JICA海外協力隊 BEFORE ⇒ AFTER

[BEFORE]日本語教師
[AFTER]日本語専門家

遠藤かおりさん
(ウズベキスタン・日本語教師・2010年度3次隊)




[BEFORE]
1981年:神奈川県生まれ。
2004年:3月、大正大学文学部国際文化学科卒業。日本語教師の資格を取得。8月、独立行政法人国際交流基金の日本語教師派遣プログラム(JENESYS)などにより、ポーランド、タイ、ベトナムの高校・大学・専門学校・日本語学校で日本語教師を務める。

[協力隊参加]
2011年:1月、協力隊に参加。ウズベキスタンにある世界言語大学に配属され、日本語講座、日本語弁論大会、日本文化紹介イベントなどの運営に従事。

[AFTER]
2013年:1月、帰国。4月、早稲田大学大学院日本語教育研究科へ進学。
2015年:4月、国際交流基金よりバンコク日本文化センターに日本語専門家として赴任。
2018年:6月から、国際交流基金よりベトナム日本文化交流センターに日本語専門家として赴任中。



BEFORE

遠藤さん(左から2人目)が運営協力をしたウズベキスタン国内での日本語弁論大会。配属先の大学から2人が出場し、左端の学生が優勝を果たした

 海外で日本語教師をするためのひとつの手段として協力隊参加が頭の中にあったという遠藤さん。大学卒業後、日本政府が進める青少年交流事業などを利用し、3カ国で日本語教師を経験したのち、協力隊に参加。ウズベキスタンの大学に配属されることになった。
 大学では、日本語講座の授業や日本語弁論大会出場者への指導、日本文化紹介のイベントの運営などに従事した。学生たちは日本語の学習意欲も高く、担当する日本語講座も配属先から高く評価されており、充実した活動ができた。特に印象に残っているのは、自身が運営に携わったウズベキスタンの日本語弁論大会で、配属先の大学の代表として出場した学生が優勝したことで、これは大学初の快挙だった。
 当時、中央アジアの国々には、国際交流基金から日本語教育の指導支援をする日本語専門家が派遣されており、遠藤さんも日本語弁論大会などでお世話になっていた。専門家の仕事を見て、自身も専門家を目指そうと決心したが、専門家になるには日本語教育に関連する分野の修士号の取得が必須だった。同期隊員が大学院進学を目指していたことや、修士論文の調査でウズベキスタンに来ていた先輩隊員から帰国後の進路モデルを具体的に聞いたことで、専門家への道のりが明確になっていった。

AFTER

ベトナムにて“日本語パートナーズ(※)”への研修を行う遠藤さん
※ 日本語パートナーズ…アジアの中学・高校などで、日本語教師や生徒のパートナーとして、授業の補助や日本文化紹介などをする人材のこと

 帰国後に大学院に進学することを決め、活動の合間に進学の準備をし、帰国前にウズベキスタンから受験をした。その後、大学院に進学し、年に一度公募される、国際交流基金の日本語専門家に、在学中に「修了見込み」の立場で応募し、修了した翌月からタイに派遣されることが決まった。
 現在は、国際交流基金ベトナム日本文化交流センターに日本語専門家として派遣され、国際交流基金アジアセンターが行っている〝日本語パートナーズ〟派遣事業でベトナムに派遣されている人たちの教務支援を担当している。また、中等教育機関で日本語を教えているベトナム人教師の側面支援も担当業務のひとつだ。日本のように計画通りには業務が進まないこともあるが、そこが苦しいところであり、楽しいところでもあると遠藤さんは言う。
「『できる、できない』ではなく『どうしたらできるか』を考えていく方が前に進める気がしますし、逆境に立たされてもその状況を楽しむことができるということを、協力隊時代と協力隊になるまでの経験の中で学びました」
 以前より日本語教育や日本語教師という言葉が知られるようになった今、遠藤さんはこれまでの経験を生かし、日本語を必要とする人の力になり続けられるよう、業務に取り組んでいる。

派遣前の“想像”と派遣後の“実際”

想像

任期が終わる頃には現地語(訓練言語)が、現地の人と同じくらいペラペラになると思っていました。

実際

そこまでペラペラにはならなかった! 活動時は基本的に日本語のみを使用する日本語教師だから!?

応募を考えている方へ

協力隊活動は、派遣国での活動だけではありません。派遣前訓練に始まり、帰国後もたくさんのつながりが続きます。それぞれの場面で多くの出会いと人生観が変わる出来事が待っています。「やってみよう」と思ったときがチャレンジのときです。新しい自分と出会い、成長させる時間をぜひ過ごしてみてください!

知られざるストーリー