知的障害児・者が学ぶ特別支援学校に配属された牧さん。担当した洋裁クラスでは、当初、不得手ゆえに作業に加われない生徒がいた。そこで牧さんは、「新しい製品」と「役割分担制」を導入した。
【PROFILE】
1988年生まれ、鹿児島県出身。鹿児島大学教育学部養護学校教員養成課程卒業後、神奈川県立の特別支援学校に勤務。2014年、JICA教師海外研修(タンザニア)に参加。16年6月、協力隊員としてケニアに赴任(現職教員特別参加制度)。18年3月に帰国後、復職。
【活動概要】
シアヤ・カウンティのマランダ特別支援学校に配属され、職業訓練コースで主に以下の活動に従事。
●新製品の開発・販売の支援
●職業訓練の時間を活用した国語や算数など主要教科の指導
●生徒への保健・衛生指導(性教育、身だしなみの指導など)
牧さんが配属されたのは、知的障害のある生徒が通うマランダ特別支援学校。全寮制のこの学校には、5歳から36歳までの生徒約100人が在籍していた。牧さんの主たる活動となったのは、職業訓練コースの洋裁クラスでの授業支援だ。
カウンターパート(以下、CP)の特別支援教員が担当するこのクラスでは、洋裁とペーパービーズのアクセサリーの製作指導が行われていた。「蚊帳の外に置かれている生徒たち」が気になったのは、授業に入るようになってすぐのことだ。CPは、特定の生徒たちだけに製作の指導をし、それ以外の生徒たちには「座っているように」と指示を出す。道具が不足していたうえ、後者の生徒たちは、「はさみでまっすぐに切ることができない」など、工程の一部を苦手としていたからだった。個々の能力に応じて学習を進めることが当たり前となっている日本の特別支援教育の現場との極端な違いに、牧さんは驚くばかりだった。
授業では生徒たちの「集中力の持続」にも課題があった。製作に取り組んでいる生徒も、座っているだけの生徒も、授業開始から10分ほどで「トイレ」などを理由に次々と教室を出て行き、戻ってこない。結果、授業を終えるころに残っているのはほんの数人という状態だった。その点をCPに指摘してみるものの、「行きたいのだから仕方ない」と、問題に感じていない様子だった。
以上の状況から、牧さんは「個々の生徒の能力に応じた学習内容の提供」と、「生徒たちの集中力の持続」を、当面の活動目標に設定した。
設定した活動目標を達成する手段として牧さんが選んだのは、「新製品の導入」だった。着手したのは、着任の半年後。市場調査に訪れた町中の市場で、買い物客の女性たちが手にしていた「プラスチックバスケット」が目に留まった。平たいプラスチックの紐で編まれたものだ。牧さんは、それを新たな製作課題として授業に導入できないかと思案。以下のような利点が考えられたからだった。
●編み方がそれほど複雑ではない。
●「紐を切る」「紐を押さえる」「編む」など、各作業の分担が可能で、生徒たちをそれぞれが得意な作業で製作に参加させることができる。
●配属校があるマランダ村ではバスケットは流通していなかったため、村民の需要があると見込まれた。授業で従来つくられていたペーパービーズのアクセサリーは、売れ行きが芳しくなく、在庫が残っていた。
牧さんは早速、CPに授業への導入を提案。前例のない製作課題とのことだったが、快く賛同してくれたうえに、材料の調達役を買って出てくれた。
「役割分担」というやり方については、当初、CPは「できる生徒たちに単独でつくらせるべき」という意見だった。そのほうが良い出来栄えとなり、売れ行きも上がるはずだとの考えからだ。そこで牧さんは、生徒たちにそれぞれの能力に応じた学習のチャンスを与えることの重要性や、役目を与えられたらどの生徒も責任感を持って取り組むため、出来栄えも良くなることなどを丁寧に説明。するとCPは、半信半疑ながらも「役割分担」で進めてくれることを了承してくれた。
バスケットの製作指導を開始した当初は、ひとつ完成させるまでに時間がかかり、CPも「やはり効率が悪いのでは」と不平をもらした。それに対して牧さんは、「あの子はこれまで、作業を始めて10分で教室を出ていっていたけれど、今日は30分取り組めましたね」などと、「小さな変化」を指摘してCPを説得した。
思わぬ追い風が吹いたのは、スタートから半年ほど経ったころだ。法律でプラスチック製のレジ袋の使用が禁じられ、客が「エコバッグ」を持参しなければならない状況となった。それにより、マランダ村の市場でのバスケットの売れ行きが3倍ほどに急上昇。すると、生徒たちも集中して作業に取り組むようになる。作業のやり方について生徒どうしでアドバイスし合ったり、途中で抜け出す生徒をほかの生徒が注意したりと、「生徒間の協力姿勢」すら生まれていった。気がつくと、トイレで教室を出たいときには生徒自身が皆に許可を求め、トイレが済むとすぐに戻ってくるようにもなっていた。そうした変化を目の当たりにしたことで、ようやく「役割分担」の意義に対するCPの疑念は晴れたのだった。
授業で製作したバスケットは、使い込めばほころびも出る。そこに着目したCPから、「生徒たちにバスケットの修理方法も教えよう」と提案があったのは、任期も残り半年となったころだ。家族や近所の人たちが持つバスケットを、生徒たちが自宅で修理してあげられるようになれば、彼らと地域社会とのつながりも深まる。すばらしいアイデアだと牧さんも賛同し、早速授業で修理方法の指導を開始。すると、予想以上の反響があった。バスケットを持っている地域住民たちが、修理の依頼のために自ら配属校を訪問してくれるようになったのだ。
牧さんは着任以来、住民たちから「何をしている学校なのか」と問われることがたびたびあり、配属校と地域社会との間にある「壁」を感じていた。そうしたなか、修理の依頼のために配属校を訪れた住民に対し、自分たちが何を学んでいるのかを誇らしげに説明する生徒たちの姿を見た牧さんは、その「壁」が消え始めたことを実感できたのだった。
障害児・者の可能性を過小評価している同僚に対し、その認識を改めてもらうためには、「目に見える変化」を生み出すのが最大の方法。そうした変化をもたらしやすいかどうかという観点で新たな授業内容を見つけ出すことが、特別支援教育分野の活動のカギのひとつだろう。