配属先外での人脈づくりは早々からすべきだったと後悔
〜ネットワークづくり〜

千葉江里さん(ブータン・小学校教育・2016年度3次隊)の事例

小学校に配属され、美術教育の普及に取り組んだ千葉さん。「序盤から積極的に挑戦すべきだった」と後悔したのは、実りの多かった地方の小学校に赴いての活動だ。

千葉さん基礎情報





【PROFILE】
1993年生まれ、宮城県出身。共立女子大学でグラフィックデザインとプロダクトデザインを学び、中学校と高校の教員免許状(美術)を取得。2017年1月、協力隊員としてブータンに赴任。19年1月に帰国。

【活動概要】
ズィリオン・ナムゲリン小学校(ティンプー県ティンプー市)に配属され、主に以下の活動に従事。
●美術授業の実施
●美術クラブの運営
●他校における美術教育のワークショップの実施(他隊員との協働)


任期序盤の一枚

千葉さんが配属校で行った5年生の美術授業。人形劇の短編映画づくりに取り組んでいる。任期序盤は配属校での授業に力を注ぐ一方、「地方での美術教育の普及にも携わりたい」との思いを募らせていた

任期終盤に千葉さんが配属校で開いた美術作品の展示会。児童が授業でつくりためてきた作品を、クラスごとにまとめて展示した

 ブータンの小学校のカリキュラムに美術教育が導入されたのは2013年。国内にはまだ美術教員を養成する機関はなく、教育省による美術教育のワークショップを受講した小学校教員が美術授業を行い、それぞれの配属校の美術教育を推進する役を担うこととなっている。そうした教員は、多くの場合、ほかの教科の授業との掛け持ちだ。
 千葉さんが配属された小学校でも、従来、美術授業は教育省のワークショップに参加したことのある教員が担当していたとのことだった。しかし、その教員もやはりほかの教科の授業を掛け持ちしているため、千葉さんの着任以降は校長の意向により、千葉さんが美術授業を一手に引き受けることとなった。
 当初はクラス担任とのチームティーチングで美術授業を行い、彼らに技術を伝達していこうと考えた。しかし、同僚たちは皆、多くの授業を抱えており、美術授業の負担が加わるのを快くは受け止めない。そうして「単独で授業を進めていくしかない」と千葉さんが腹を決めたのは、着任して半年ほど経ったころだ。

地方出張の実現

 千葉さんは着任当初から、サブの活動として「地方」の小学校でも美術教育の普及に取り組んでみたいと考えていた。地方の小学校は、材料の入手しやすさなど美術教育の環境が首都ほど恵まれておらず、支援の必要性がより高いだろうと考えたからだ。そうして任期の序盤から、校長に「地方の小学校に行ってみたい」と伝えてみるものの、なかなか認めてもらえなかった。ブータンは主要都市の間に「峠」があり、地方に行くとなると、最低でも往復の移動だけで3、4日を要してしまう。そのため、千葉さんの1回の地方出張で美術授業に開く穴が大きかったのだ。
 ようやく地方出張が実現したのは、着任して7カ月ほど経ったころだった。美術授業の普及に取り組むほかの小学校教育隊員が、その配属校で教え子たちの美術作品の展示会を開催。それをサポートすることが、千葉さんの出張の目的だった。展示会の日程が固まると、千葉さんは出張申請書を作成し、校長に提出。すると、校長は思いのほかスムーズに出張を認めてくれた。
 校長が地方出張を認めてくれたのは、それまで全力で授業に取り組んできた千葉さんに、厚い信頼を寄せるようになったからだと考えられた。しかし千葉さんは、当初から校長に「協力隊員として、この国全体の美術教育のために貢献したい」という思いを明確に伝えることができていれば、もっと早くに地方出張を認めてもらうことができたのかもしれないとの後悔も感じた。なぜなら、地方出張の実りが多かったからだ。最大の実りは、自分の配属校について客観的に評価できるようになったことだ。たとえば、「人材」についての評価。それまで千葉さんは、「同僚たちは美術教育に関心を持ってくれない」という不満を抱えていた。ところが、地方の小学校の教員と交流してみると、実は自分の配属校には教員としての資質が高い人たちが集まっているのだと実感できたのだ。同僚たちは、自分の責務に熱心であるがゆえに、専門外である美術教育へと中途半端に手を広げることをためらっているのだ——。千葉さんはそう考えられるようになり、以後は遅ればせながら、配属校での活動に高いモチベーションを持って取り組むことができるようになった。

地方で出会った逸材

美術授業のワークショップを行った地方の学校の児童と千葉さん。小麦粉粘土で千葉さんの名前の作品をつくってくれた

地方の学校に赴いて行った美術授業のワークショップで、児童がつくった小麦粉粘土の作品

 初めての地方出張で意義を実感した千葉さんは、その後、美術授業の普及に取り組むほかの小学校教育隊員たちとともに、地方で行う協働の活動を積極的に企画。結局、千葉さんは任期中に以下のような4回の地方出張が叶った。(2)と(4)の対象校は、かつて協力隊員が美術教育の支援に取り組んだ小学校や、体育隊員の配属校、協力隊員が配属される予定の小学校などだ。
(1)着任の約7カ月後…前述の地方出張。
(2)着任の約8カ月後…ほかの小学校教育隊員たちとともに小学校2校を回り、各校の教員を対象とする美術教育のワークショップを実施。
(3)着任の約9カ月後…ほかの小学校教育隊員がその配属校で開催した、教え子たちの美術作品の展示会をサポート。
(4)着任の約20カ月後…ほかの小学校教育隊員たちとともに小学校4校を回り、各校の教員を対象とする美術教育のワークショップを実施。
「地方出張は、やはり任期のできるだけ早い時期に実現させるべきだった」。あらためてそう悔やんだのは、任期の最終盤に行った(4)の地方出張の際だ。任期中に千葉さんが出会った現地教員のうち、もっとも美術教育への熱意が強いと断言できるような人(以下、Aさん)が、このときの巡回先小学校にいたのだ。
 千葉さんが着任して半年ほど経ったころ、ブータンの美術教育のレベルアップを支援するJICAの「草の根技術協力事業」がスタート。その一環として日本で美術教育の研修を受けたブータンの小学校教員たちは、帰国後、日本で学んだことをほかの教員たちに伝えるワークショップを開くようになった。その受講者のひとりだったAさんは、ワークショップで学んだことをそのまま真似た授業を行うだけでなく、インターネットで情報を集めながら多様な工作課題を授業に取り入れたり、児童が授業でつくった作品の展示会を開いたりといった形で発展させていたのだ。
 もし、任期の序盤にAさんと出会っていれば、SNSなどでやりとりをしながら、協働できることについて共にアイデアをふくらませ、実践していくことができただろうというのが、千葉さんの後悔だ。たとえば、ブータンの美術教育について議論を交わす機会を設けたり、美術教育のワークショップを協働で開催したりすることも可能だっただろうと想像されるのだった。

千葉さんの事例のPoint

「出会い」は早めに
派遣国の将来を担うような人材が相手ならば、活動を共にしたり、技術を伝達したりする楽しさは格別だろう。そんな人材と少しでも長い時間を共有するためには、任期の序盤から出会いのチャンスを積極的に探ることが必要だ。

知られざるストーリー