ。休学し、中途退学(2017年3月)。

[協力隊参加]
2015年:6月、協力隊に参加。環境教育隊員としてヨルダンにある海洋保護活動をするNGOに配属され、環境啓発活動に取り組む。幼稚園から高校までの約20校を巡回、環境教育アクティビティを企画、実施する。その他、現地の公園での環境啓発活動や、他隊員と協力したゴミ拾いイベントの開催、環境教育ワークショップを行う。

[AFTER]
2017年:6月、帰国。10月、アラブイスラーム学院で正則アラビア語(フスハー※)を学ぶ。アラビア語コンテストなどで司会を務める。
2018年:2月、株式会社堀場製作所に入社。海外営業部配属。
※ 正則アラビア語…規範的なアラビア語。主に公の場で使用される。



BEFORE

ヨルダンにあるパレスチナ難民キャンプで環境教育のワークショップを実施する安川さん

 青年海外協力隊を知ったきっかけを、「小学5年時の担任の先生が元協力隊員だったこと」と話す安川さん。その影響から「いつか外国の言語や文化に触れ、世界の人々に役立つ活動をしたい」と考えた。大学で生命工学を学び、大学院に進学するかを決めるタイミングで人生を再考する。生命工学の研究はパソコンに向かう日々。この道を突き進むのか、人とコミュニケーションをとり、世界で活動する道に進むのか。悩んだ末、協力隊への参加を選択した。
 配属されたのはヨルダンにある海洋保護活動をするNGO。NGOが活動する地域は環境に関する知識不足によりゴミのポイ捨てが非常に多く、海洋環境破壊が進んでいたため、安川さんは環境啓発活動を始めることになる。活動を重ねていくうち、人の意識や考え方を変える難しさを知り、「必要なのは、持続的な働きかけだ」と肌で感じたという。また、暮らしを知るほど、日本製品を海外に広めたい気持ちも高まった。それは、ヨルダンでも日本の技術の高さは認知されているが、実際には車や電化製品は韓国製、生活用品は中国製がほとんど、という現状を知ったためだ。帰国後も中東と日本の懸け橋になりたいと考え、海外展開する日系企業への就職を考えるようになった。

AFTER

堀場製作所ショールームで製品の説明をする安川さん(右端)

 帰国後、ヨルダンで経験したことを生かし、就職先を考えた安川さんが重要視した点は3つ。「理系を生かせること」「海外、特に中東で働くチャンスがあること」「コミュニケーション力を生かせること」。そんなとき帰国隊員向け求人サイトの「PARTNER」で「株式会社堀場製作所」に出会った。
 同社は、自動車・煙道排ガス測定、大気汚染モニタリングなどさまざまな測定機器を扱うメーカーで、その海外営業部に安川さんは所属。ODA案件開拓に注力している。協力隊でヨルダン人と信頼関係を構築するために試行錯誤した経験が業務で生きていると感じている。
「ヨルダンでは、求められたことをひとつひとつクリアしていく中で、信頼を得ることができました。人の話を傾聴し、言うべきことは言い、多少のことでは凹まず前進する推進力、忍耐力が備わったと自負しています。それは現在の仕事にも生きています」
 新しいことに挑戦する企業文化がある同社。中東エリアの仕事も増加中だ。
「世界27カ国に子会社があるので、世界に出て、日本製品を広めるため、努力していきたいです。また見聞を広げることで、人としても成長し続けていきたいと思っています」

派遣前の“想像”と派遣後の“実際”

想像

未開の地でのサバイバル生活の中、先進国の知識や技術を広めることが協力隊の活動と思っていました。

実際

インフラも整備されており、何より配属先のスタッフは環境に関する専門知識が豊富。私が何かを「教える」立場ではありませんでした。その中で自分が何をしたら役に立てるのかを考え、実践していくことが重要。相手を知り、信頼関係を築き、行動する力が求められると感じました。

応募を考えている方へ

不安もあるかもしれませんが、一歩踏み出すことが重要。踏み出してこそ見える世界があると思うので、勇気を出して頑張ってください。

知られざるストーリー