同僚たちの得意技を引き出し、「指示待ち」の
状態からの脱却を後押し 〜青少年センター〜

佐藤葉月さん(ラオス・青少年活動・2016年度2次隊)の事例

子どもたちに課外活動の場を提供する施設に配属された佐藤さん。プログラムの支援に取り組む一方、同僚たちが内に秘めていた「より良い施設にしたい」という思いを後押しする役回りも果たした。

佐藤さん基礎情報





【PROFILE】
1986年生まれ、新潟県出身。2010年に米サンディエゴ州立大学を卒業し、不動産投資系の会社に就職。16年10月、協力隊員としてラオスに赴任。18年10月に帰国。

【活動概要】
ルアンパバン子ども文化センター(ルアンパバン県ルアンパバン郡)に配属され、主に以下の活動に従事。
●伝統芸能の保存活動の支援
●日本語や日本文化の授業の実施
●工作などの授業の支援
●英語の指導


 ラオスには「子ども文化センター」と名付けられた施設が各地にあり、小学生から高校生に無料で課外活動の場を提供している。佐藤さんが配属されたのはそのうちのひとつで、ルアンパバン県にあるもの(以下、「センター」)。着任当時、専属の教員7人によって図工や音楽など各種プログラムが行われており、平日は約20人、休日は約100人が利用していた。

子どもたちが伝統文化の継承者に

伝統芸能の人形劇「イポック」の人形を持つ「センター」の子どもたち

佐藤さんが担当した日本語授業の様子

日本語授業のなかで浴衣を経験する子どもたち

 同県はユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されている旧市街がある古都で、国内最大の観光地。そうした環境を生かして「センター」で行われていたのが、「イポック」と呼ばれる伝統芸能のプログラムだ。イポックは棒で操る人形で民話などを演じるもので、同県が発祥の地。演じ手の高齢化により廃れてしまうおそれがあったなか、センター長の指導のもと、「センター」の子どもたちが継承者を目指して練習を重ね、ときおり「センター」内や観光ホテルなどで観光客を相手に披露していた。
 佐藤さんの着任は、ちょうど観光シーズンが始まる時期。そこで、このイポックのプログラムをサポートすることが、最初の活動となった。武器となったのは、米国留学で培った「英語力」だ。英語が得意ではなかったセンター長からの依頼で、ラオス語から英語へのセリフの同時通訳や、イポックの概要と各演目のストーリーを英語で伝える外国人向けパンフレットの制作などを請け負った。
 任期を通して佐藤さんのメインの活動となったのは「日本語」の授業。開始は着任の3カ月後だ。「センター」の子どもが日本を訪れ、日本の高校生と交流するプログラムが実施される見込みとなり、にわかに日本語学習の熱が高まったのだった。時間割に新たに組み込まれた日本語の授業は週に3コマ。佐藤さんはそこで一教員として、ときに書道など日本文化の紹介も交えながら日本語の指導を進めていった。
 子どもたちの日本行きが叶ったのは、佐藤さんの任期終了まで残り3カ月ほどという時期だ。訪れた先々では、イポックの上演も実施。それについては事前にセンター長と打ち合わせを重ね、クオリティを上げるための工夫をした。そのひとつが、「同時通訳」をやめ、舞台脇のスクリーンにセリフやト書きの日本語訳を流すという方法に替えたこと。劇のテンポが同時通訳で乱れることのないようにするための改良である。これが思いのほか有効だったことから、以後、ラオス国内で上演する際にも、舞台脇のスクリーンに英語訳を流す方法を導入。それにより、佐藤さんが帰国した後も、外国人観光客にストーリーを理解しながら楽しんでもらえる上演を続けることが可能になったのだった。

同僚たちの間の「潤滑油」に

 以上のように個々のプログラムの支援に携わるかたわら、佐藤さんは「センター」の運営体制をより良くするための支援にも力を入れた。
 着任当初、カウンターパートにあたるセンター長と二人三脚でイポックのプログラムに取り組むことが活動の中心だった。そうして彼女との関係が深まる一方、ほかの同僚たちとは「センター」に関する話をするチャンスがなかなか見つけられなかった。彼女たちはそれぞれの担当授業を単独で行っていたうえ、「センター」は「トップダウン」の傾向が強く、同僚たちが「センター」をより良くするために意見を交換し合うという風土がなかったからだ。
 そこで佐藤さんは、一緒に食事をするときなどに、「センター」の運営に関する彼女たちの考えを探ることにした。その際に気を付けたのは、自分はあくまで「外部者」として中立の立場にある者であり、センター長ばかりに肩入れするつもりはないのだと理解してもらうこと。すると同僚たちは、「こうすれば『センター』はより良くなる」という考えを内に秘めていることが見えてきた。たとえば、「ウェブサイトの編集は外国人ボランティアに任せっ放しにすべきではない」といった意見だ。
 そうして彼女たちの仕事に対する熱意を確信した佐藤さんは、その熱意が発揮できるようにするための支援に取り組もうと考えるようになった。その具体的な策のひとつは、同僚たちの「得意技」を生かす道をつくることだ。
「センター」では従来、授業を担当する教員が休みの際、センター長からの依頼で佐藤さんや同僚が代わりにその授業を担当することもあった。しかし、センター長が不在のときは「指示待ち」の状態となり、その授業の子どもたちは放っておかれていた。一方、同僚たちにそれぞれの「得意技」を尋ねてみると、たとえば「演劇」の授業を担当していた同僚が実は「工作」も得意であること、あるいは「英語」の授業を担当していた同僚は「歌うこと」が大好きであることなどがわかった。そこで佐藤さんは、センター長の依頼で休みの教員の授業を代わりに担当する際、「私にはわからないことがある。同僚の手を借りても構わないですか?」とセンター長に相談。その了承を取り付けたうえで、そのアクティビティが得意な同僚を授業に勧誘した。すると彼女たちは、子どもたちが生き生きとする授業を実現するのだった。
 そうしたことが度重なるうちに、やがて同僚たちの間には「自発的に動いていこう」という意識が醸成。そうして、センター長が不在のときには休みの同僚の授業をほかの同僚が進んで担当するようになったのだった。

事例のポイント!

「外国人」の立場を生かした役回りを!!
下の人間が上の人間に意見を言いづらいという配属先もあるだろう。外部者である協力隊員には、両者の間の風通しを良くし、「ボトムアップ」の職場改善を促す役目を果たすことができる。

知られざるストーリー