生徒たちだけで開催し続けられるような
運動会を模索

井﨑 奨さん(タンザニア・体育・2016年度3次隊)の事例

中等学校に配属され、体育教育の支援に取り組んだ井﨑さん。配属校に体育教員がいないなか、井﨑さんの帰国後に生徒たちだけで開催し続けられるような運動会の形を模索した。

井﨑さん基礎情報





【PROFILE】
1992年生まれ、福岡県出身。大学のスポーツ学部を卒業した後、2017年1月、協力隊員としてタンザニアに赴任。19年1月に帰国。

【活動概要】
ソンゲア男子中等学校(ルブマ州ソンゲア市)に配属され、体育教育に関する主に以下の活動に従事。
●体育授業の実施
●各種運動会の開催(配属校におけるもの、配属校を含む4校合同のもの、地域住民によるもの)
●スポーツ大会の実施(配属校を含む5校合同のもの)


体育授業でラグビーに取り組む生徒たち

 井﨑さんが配属されたのは、日本の中学2年生から大学1年生にあたる6学年で構成される中等学校。生徒数は1学年約100人という規模だった。求められていた役割は、体育教育の質向上を支援することだ。
 タンザニアの中等教育では、2、4、6年生の3回、進級や進学を左右する国家試験が行われる。体育は美術などとともに「選択科目」とされており、学校ごとに1つを選ぶこととなっているが、配属校は体育を選択していなかった。そのため、体育授業には重きが置かれておらず、担当教員も不在。カウンターパートとなったのは地理を専門とする教員であり、当初から校長には「彼は体育の教員免許を持っていないので、体育授業の担当にはできない」と告げられていた。校長からはさらに、「高学年は国家試験の科目の勉強に力を入れなければならないため、体育授業に時間を割くことはできない」とも言われ、結局、井﨑さんは1、2年生を対象に、各クラス週に3コマずつ体育授業を行うこととなった。
 配属校にバスケットボールやフットサルのコートはあったが、井﨑さんの着任当時、生徒たちが放課後に校内で楽しんでいたのはサッカーばかりだった。自分に向いている競技を見つけ、スポーツの習慣を身につけてもらうことが重要だと考えた井﨑さんは、体育授業ではタンザニアであまり行われていない競技を重点的に指導した。ラグビーや野球、フットサル、アルティメット(エンドゾーンを目指して円盤をパスでつなぐ競技)などだ。

空回りした1回目の運動会

体育授業でアルティメットに取り組む生徒たち

 井﨑さんが任期をとおして力を入れたのは、「運動会」を定着させるための取り組みだ。「運動会を開催したい」と配属校の校長に提案し、了承を得ることができたのは、着任してわずか1、2カ月後のことだった。開催を予定したのは、その4カ月後。種目に選んだのは、「玉入れ」や「30人31脚」、「台風の目」など、日本で一般的なものだ。運動会に向けた練習は、体育授業がある1、2年生はその時間を使って行い、それ以外の学年は放課後に取り組んでもらおうと考えた。しかし、期待どおりには進まなかった。放課後の練習は参加する生徒がほとんどおらず、不成立。1、2年生の体育授業も、興味が持てない生徒たちの「見学」が続出し、まとまりを欠いたものになってしまった。
 そうして迎えた本番は、練習に出たことのなかった生徒たちも参加し、イベントとしては盛り上がった。しかし、練習を進める過程で「協力し合うこと」や「自分の役割に責任を持つこと」などを学んでいくのが、運動会の主眼。井﨑さんには、「やる気が空回りし、ひとりで突っ走ってしまった」との反省ばかりが残った。
 運動会を終え、任期が半ばに近づいても、体育を担当する教員が配置される気配はなかった。このままでは、自分が帰国した後に何も残らない——。危機感を覚えた井﨑さんは、せめて運動会だけでも、なんらかの形で開催され続けるようにする道を模索し始めた。運動に親しむきっかけとなったり、生徒が教員になったときの参考になったりするかもしれないとの考えからだ。そうして着想したのは、井﨑さんがイニシアティブをとるのではなく、生徒たち自身で運動会の練習を進めていくというやり方。日本では、運動会の練習で教員が「整列」や「前ならえ」など「集団行動指導」を行うのが一般的だが、そうした要素は断念し、「継続」を優先しようと考えたのだった。

生徒どうしで教え合う

井﨑さんの任期の2年目に実現した4校合同の運動会で、最終種目のリレーの直後に湧き返る参加者たち

 井﨑さんはまず、試しに体育授業を日本の「部活動」のように生徒たちだけで運営させてみた。題材はサッカー。授業の前半に練習をし、後半に試合をするという形式を井﨑さんが決めたうえで、生徒たちに練習メニューやタイムスケジュールを考えてもらった。立てた計画は授業当日の朝までに提出させ、井﨑さんが必要な修正を施す。実際の授業では、生徒どうしで技術を教え合ってもらった。そうした授業を何度か繰り返すと、生徒たちが練る授業計画のレベルが徐々に向上し、授業中の積極性やまとまりも増していくのだった。井﨑さんは始めこそ、教え方などについて一般的な指導をしたが、以後はその必要もなくなっていった。
 そうして「生徒に運営を任せる授業」が成立するとわかったことから、井﨑さんは2回目の運動会を計画し、その練習を生徒たち自身で進めてもらうことにした。
 2回目の運動会は、国家試験の負担が少ない1〜4年生だけに参加を限定する一方、配属校と近隣校3校の合同開催にした。まず、配属校の1、2年生の体育授業で、生徒が自分たちで種目の練習を進める。すると期待どおり、彼らは前回よりも積極的に取り組んだ。
 彼らの練習がある程度進むと、今度は彼らが放課後、10人ほどのグループを組んで他の参加校に3、4回ずつ赴き、そこの生徒たちに種目の指導をした。この巡回指導は、教える側と教えられる側の両方にとって刺激が大きいようだった。配属校の生徒たちは互いに意見を出し合いながら指導を進めていき、「協力する力」が目に見えて向上。一方、彼らの積極性に刺激を受けた他の参加校の生徒たちも、言われたとおりに動くだけでなく、自分たちから進んで準備などに取り組むようになっていったのだ。配属校の3、4年生も、1、2年生の盛り上がりに触発されて、放課後の練習を行うようになった。
 そうして着任の1年3カ月後に迎えた2回目の運動会は、配属校の生徒が中心となって滞りなく進行。4校合同ということもあり、前回に増す盛り上がりを見せた。
 配属校の1、2年生は運動会を主導したことで自信をつけたようで、井﨑さんに「今度は他校と一緒にスポーツ大会を開催したい」とリクエストしてきた。そうして任期の終盤には、配属校を含む5校による、フットサルを中心とするスポーツ大会が実現。準備のやり方は運動会のときと同様、配属校の生徒が体育の授業で競技の腕を磨いては、他校を回って指導するというものだった。
「ぼくは体育教員になったら、この種目を教えたいと思っている。その道具はどうやったら手に入るのか、教えてほしい」。井﨑さんの帰国直前、運動会とスポーツ大会を経験した生徒のなかには、こう尋ねてくる生徒もいた。彼らが以後も運動会を継続してくれるはずだと思えた瞬間だった。

知られざるストーリー