JICA Volunteer’s before ⇒ after

髙橋永知さん(ウガンダ・感染症対策・2010年度2次隊)

before:衣料品店 店長
after:厚生労働省 検疫官

 人生を変えるきっかけは見落としてしまうほど小さなものだ。衣料品店の店長だった髙橋永知さんは、帰国したばかりの協力隊員を接客したことがきっかけで、協力隊になろうと決意する。看護学校に通い、看護師になり、協力隊に参加。現地で知識不足を感じ、帰国後、進学した大学院で、検疫官の仕事を知り、現在は厚生労働省の職員として働いている。

7年越しの夢、協力隊参加

[before]ウガンダの孤児院と日本の看護学校を映像通話で結び、HIVに関するディスカッションを行ったときの様子

「明確な目標がなかった」、協力隊参加を決めるまでの自身について、髙橋さんはそう話す。勉強はどちらかといえば嫌いで、高校卒業後、医療関係の仕事をする父親の勧めで入学した医療系専門学校は中退。親に勘当された。
 バイトで生計を立て、そのとき働いていた衣料品店の住所が自分の誕生日と同じだからという理由で正社員になる。週1回休みがあるかどうかというハードな仕事だが、接客は好きだった。店舗は上野。土地柄、外国人が多い。接客した外国人と友人になったことで、髙橋さんに語学の習得という目標ができる。新しい言葉を知り、その言葉で知る新しい世界。テレビの英語講座で勉強し、外国人の接客をすべて担当し、休日は観光地に来た外国人に話しかけ、無料でガイドをした。外国人のバイヤーともやりとりができるようになり、店の売上もアップ、店長に昇進する。
 ある冬の日、店に半袖の客が来た。「服がなくて」と話す客は、帰国直後の協力隊員だという。「興味がある」と伝えると、「英語を勉強したいという理由ならやめたほうがいいけど、医療・教育・農業の技術と知識は現地に役立つ」と聞かされた。その言葉に触発され、髙橋さんは、協力隊になるために看護師の道を選び、そこからは一心不乱に勉強した。親に土下座して実家に戻り、バイトをしながら地元の看護学校に通った。卒業後、病院に勤務。その後、協力隊を受験して、合格。協力隊参加を決意してから7年が経っていた。
「病院の中より地域で活動をしたい」という思いがあった髙橋さんは、地域で啓発活動などをする感染症対策の職種でウガンダに派遣された。主に実施したのはHIV啓発活動と医療環境整備(5S普及活動)だ。特に印象に残る活動は、歌手を夢見るHIV感染者のバーバラとともに彼女の歌をレコーディングしたCDと、彼女のドキュメンタリーを主体としたHIVに関する映像教材(DVD)を作成したこと。当時、髙橋さんはHIV啓発ソングをつくろうと奮闘していたが、著作権の問題で頓挫しそうだった。そんなとき、感染症関連の会議で知り合いになったバーバラもHIV啓発ソングをつくろうとしていることを偶然知り、2人はともに活動することになったのだ。CDとDVDは、ウガンダの教育機関や日本の国際フェスティバルなどで販売し、売上げをHIV啓発を行う女性グループの活動資金などに充てることができた。
 髙橋さんが帰国したのち、HIV啓発の歌がウガンダを訪れた欧州のNGOスタッフの耳に入る。それがきっかけでバーバラはオランダに招待され、700人を超える観客の前で、HIV啓発の歌を披露する機会を得た。
「個々の隊員には、国を変えるほどの大きな力はないかもしれません。しかし、地道な活動から生まれる『小さなきっかけ』は、やがて大きな結果につながることを実感しました」

感染症から日本を守る

[after]茨城空港で検疫業務をする髙橋さん。国内に入ってくる人に対しての検疫のほか、海外渡航者に対して注意喚起を行うことも、検疫官の重要な仕事のひとつ。「特にアフリカへの渡航者に対し、滞在期間中の注意点などについて伝える際には、実態と経験に基づいた助言ができるため、協力隊経験が生かされていると感じる」と髙橋さんはいう

 派遣中、映像教材を作成する際、公衆衛生に関する知識不足を痛感した。任期満了後も、海外で感染症対策に携わる職に就きたいと思っていた髙橋さんは、その弱点を克服するため、大学院に進学。同期生に検疫所の社会人大学院生がいたことで、海外で働くこと以外にも感染症対策の仕事をする機会があることを初めて知った。海外から日本に流入する感染症を防ぐという仕事内容を知り、故郷である日本を守る意義と使命感に惹かれ、検疫官になることを決意。修了直前に受験し、合格した。
 現在は、検疫官として厚生労働省東京検疫所茨城空港出張所に勤務し、茨城空港で海外から入国する航空機や船舶に対し、検疫法に基づいて水際対策を行っている。協力隊で学んだ「小さなきっかけが大きな結果につながる」という教訓は、今の仕事にも通じている。
「体調を崩して帰国した人たちの共通点を探るなど、些細な疑問から情報を収集し、未然に対策を講じることで、効果的な予防対策につながることもあります」と髙橋さんは話す。
 ビザの緩和やローコストキャリア(LCC)の就航拡大、また2年後の東京五輪を控え、今後国内に海外感染症が流入するリスクが高まる可能性も考えられる。
「海外感染症のトレンドや渡航動態の変化をいち早く察知し、適切に対応することで感染症から日本を守るという現在の仕事に、大きな使命感とやりがいを感じています。小さな行動であっても自分ができることを積極的に発信・行動することで、検疫所が行う感染症対策の一助になればと考えています」






髙橋さんのプロフィール

[1979年]
静岡県出身。
[1998年]
4月、埼玉県の医療技術専門学校に入学。その後、中退。
[2002年]
東京・上野の服飾関係の会社に就職。
[2005年]
4月、御殿場看護学校に入学。08年に卒業。
[2008年]
4月、静岡県の病院で看護師として勤務。
[2010年]
9月、青年海外協力隊に参加。
選択の理由:英語を話すことが楽しく、外資系企業への転職も考えたが、「中退している自分には難しいだろう」と諦めていた。そんなとき帰国直後の協力隊員の話を聞き、参加を決意した。
感染症対策隊員としてウガンダ・ブシア県庁保健課に配属。HIV啓発活動と医療環境整備(5S普及活動)をメインに活動を行った。
[2013年]
1月、帰国。
4月、帝京大学大学院公衆衛生学研究科に入学。翌年修了。
[2014年]
4月、厚生労働省に入省。関西空港検疫所に配属となり、関西国際空港における検疫業務に従事。
選択の理由:JPOやJICAの職員を目指そうと思っていたときに、大学院で検疫官に出会う。海外での活動は主に対象国の感染症対策というくくりだが、全世界から日本にやってくる感染症を防ぐ仕事があるということを知り、より広い視野で感染症対策に携わりたいと、検疫官に。
[2017年]
4月、厚生労働省東京検疫所、茨城空港出張所に異動となり、茨城空港における航空機に対する検疫業務、および鹿島・日立・常陸那珂港における外航船舶に対する検疫業務に従事。

知られざるストーリー