人間関係が出来たのを見計らって
課題の指摘をスタート

丸山祥恵さん(ソロモン・数学教育・2016年度2次隊)の事例

中等学校で数学教育の支援に携わった丸山さん。同僚教員がみな年上だったことから、当初は自分の授業に専念したが、彼らとの人間関係が出来上がると、課題の指摘を試みるようになっていった。

丸山さん基礎情報





【PROFILE】
1989年生まれ、東京都出身。大学卒業後、数学科教員として公立中学校に3年間勤務。2016年10月、協力隊員としてソロモンに赴任。18年10月に帰国。

【活動概要】
ウェスタン州立ビウラ中高校に配属され、主に以下の活動に従事。
●数学授業の実施
●数学科教員に対する助言
●全校生徒を対象とする計算コンテストの企画・実施


配属先の寮は学校の敷地内にあったことから、丸山さん(左端)は時間を問わず生徒たちの勉強に付き合った

数学の定期テストに取り組む丸山さんの教え子たち

 丸山さんが配属されたのは、日本の中学1年生から大学1年生にあたる7学年で構成される学校。1学年が1、2クラスずつという規模だった。数学科の現地教員は3人。コマ数に対し人数が不足していたことから、一教員として数学の授業を分担することが丸山さんのメインの活動となった。着任の3カ月後に始まった2017年度に担当したのは、2、3年生の授業。翌18年度には、1、2年生の授業を担当した。
「教科書を書き写すだけ」という板書の方法など、同僚の数学科教員たちの授業には課題も多かった。丸山さんは彼らへの技術指導も行いたいと考えたが、いずれも丸山さんより年上。そのため、当初はアプローチの方法をつかみあぐねた。「職員会議の後に、数学科教員たちだけで意見交換する場を設ける」といったことも検討したが、「時間を割いてほしい」と強く要望するのはためらわれた。そうして最初に試みたのは、「背中で語る」という方法だ。まず、丸山さんが空き時間に数学科教員たちの授業を見学させてもらう。すると反対に彼らが丸山さんの授業を覗くようになり、そこで見た授業方法を真似るようになる——。そんな流れをつくろうと画策した。しかし、彼らが丸山さんの授業を覗くようにはなったものの、真似てくれるようになった授業方法はわずかだった。

チームティーチングを開始

任期後半に丸山さんがチームティーチングを行ったAさん。立体の授業では、丸山さんが紹介した「展開図」を取り入れてくれるようになった

任期終盤、教材室ではAさん(左)をはじめとする数学科教員たちの数学談義が自然と始まるようになった

「『背中で語る』だけではだめだ」。17年度の授業が終わると、丸山さんはこう反省した。補習やクラブ活動など、授業以外の時間も生徒たちのために割き、彼らとの関係はきわめて良好だった。それだけに、「生徒たちとの『学園ドラマ』に陶酔しているだけではないか。数学科教員たちに十分なアプローチができないままで終わってしまっていいのか」と自分を責める気持ちは強かった。
 そうして、18年度は同僚との「チームティーチング」を実現しようと決意。現地語の力も上がり、込み入った内容の会話ができるようになっていたことも、教員へのアプローチを強める勇気を後押しした。
 チームティーチングの相手にしようと目星を付けたのは、3、4年生の授業を担当することになっていた男性教員(以下、Aさん)。「私は現地語での説明が苦手なので、その方法を学ぶために授業に入らせてほしい」。そう打診すると、彼は快諾。学校側にも2人の授業の時間が重ならないような時間割にしてもらうことができたことから、丸山さんは彼の授業に毎回入れることとなった。
 そうして18年度が始まると、Aさんの授業を丸山さんがサブの教員として手伝うチームティーチングがスタート。しかし当初は、「あの説明の仕方はわかりやすい」などと「良い点」を指摘するだけにとどめた。抵抗感から授業に入らせてもらえなくなるのを恐れたからだ。
 課題の指摘をするようになったのは、任期が残り半年ほどとなった時期。その場所は、数学科教員が控え室としていた「教材室」だ。「私は自分の授業でこんな板書をしています。あなたの板書とは違うのだけれど、どう思いますか?」などと切り出し、「数学談義」に引き込む。それを繰り返すうちに、やがて彼のほうから、「次の授業で扱うこの単元は、どういう板書がいいだろう?」などと尋ねてくれるようになっていった。そうした2人のやり取りは、ほかの数学科教員たちを刺激。丸山さん抜きで数学談義を行う姿が見られるようになっていった。

「伝えるべきことを伝える」

配属先での最終報告会で使ったプレゼン資料の最終ページ。それまで彼らに伝えようと努めてきたことを、ここでもあらためて「言葉」で表現した

 数学科教員へのアプローチ以外にも、任期半ばに丸山さんが「『背中で語る』だけではだめだ」と反省したことがあった。「勤務態度の改善」に関する全教員への働きかけだ。
 教員の宿舎は学校の敷地内にあり、彼らの通勤の負担は小さい。にもかかわらず、丸山さんの着任当時、1時間目の授業に出てくる教員はわずか1、2人という状態だった。そこで丸山さんは、自分自身がモデルになろうと、遅刻や早退をしない勤務態度を徹底。しかし状況は変わらない。朝、メガホンで「朝ですよ!」と叫びながら敷地内を回るといったことも試してみた。しかし、最初こそおもしろがって早めに出勤する教員も現れたが、まもなくそれも飽きられ、元の状態に戻ってしまった。
「『背中』ではなく、『言葉』で語ろう」。勤務態度の改善の働きかけについて丸山さんがこう決意したのも、やはり任期終盤にさしかかった時期だ。たとえ教員たちに煙たがられ、人間関係がぎくしゃくしてしまっても、まもなく帰国なのだから構わない、伝えるべきことはしっかり伝えて帰ろう。そう覚悟を決めたのだった。ただ一方では、それまでに教員たちとはプライベートの面でじっくり絆を深めてきたという自負もあったため、「人間関係は簡単には壊れないはず」との期待もあった。
 そうして丸山さんは、教員が遅れて出勤してきたところに出くわすと、「今日はどうして遅れたのですか? 生徒たちはみんな来ていますよ」と口にするようになった。すると案の定、彼らとの間には気まずい空気が漂うようになってしまった。
 結局、彼らの勤務態度はほとんど変化が見られないまま、丸山さんの任期は終了。しかし任地を発つ日、並んで見送る同僚教員の中からひとりが飛び出してきて、丸山さんを抱擁。涙を流しながらこう言ってくれた。「あなたのように働けなくてごめんね」。伝えようとしてきたことが彼らの心の中に刻まれていたこと、いつかそれが彼らの行動変容へとつながっていく可能性もあるということを感じられた瞬間だった。

“任期終盤”の心構え 〜丸山さんの事例から〜〜

「マンパワーだけ」から脱却!
技術を伝えるべき相手が隊員より年上の場合、当初からアドバイスを聞いてもらうのは容易ではないだろう。まずは地道に人間関係を築き、それを土台に任期の終盤、集中的に技術のアドバイスを行うというのも、ひとつの戦略だ。

知られざるストーリー