同じ志を持つ同僚が「橋渡し役」となり、
ほかの同僚たちとの関係が改善 〜同僚との人間関係〜

副島希望さん(ベトナム・作業療法士・2016年度2次隊)の事例

病院の作業療法部門に配属された副島さん。部門の課題を上司に指摘したことで、同僚たちとの関係が悪化したが、付き合いを避けずに粘り続けたところ、任期半ばに状況が好転した。

副島さん基礎情報





【PROFILE】
1983年生まれ、佐賀県出身。長崎大学医学部保健学科を卒業後、作業療法士として医療法人共和会小倉リハビリテーション病院の回復期病棟に約9年間勤務。退職後の2016年10月、協力隊員としてベトナムに赴任。18年10月に帰国。

【活動概要】
バックマイ病院(ハノイ市)の作業療法部門に配属され、主に以下の活動に従事。
●患者への作業療法の実施
●評価用紙の導入支援
●同僚への専門知識の共有


高次脳機能障害がある脳卒中患者にボールを使った作業療法を行う副島さん

 国立病院の作業療法部門に配属された副島さん。ベトナムには理学療法士の国家資格はあるが、作業療法士はない。副島さんの着任当時、作業療法部門には4人のスタッフが配置されていたが、いずれも作業療法に関しては数カ月の研修を受けただけの理学療法士たちだった。
 ベトナムの3大病院のひとつだったが、作業療法部門には課題も多かった。「日常生活動作(*1)」の訓練がなされておらず、手の機能訓練を繰り返すばかり。また、「高次脳機能障害(*2)」など重い障害がある患者への治療は、的外れなものになっていた。なかでも大きな課題だったのは、「患者の状態を評価し、治療法を再検討する」という作業療法の基本プロセスが欠落し、同じ治療法を闇雲に続けている点だ。そうしたなか、副島さんはみずからも患者への作業療法を行いつつ、同僚たちに専門知識を提供。彼らの手技の質が向上したほか、作業療法部門のシステムに関しても次のような改善が実現した。
■「評価する習慣」の定着
「患者の状態を評価し、治療法を再検討する」というプロセスの徹底を促すため、副島さんは「評価用紙」の導入を支援。列挙した症状の有無にチェックを入れていくだけの簡易なものにしたところ、それを使って評価を行う習慣が定着した。
■「日常生活動作」の訓練の定着
 副島さんの働きかけにより、日常生活動作のひとつである「更衣」の練習を、特定の曜日にかならず行うというルールが導入された。

*1 日常生活動作…食事や更衣などの生活で不可欠な基本的動作。
*2 高次脳機能障害…脳卒中や交通事故などによって脳が損傷することで起こる障害。

プライドを逆なでしてしまう

評価用紙の使い方を実習生たちに説明する副島さん(左から2人目)

 作業療法部門の同僚たちは、いずれも理学療法士としては10年を超えるキャリアを持っていた。各種研修を受けた経験も豊富であり、プライドもひときわ高かったため、当初、副島さんが作業療法に関するアドバイスをしても、聞く耳を持ってもらえなかった。しかも、日常生活動作の訓練や高次脳機能障害がある患者の訓練は、効果が現れるまでに時間がかかることから、副島さん自身の治療の効果によって技術力の高さを知ってもらうことも難しかった。
 そんななか、副島さんは着任早々、彼らのプライドを不本意に逆なでしてしまった。上司に定期的に提出する活動レポートの中で、作業療法部門の同僚たちに見られた技術面の課題を指摘。それが彼らに知られるところとなってしまったのだ。ここの事情もよくわからないくせに、われわれに問題があるのだと上司に報告した——。副島さんに対する同僚たちの反発がにわかに強まり、彼らとは仕事に関する話ができない状態となってしまった。「自分がここにいる意味はなくなってしまった」。そう悲観し、物陰で泣くこともあった。
 そんななかで副島さんの心の支えとなってくれたのは、配属先が受け入れていた医療職の実習生たちだ。彼らは素直に日本の作業療法に関心を持ち、その詳細について副島さんに質問をしてきた。そうして副島さんに敬意を持つようになった彼女たちは、「あの人にあんなふうに言われていたけれど、大丈夫? 私もあの人は苦手なの」などと言って、励ましてくれるのだった。

橋渡し役が出現

Aさん(奥左)が主体となって同僚たちを対象に実施した高次脳機能障害に関する勉強会

 同僚たちに耳を傾けてもらえない状況のなか、副島さんはひとつの方針を貫いた。「彼らとの接触は避けない」というものだ。いったん距離を置いてしまったら、それを縮めることがもはや不可能になってしまうと考えたのだった。どんなに気が重くても、病気や用事以外での欠勤はしなかった。また、たとえ話を交わすことはなくても、治療室の同じ空間にいるようにした。昼食は同僚も副島さんも弁当だったが、やはりかならず同じ部屋で食べた。
 彼らとの関係が改善するきっかけが訪れたのは、着任して半年ほど経ったころだ。理学療法の研修を受けるため、副島さんの着任早々から職場を離れていた作業療法部門のリーダー役の男性(以下、Aさん)が、研修を終えて復帰してきた。活動レポートの一件の渦中にいなかったAさんは、作業療法部門の改善に関する副島さんの意見に耳を傾けようとしてくれた。そうして彼とのコミュニケーションを重ねるうちに、彼自身がほかの同僚たちに対して不満を持っていることがわかってくる。作業療法部門の技術レベルを上げたいと思うものの、ほかの同僚たちがなかなか付いてきてくれないとのことだった。
 志を同じくする副島さんとの出会いにより、Aさん自身も発奮。副島さんから作業療法部門の改善に関する意見を聞くと、それをほかの同僚たちに伝えてくれるようになった。
 Aさんによる「橋渡し」により、ほかの同僚たちも次第に「副島さんは正しいことを言っているらしい」と感じるようになっていく。そうしてようやく彼らの態度が変わり始めたのは、任期も後半に入ったころだ。副島さんと仕事に関する話をすることを厭わなくなったのだ。「関係を修復するチャンスがやってきた」と感じた副島さんは、自分の考えを伝えるだけでなく、彼らの意見にも耳を傾けるよう努めた。すると、「作業療法に関する医師の知識が足りない」など、彼らが立場上、口にできない不満を抱えていることも見えてくる。副島さんは彼らとの関係を深めるため、そうした不満を代わりに病院側に伝える役目も担った。
 やがて、彼らの仕事ぶりも変化。副島さんが行っている作業療法を見学し、そのやり方を真似るようになったのだ。また、それまで一向に聞き入れてもらえなかった「治療の前に患者の状態を評価すべき」というアドバイスについても、彼らはそれを受け入れ、実践。さらに自ら実習生に対してその大切さを説くまでになったのだった。

Point 〜副島さんの事例から〜

チャンスの到来まで粘る
ウマが合わない相手であっても、相互理解の望みを捨てたくないのなら、粘り強く接点を持ち続けることが重要だろう。いったん距離を置いてしまったら、そこからふたたび関係を修復するのは至難の技となってしまうからだ。

知られざるストーリー