障害児・者への支援を行うNGOに配属された柏さん。専門性が不足していた同僚たちに特別支援教育の技術指導を行う一方、配属先の存在を対外的にPRする取り組みの活性化にも力を入れた。
【PROFILE】
1989年生まれ、静岡県出身。大学法学部の卒業と同時に中学・高等学校の教員免許状を取得。学校などで主に精神障害や発達障害のある児童の支援に従事。2016年6月に協力隊員としてコロンビアに赴任。18年6月に帰国した後、一般企業の教育事業部に勤務する傍ら、社会福祉士の養成校に在学。
【活動概要】
障害者支援を行うNGO「財団フンダミセル」(サンタンデール県)に配属され、主に以下の活動に従事。
●授業の支援
●「障害理解」や「特別支援教育」に関する研修会の実施
●利用者と地域とのつながりの構築
柏さんが配属された財団フンダミセルは、3歳から30歳までの障害児・者に福祉や教育のサービスを提供するNGO。利用者は1日40人ほどで、知的障害者やダウン症患者が中心だ。柏さんの活動の場となった教育サービス部門では、集団行動がどの程度できるかによって利用者を数クラスに分け、授業が行われていた。
着任後の3カ月間は配属先の状況を観察。そこで見つけた課題により、柏さんは「教育サービスの改善」と「PR活動の活性化」を活動の柱とした。
●授業支援
着任当時、授業を担当する同僚たちは高いモチベーションを持っていたが、一方で「専門知識に乏しい」という課題があった。塗り絵など限られたアクティビティが繰り返し行われ、授業内容はマンネリ化。「右左」や「数」の概念がわからない知的障害児にそれを教え込もうとするなど、利用者の障害や発達の程度に応じた対応も行き届いていなかった。
柏さんは同僚たちの授業に入らせてもらい、試しに「障害や発達の程度に応じた対応」の例を示してみた。「『物には色がある』という認識を持ってもらうため、色を塗り分けたトイレットペーパーの芯とアイスの棒で同じ色のセットをつくる」という授業だ。そうした柏さんの授業に、利用者たちはそれまでにない反応を見せる。すると同僚たちは要領を掴んだようで、思いついた授業アイデアについて柏さんに意見を求めるようになっていった。
●「保護者面談」の導入
配属先が利用者の保護者と連携が取れていないことに気がついたのは、着任後すぐのことだ。対策として柏さんが最初に試みたのは「連絡帳」の導入。配属先での利用者の様子、家庭でフォローしてほしいことなどを記入し、利用者に持ち帰ってもらうものである。しかし、保護者が目を通している気配はなかなか感じられない。そこで打った次の手は、「保護者面談」という直接のコミュニケーションだ。面談の際には、「壁に案内のカードを貼ってトイレの位置を覚えられるようにする」など、配属先で行っている指導を丁寧に説明し、家庭でも同じことをやってもらうよう依頼。すると、保護者がそれらを実践し、利用者に顕著な変化が見られる例も出てきた。この取り組みは、柏さんの帰国後も継続してもらえるよう、同僚のソーシャルワーカーと共に行った。
意欲的な同僚たちによって教育サービスの質が向上するにつれ、配属先の課題として比重が大きくなってきたのは「資金不足」だ。当時、配属先は行政による補助の対象外であり、資金不足から配属先は存続すら危ぶまれる状況となっていたのだった。そうしたなかで柏さんは、資金面の支援の獲得につなげようと、地域社会に対するPR活動の活性化にも力を入れた。
●イベントへの参加
配属先は以前から、地域で開催される各種イベントに参加することには積極的だったが、参加の頻度や方法には工夫の余地があった。柏さんは手始めに、まだ参加したことのないイベントを調査。すると、それまでは「障害者の特別参加枠」があるイベントばかりに参加していたことがわかった。そうした枠がないけれども、利用者が参加できそうなもののひとつに新規の参加を試みたところ、問題なく完了。「特別枠がないと参加できない」という先入観が払拭された同僚たちの間には、より積極的に地域のイベントに参加しようという機運が高まった。
イベント参加の「方法」についても、柏さんは改善を試みた。事前にダンスのインストラクターを招いて利用者たちを指導してもらい、イベント当日には利用者たちが踊りながらパレードに加わる。配属先外とのつながりを強め、かつ利用者たちの生き生きした姿が見せられるような参加方法だ。すると、イベント当日にマスメディアからインタビューの依頼を受けるなど、地域社会に配属先の存在をアピールできる取り組みとなった。
●外部向け研修会の開催
配属先への支援を検討している地元企業などを対象に、「障害への理解の促進」を目的とした研修会を開催したのも、地域社会と配属先とのつながりを深めるために柏さんが企画したものだ。座学ではなく、障害の感覚を擬似体験してもらうワークショップ型にこだわり、規模の大きさよりも小まめに開催することも心がけた。すると次第に評判が広がり、参加者数も増加。その結果、利用者の施設利用費などを支援する「里親」となってくれる企業や地域の有力者が現れた。この研修会も、当初は柏さんが中心となって運営していたが、やがて同僚たちが柏さんを手本に後に続いてくれたことから、柏さんは資料の作成など縁の下の力持ちへと身を退いていった。
以上のようなPR活動の活性化が功を奏し、障害者支援を行う団体として行政から公認され、補助金の対象となったのは、任期を終えるころ。柏さんの提案する新機軸に積極的に挑戦してくれた同僚たちが、柏さんの帰国後もそれを続けていける可能性が高まった。
障害児・者支援に携わる隊員の配属先では、予算不足が課題となっているケースも多いだろう。本事例のように、配属先の対外的なPR活動を外部者の視点で見直し、その新機軸を提案すれば、資金面の支援者の獲得、ひいては配属先の活性化へとつながっていく。