語学力不足からの「だんまり」で
「インターン」扱いをされるように 〜自己PR〜

相馬千春さん(グアテマラ・美容師・2016年度4次隊)の事例

職業訓練校の理容美容科に配属された相馬さん。趣味の「ダンス」などが同僚や生徒との間の距離を縮めてくれたが、他方、語学力不足から会議で発言できなかったところ、「インターン」のように扱い始める同僚も現れてしまった。

相馬さん基礎情報





【PROFILE】
1986年生まれ、東京都出身。美容学校を卒業後、美容室に約10年間勤務。2017年3月、協力隊員としてグアテマラに赴任。19年3月に帰国。

【活動概要】
非営利団体の「職業訓練庁」が各地に置く職業訓練校のひとつ、ウエウエテナンゴ校(ウエウエテナンゴ県)の理容美容科に配属され、主に以下の活動に従事。
●美容コースの授業のサポート
●理容コースの授業のサポート
●地域の美容院での技術指導


任期序盤の一枚

着任の約1週間後、同僚(中央)が自宅での昼食に招いてくれたときの1枚。相馬さん(右)の当時のヘアスタイルは、左半分だけを刈り上げた奇抜なものだったが、これが同僚や生徒たちとの関係づくりに役立った

 相馬さんが配属されたのは、職業訓練校の理容美容科。1年制の美容コースと6カ月制の理容コースがあり、約20人のクラスが前者には4つ、後者には1つ設けられていた。各クラスに教員が1人ずつ配置されており、相馬さんに求められていた活動は、彼らが行う授業のレベルアップを支援することだった。任期を通じて活動の柱となったのは、美容コースの各クラスの授業に入り、同僚たちが持たない技術を代わりに教えたり、彼らの技術の誤りを正したりすることだ。

「ダンス」と「ヘアスタイル」が奏功

相馬さん(左端)は、美容コースの新入生を対象にしたヘアセットの基礎を教える短期集中セミナーを担当。写真は、セミナーの最後にマネキンを使ったコンテストを行ったときのもの

 任期の序盤、同僚や生徒との関係づくりで思いがけず威力を発揮したものが2つあった。そのひとつが「ダンス」だ。相馬さんは派遣前、中南米の国々でメジャーなラテンダンスである「サルサ」に熱中していた。そこからラテン文化に興味を持ったことが、協力隊への参加を志したきっかけでもあった。美容技術について語れることは、美容師隊員として派遣されている以上、当たり前のこと。同僚や生徒に自分への興味を持ってもらうためには、美容技術以外の得意技を見せることが有効だろう。そう考えた相馬さんは、任期の序盤、参加していた授業で生徒たちの集中力が途切れ始めたタイミングに、「ダンスタイム」の挿入を提案。すると、同僚たちもおもしろがって賛同し、音楽をかけながらみんなでサルサを踊る「ダンスタイム」が実現した。すると、鍛えられた相馬さんのダンスに、同僚や生徒は驚嘆。彼らに相馬さんの存在を印象づけることができたのだった。
 同僚や生徒との関係づくりで威力を発揮したもうひとつのものは、相馬さんの着任時の「ヘアスタイル」だ。左半分だけを刈り上げるという、奇抜なものである。「現地の人たちの興味を引こう」という意図で選んだヘアスタイルではなかった。以前からインパクトがあるヘアスタイルを好んでおり、左半分だけを刈り上げるヘアスタイルは、派遣の3、4年前から続けていたもの。協力隊員として赴任する際、「現地の美容師にカットを任せてもうまくいかないかもしれない。刈り上げなら自分でできる」と考え、ヘアスタイルを変えなかったのだった。
 グアテマラでも見かけないヘアスタイルだったが、意外だったのは、同僚や生徒たちは奇異の目で見るのではなく、「そのヘアスタイルはあなたが自分で考え出したの?」などと、興味津々で質問を投げかけてきたことだ。なかには、「先生と同じヘアスタイルにしたい!」と言い出す生徒もいた。「良いチャンスだ」と考えた相馬さんは、右半分は相馬さんがカットし、左半分の刈り上げはほかの生徒に挑戦させてみた。すると、「私も!」という生徒が続出。そうして一時期、相馬さんと同じヘアスタイルが美容コースの生徒たちの流行となり、同時に相馬さんと生徒たちの間の距離も一気に縮まったのだった。

「カット」と「髭剃り」の指導ばかりになっていた理容コースでは、「ブロー」などほかの技術を教える短期集中セミナーを相馬さんが担当。写真は、セミナーの最後に実施したヘアスタイル・コンテストの様子

理容コースのヘアスタイル・コンテストの優勝作品

相馬さん(右)は、配属校の卒業生たちが開いている美容院でも技術指導を実施。「集客力アップ」の秘訣などを伝えた

「インターン」扱いをする同僚も

 以上のように、同僚や生徒の多くとの関係づくりは良好に進めることができた相馬さんだったが、一部の同僚だけは関係づくりに難儀した。
 配属校では、「全校」や「科単位」などさまざまな規模の職員会議が、いずれも四半期に1度のペースで開かれていた。理容美容科の職員会議に相馬さんが初めて参加したのは、着任してまもない時期。スペイン語の力がまだ不十分だったため、同僚たちの発言が聞き取れず、交わされている議論の内容が理解できない。結果、「チイはこの件についてどう思う?」などと学科長が振ってくれるものの、相馬さんは1度も発言することができなかった。するとその後、同僚のひとり(以下、Aさん)があからさまに相馬さんをアシスタントのように使おうとするようになってしまったのだ。たとえば、Aさんの授業に相馬さんが入ると、生徒に披露するカットのデモンストレーションをすべて相馬さんに押し付け、自分は椅子に腰掛けて休んでいる。そのため、Aさんの技術の問題を知ることもできない。ほかの同僚は、自分が知らない技術のデモンストレーションだけを相馬さんに委ねてきていたので、Aさんの態度がおかしいことはすぐにわかったが、当初は角を立てずに断るだけのスペイン語力がなかったことから、しばらくは言われるままにデモンストレーションをこなしていった。
 やがてスペイン語力が伸びてくると、相馬さんは勇気を出して「これはあなたの授業なので、デモンストレーションはあなたがやるべきでしょう」と詰め寄った。しかし、いったん定着してしまった関係性は容易に変わらず、「あなたの技術を見たいのだ」などとはぐらかされるばかりだった。
「Aさんは私のことを『インターン』のような者だと見ているのだ」。そう思い当たったのは、任期が後半に入ったころだ。グアテマラで活動する米・平和部隊の友人からこんな話を聞いたのがきっかけだった。
「グアテマラの人たちに『私はボランティアです』と自己紹介すると、『インターン』のように見られ、なめられてしまう。そのため平和部隊の者は、『私はエンジニアです』などと『職種』や『資格』で自己紹介するようにしているのです」
 相馬さんは着任時、「私は日本から来たボランティアです」と自己紹介していた。そのうえ、会議でひとつも発言できない姿を見れば、「この子はインターンのようなものだろう」と捉える人がいるのも無理はなかった。
 語学力にまだ自信がない時期であっても、会議の議題を事前に聞き出し、あらかじめ自分の発言の台本をつくって会議に臨めば、「できる人だ」と印象づけられたはず——。これが相馬さんの反省だ。

相馬さんの事例のPoint

語学力不足は「準備」でカバー
語学力に不安のある任期序盤は、どうしても「発言」を控えがちになってしまうもの。会議など、ここぞという場面で自分をアピールするためには、事前に「台本」をつくるなどして、「発言」のチャンスを逃さないことが重要だろう。

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