JICA海外協力隊 BEFORE ⇒ AFTER

[BEFORE]精神科病院の相談員
[AFTER]横浜市 職員

門脇宣幸さん
(ガーナ・ソーシャルワーカー・2011年度1次隊)




[BEFORE]
1981年:宮城県生まれ。
2004年:大学卒業後、知的障害者入所施設に介護スタッフとして勤務。
2008年:転職し、他法人で障害者のグループホームの立ち上げを担当。
2010年:精神科病院に相談員として勤務。

[協力隊参加]
2011年:6月、協力隊に参加。ガーナの職業訓練校・生産施設・身障者協会を対象に、生産者の収入向上や、組織の活性化に関する活動を行う。

[AFTER]
2013年:6月、帰国。翌年4月、社会福祉法人横浜市社会福祉協議会に勤務。
2017年:4月、横浜市瀬谷区役所高齢・障害支援課の障害担当職員に。



BEFORE

プロダクションセンターでガーナの伝統的な織物をつくる職人たちと門脇さん(中央)

 高校生のとき、世界の貧困や環境問題などの課題を学び、「世界のために何かをしたい」と協力隊への参加を考えた門脇さん。自分ができる「何か」を見つけるため、福祉系の大学に進学した。卒業後は、精神科病院の相談員などとして働き、その後、協力隊を受験。合格し、ガーナへの派遣が決まった。
 障害者の職業訓練校・生産施設などを配属先とし、それらの場所で、スタッフや生徒へ障害の特性に応じた活動のアドバイスや、生産施設で働く障害のある職人の収入向上支援に関する活動を行った門脇さん。特に収入向上支援では、生産地や生産物のPRに注力したことで賃金の向上に貢献できた。その反面、資金不足に悩む彼らに何度も提案した貯金計画は達成できなかった。度重なるインフレで貯金に意味を見出せないという彼らの背景を、門脇さんが把握できていなかったのだ。
「こうしてあげたいという、自分の価値観を押し付けていたんですね」
 活動の一方、現地の生活を知る経験は、大きな学びを与えた。小さな町では誰もが知り合いで、あいさつを交わし合う。車椅子の人をバスに乗せるなど困っている人がいれば当たり前のように手を差し伸べる地域で支え合う生活。日常の人々の行動が心に残った。

AFTER

門脇さんの勤務先、神奈川県横浜市瀬谷区役所のある瀬谷区総合庁舎

「日本でもそんなコミュニティをつくりたい」と、帰国後に地域づくりに携わる仕事を探し、現在は、横浜市瀬谷区役所の高齢・障害支援課に勤務している。障害担当の職員として、精神疾患のある人の支援をしており、相談窓口で、施設や入退院、生活支援、就労支援に加え、相談者を訪問して現状の把握などにも努めている。命にかかわる内容など責任の重い相談も受けるが、そんなときは協力隊で得た「自分の価値観だけで物事を判断しない」という考え方が生きているそうだ。
「途上国では必ず文化や習慣の違いに遭遇します。現在の相談窓口業務でも同じことが言えますが、そこで自分の価値基準を押し通すと、相互理解が難しくなるばかりでなく、対立を生む場合もあります。自分の価値観で物事を判断しないというのは協力隊経験により、さらに意識するようになりました」
 また、自国に誇りを持ち、困ったときはお互いに助け合えるガーナの人たちから与えられた気づきは、仕事の取り組み方にも影響を与えている。
「ガーナの人たちの姿勢を踏まえ、私は行政という立場から、今後も自分たちが住んでいる地域を『好きだ』と言えるような街を、住民と共に考えつくっていきたいと考えています」

派遣前の“想像”と派遣後の“実際”

想像

派遣国の人は日本のことを知っているのか、自分のことを受け入れてくれるかどうか不安でいっぱいでした。

実際

想像以上に派遣国の人は日本のことを知っており、日本人に対しては友好的でした。今までの日本人たちが積み重ねてきた信用と実績の証なのだと思いました。日本のことをいろいろと聞かれるので、当たり前だと思っていた日本の文化や価値観について、改めて考える機会になりました。

応募を考えている方へ

協力隊での経験は、物の見方や価値観、考え方や行動力、今後のキャリアプランなど色々な面で変化を与えてくれました。自分の人生の中で大きな財産になり、また成長につながります。
協力隊が気になったときというのは、今の生活の中で何かが心に引っかかっているということ。このタイミングを逃すと、次の機会はないかもしれません。心配なことは多いかもしれませんが、気になった今だからこそ、チャレンジしてみてください。

知られざるストーリー