[協働のCHECK]
「毎週のミーティング」を軸にカウンターパートと協働

河村美沙さん(エクアドル・コミュニティ開発・2016年度1次隊)の事例

県庁に配属され、農村開発の支援に取り組んだ河村さん。カウンターパートと協働で取り組んだ地域ブランドを立ち上げるプロジェクトでは、進捗をチェックし、当面の計画を確定するミーティングを重視した。

河村さん基礎情報





【PROFILE】
1988年生まれ、愛知県出身。大学卒業後、映像機器メーカーに営業職で勤務。2016年7月、協力隊員としてエクアドルに赴任(現職参加)。18年7月に帰国し、復職。

【活動概要】
ピチンチャ県の県生産支援振興課に配属され、農村地域で主に以下の活動に従事。
●特産品を地域ブランドとして認定するプロジェクトの支援
●特産品の販売促進支援
●農家を対象とした農産加工品づくりの研修会の実施
●観光振興に取り組む住民グループの結成と活動支援


河村さんが住民グループと共に企画した観光ツアーで、目玉とした教会見学を楽しむ観光客たち

 首都キトがあるピチンチャ県の県庁生産支援振興課に配属された河村さん。生活と活動の場となったのは、「ルータ・エスコンディーダ」と呼ばれるキト市内の農村地域だ。そこで地域開発を支援することが、河村さんに求められていた活動だった。
 着任当時、配属先には「地域開発」という目標はあるものの、その切り口については、「農産物の付加価値付け」や「観光振興」など漠然としたアイデアしかない状態だった。しかも、カウンターパート(以下、CP)や住民は「お任せ」の意識が強い。そのため、現地のリソースで実現可能な活動の構想や、活動協力者の獲得には時間を要したが、任期の半ばになっていくつかの活動が軌道に乗り始める。任期中に取り組んだ主な活動は次のとおり。
(1)既存の農産加工品を地域ブランドとして認定するプロジェクト
 活動地域では以前から、自作の農産物の加工品をつくり、販売している農家がいた。「ミカンのワイン」や「レモンのジャム」、「サツマイモのパン」などだ。そうした特産品のプロモーションを行政の立場で後押しする目的で、ルータ・エスコンディーダの地域ブランドを創設。河村さんの任期中に10の農産加工品を認定した。
(2)新規農産加工品の提案
 農産加工品づくりを行っていなかった農家を対象に、それまで地域でつくられていなかった品目を提案する研修会を実施。果物を素材とするアイスクリームやグミなどだ。
(3)観光振興に取り組む住民グループの結成と活動支援
 活動地域の神父をリーダーとして住民グループを結成し、教会見学や特産品販売、伝統ダンスの披露などを組み合わせた観光ツアーを企画。週に3組程度の団体客を受け入れるほどのビジネスになった。

ルータ・エスコンディーダの地域ブランドとして認定されたレモンのジャム(左)とミカンのジャム(右)

河村さんが任地で行った活動最終報告会の会場では、ルータ・エスコンディーダの地域ブランドとして認定された農産加工品を生産者たちに披露してもらった。写真の生産者が手にしているのは、ブランドのロゴマークがあしらわれた認定証

綿密な計画を立てたものの

 以上の活動のうち、CPと共に取り組んだのは(1)のプロジェクトだ。彼は仕事に意欲的だったが、ピチンチャ県全域を担当していたため、河村さんの活動地域に足を運べるのはせいぜい月に1度程度。そこで、配属先自身が実現を望んでいた(1)に限り、CPとの協働に挑戦することにしたのだった。
 河村さんは当初、1年程度の長期スパンで計画を立案。「住民説明会の開催」や「ロゴマークのデザインの依頼」など必要なタスクを列挙したうえで、それらをいつ、誰が、どのようにやるかをあらかじめ明確にしておいた。
 そうして着任して半年ほど経ったころに、プロジェクトをスタートさせる。しかし、見込みが甘かったことをすぐに痛感する。CPが勤務する配属先のオフィスは、河村さんの住まいからバスで2時間ほど。そのため、プロジェクトの進捗状況をチェックし、進め方の改善を図るためのミーティングを行えるのは、1カ月に1度というペースだった。そのチャンスに進捗状況を確認すると、彼が予定していたタスクをやっていなかったり、計画とは違う方向で事を進めてしまっていたりということが頻発したのだ。
 苛立ちを募らせた河村さんは、CPのタスクを代わりやってしまわずにはいられなくなる。そうして気がつくと、「協働」の姿からはかけ離れてしまっていた。
 このままでは、自分の帰国後に地域ブランドの取り組みは担い手の不在で消滅してしまう。河村さんのそんなジレンマは強く、任期の半ばにはストレスで体調を崩してしまった。ところが、それが活動をあらためて見つめ直すチャンスとなった。

毎週日曜日にバスで上京

 長期の計画を綿密に立て、それに則って行動することは、現地の人たちには慣れないやり方。にもかかわらず、自分自身が「安心感」を得たいがために、日本での仕事で慣れ親しんでいたこのやり方をCPに強要してしまっていたのだ——。そう反省した河村さんは、CPとの協働を次のような形に変更した。
●立ててあった長期の計画については、河村さん自身は引き続き念頭に置いておくものの、いったん脇に置き、CPとの間では話題に出さない。
●その代わりにミーティングの頻度を増やし、毎週月曜日に行う。そこで前週の進捗状況をチェックすると共に、「その週の綿密な計画」と「翌週以降のおおまかな計画」という「短期スパン」の計画を立てる。
 CPは、会議で席を外していたり、外勤に出ていたりすることが多く、ミーティングの時間を取ってもらうのも容易ではなかった。そこで河村さんは毎週、日曜日のうちに配属先のオフィスがある市の中心部にバスで移動して宿泊し、翌月曜日には朝一にオフィスに出て、CPの時間が空くのを待った。それでも当初は、「積極的に時間をつくろう」という意識をCPに持ってもらえず、ミーティングが実現しないまま一日が終わってしまうこともあった。対して河村さんは、「今日はあなたと話すためだけにここに来た」「15分だけで構わないので話すことが必要」などとしぶとく食い下がる。「明日なら空いている」と言われた場合には、その晩も近所に宿泊し、翌日出直すこともあった。
「わずかな時間の話し合いのために、これだけの労力をかけるのは妥当だろうか?」。そんな不安を感じることもあったが、河村さんは「これも活動のひとつ」と考え、なんとか週1回のペースを維持し続けた。
 こうした努力の効果は次第に顕著になっていった。予定していたタスクができなかったときも、すぐに挽回の手が打てるため、進捗の滞りも解消。また、新たに判明した状況を、すぐに以後の計画に反映させることもできるようになった。そうした変化をCPも実感。やがて「こうやってミサと話をすることは大切だ」と口にするようになり、みずから「今日は何時にミーティングをやろう?」と声をかけてくれるようにまでなったのだった。

POINT

ミーティングは努力して開く!
「計画的な行動」を苦手とする現地の人と協働で活動を進める場合、必要な作業の抜け落ちを防ぐためには、進捗のチェックをこまめに行うことが必要となる。そこでカギとなるのは、「協働者とミーティングをするチャンスをどのようにつくるか」だろう。

知られざるストーリー