秘めていた不満を上司に伝えたところ
関係が一気に好転 〜上司との人間関係〜

齋藤七海さん(ベナン・小学校教育・2016年度1次隊)の事例

教育行政機関に配属され、算数と図工の授業の質向上に向けた支援に取り組んだ齋藤さん。協力隊員を「秘書」のように扱おうとする上司に対し、時機を見て心の内を伝えたところ、関係が一気に好転した。

齋藤さん基礎情報





【PROFILE】
1993年生まれ、神奈川県出身。明治学院大学で小学校教諭と特別支援学校教諭の免許状を取得した後、2016年6月、協力隊員としてベナンに赴任。18年2月に帰国。

【活動概要】
ウェメ県アジョウン市の視学官事務所に配属され、小学校教育に関する主に以下の活動に従事。
●図工授業の支援(紙とはさみだけでできる工作活動の紹介、自画像の描き方の指導、教員を対象とした指導法の研修会の開催など)
●算数授業の支援(「九九ビンゴ」や「図形遊び」の紹介など)


 ウェメ県アジョウン市の教育行政を所管するアジョウン視学官事務所に配属された齋藤さん。重点を置いた活動は、算数と図工の授業の質向上に向けた支援だ。配属先が管轄する小学校74校のうち、任期中に巡回したのは約50校。現地教員の授業に入り、新たな授業方法の提案を行っていった。

人事異動で上司が交替

巡回先の小学校と日本の小学校との間で図工作品を贈り合う交流を実施。ベナンの児童はアフリカ布の端切れを使って自分たちを表現する作品をつくった

 配属先の中で、各校の教員への指導を担当するのは「指導主事」というポスト。本来はそこに就く人が齋藤さんのカウンターパートになるのが筋だったが、着任時は空席となっていた。そのため、齋藤さんは当初から単独で各校を回らなければならなかった。
 齋藤さんは配属先にとって2代目の協力隊員。しかし、前任者は齋藤さんの巡回先では活動していなかった。しかも、任地は外国人が来ることがほとんどない地域。そのため、各校の教員との関係は当初、あたかも「着ぐるみ」に入った者どうしがコミュニケーションしているような感覚だった。互いに相手の「内面」が読めなかったのだ。
 齋藤さんは彼らとの距離を縮めるため、世間話をしたり、一緒に食事をしたりするよう努めた。「どうしてあなたは眉間にシワを寄せて歩いているのか?」「日本人はなぜ洗濯機を使うのか? 手で洗うこともできないのか?」など、いちいち説明するのが億劫に感じられるような質問もよく受けたが、「太陽が眩しいだけです」「日本には『冬』があるので、手洗いは大変なのです」などと答え、言葉のキャッチボールを粘り強く続けた。すると、次第に状況は変化。齋藤さんは彼らの間の性格の多様性が見えるようになり、彼らも齋藤さんが自分たちと同じような喜怒哀楽を持つ人間なのだと理解してくれるようになっていった。
 そうして関係が深まった教員たちの中には、齋藤さんが提案する新たな手法を自分の授業で積極的に実践してくれる人も現れてきた。そこで齋藤さんは、研修会を開き、そうした教員に模擬授業を行ってもらおうと計画。着任して半年ほど経ったころだ。配属先のトップである視学官長もその意義に賛同。市内の各小学校から代表教員を集めて実施することとなった。
 状況が急転したのは、研修会開催の準備を始めた矢先のことだった。配属先で急な人事異動があり、視学官長が交替。新任の視学官長(以下、Aさん)に研修会の計画を伝えると、こう告げてきたのだ。「あなたは学校を建て直す費用を出してくれるわけではないのか? あなたの存在意義はそこにしかないのだと思うのだけれど」。結局、研修会の開催自体は認めてもらえたものの、その意義を認める言葉がAさんの口から出ることはなかった。
 そうして齋藤さんは、Aさんとコミュニケーションを取ろうとする気力を次第に失っていく。それに拍車をかけたのは、齋藤さんを「秘書」のように扱おうとするAさんの態度だった。「私の鞄を持ってきなさい」「この書類のコピーをとりなさい」……。日々、アゴで使おうとするのだった。しかし齋藤さんは、「仕方がない」とあきらめ、反発せずにいた。Aさんは各校の校長に対しても同じような態度をとっていたので、このような「上下関係」のあり方は、ベナンでは「普通」なのだと思ったからだ。また、Aさんとの関係が崩れ、活動がやりにくくなってしまうことへの恐れもあった。

現地教員(右)とともに算数授業を行う齋藤さん

齋藤さんが算数授業への導入を提案した「図形遊び」。四角・三角・円の紙を組み合わせて「家」や「人」などをつくるアクティビティだ

算数授業のアクティビティとして紹介した「九九ビンゴ」。3×3のマス目に九九の特定の段の数字を記入させて行うビンゴゲームだ

雨降って、地固まる

 ベナンの人々の性格に対する理解がより進むと、齋藤さんはこう確信するようになっていった。Aさんが下の人間に対してとる高圧的な態度は、ベナンで「普通」なわけではない——。そうしてある日、齋藤さんは心のモヤモヤをAさんに直接ぶつけるに至る。任期も半ばを過ぎたころだ。
 出張に行くAさんが、いつもの口調で「運転手を呼びなさい」と指示してきた。齋藤さんが「私は彼の携帯番号を知りません」と言うと、「どうして知らないのか!」と責めてきた。そこで齋藤さんは、覚悟を決めてこう吐き出した。
「そうやって、あなたはいつも『鞄を持ってきなさい』などと要求します。けれども、それは本当に失礼なことだと思います。私はあなたのアシスタントを務めるためにここに来たわけではありません。ベナンの子どもたちのために来たのです。残りの任期も、私はベナンの先生たちと協力しながら、教育をより良いものにするためにできる限りのことをしたいと思っています。だから、そういう態度をされるのはとても嫌なのです」
 その時期、まだフランス語の苦手意識は残っていた。しかし、巡回先の学校では教員たちと率直に意見をぶつけ合う経験を重ねてきており、このときも言葉はすらすらと出てきた。
 Aさんは驚いた表情を見せた。しかし、上司に歯向かってきたことを咎めたりはせず、反対に、次のような言葉で齋藤さんの心の内への理解を表現してくれたのだった。
「正直に言ってくれてありがとう。我慢させて悪かった。しかし、なぜもっと早く言ってくれなかったのか。国によって習慣が違うのは当たり前だ。まだ私はあなたの国の習慣がよくわかっていない。だから、これからは思っていることを正直に伝えてほしい」
 Aさんはその翌日、早速齋藤さんに電話を掛けてきて、「今日、私はある学校に行く予定だ。一緒に来ないか。きみの意見をもらいたい」と誘ってくれた。以後、Aさんは齋藤さんの活動への最大の理解者のひとりとなり、学校現場への出張に齋藤さんを誘っては、「きみはあの学校をどう感じたかい?」と意見を尋ねてくれるようになった。任期の終盤には、Aさんの協力により、市内の教員に図工授業の方法を伝える2回目の研修会を実現させることもできたのだった。

配属先の同僚たち。中央がAさん

Point 〜齋藤さんの事例から〜

不満があるなら、表現する
協力隊員の「心の内」は、隊員自身が思う以上に派遣国の人たちには見えづらいもの。だからこそ、現地の人に対して不満があるときは、「どうせ言っても伝わらない」と決めつけないで、表現する。すると、「なんだ、そうだったのか」と、一気に理解が進む可能性もある。

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