「職員会議」の導入により、
職場の環境改善が促進

村島正江さん(ソロモン・看護師・2016年度4次隊)の事例

医療施設に配属され、地域住民への保健に関する啓発などに取り組んだ村島さん。「職員会議」の定例化を提案・実現したところ、施設の衛生管理の改善へとつながった。

村島さん基礎情報





【PROFILE】
1978年生まれ、滋賀県出身。病院の看護師や、小規模多機能型居宅介護支援事業所の介護支援専門員兼看護師として働く。2017年3月に協力隊員としてソロモンに赴任。19年3月に帰国。

【活動概要】
セゲ地域診療所(ウエスタン州)に配属され、主に以下の活動に従事。
●配属先の業務の支援
●配属先スタッフによる月例会議の企画・実施
●保健に関する住民への啓発活動の実施


村島さんと同じ教会に通う住民を相手に行った、BMIや栄養に関する啓発講習

 ソロモンでは、ひとつの州が「ゾーン」と呼ばれる行政区画に分けられ、各ゾーンに基幹の医療施設として「病院」や「地域診療所」が置かれている。村島さんが配属されたのは、約1万5000人という人口規模のゾーンに置かれた地域診療所だ。配属先の医療スタッフは、統括する看護師長以下、助産師、正看護師、看護助手、薬剤師など計10人ほど。そのほか、清掃員、運転手が1人ずつ配置されていた。
 村島さんの活動は二本柱。ひとつは、保健に関する住民への啓発活動だ。配属先の事業には、管轄地域の小学校を回り、児童を対象にワクチンの接種や健康診断を行うこと、および僻地の村に赴き、そこの住民に診療を行うことが組み込まれていた。村島さんはそうしたアウトリーチに同行し、訪問先の児童や住民を対象に「手洗い」や「生活習慣病」などに関する啓発講習を行った。
 村島さんの活動のもうひとつの柱は、配属先の業務改善への支援。当初から「現地の人とともに働く」をモットーにしていた村島さんは、同僚たちと同じ業務をこなしながら、そのなかで見えてきた問題点につき、改善に向けた働きかけをした。

院内感染のリスク

配属先のベッドのシーツを川で洗う同僚たち

 村島さんが配属先の業務について問題だと感じたことのひとつは、「院内感染」のリスクだ。配属先内には各所にゴミ箱が置かれ、傷の処置に使った血が付いた脱脂綿など、院内感染につながるゴミが入れられていた。ゴミ箱に溜まったゴミは、配属先の建物の近くにある海辺のゴミ処理場に持っていき、同僚たちがみずから埋めたり、燃やしたりして、処分することとなっていた。しかし、配属先内のゴミ箱には何日にもわたってゴミが溜められ、満杯になってからゴミ処理場に運ばれていた。感染の危険性があるゴミが長い間配属先の施設内に留められていれば、それだけ院内感染のリスクは高まる。
 ゴミ箱にゴミを溜めてしまう原因のひとつに、「草刈り」があった。配属先の建物からゴミ処理場までの通路は舗装されておらず、放っておくとすぐに雑草が伸びて歩きづらくなる。配属先の清掃員はシーツの手洗いなどほかの作業で忙しいため、草刈りは従来、「気になった人がやる」という習慣になっていた。しかし、自発的にそれを引き受ける同僚は少なく、たいていは看護師長がひとりでやっているような状態だった。結果、その道は雑草が伸び、歩きづらくなる期間が長くなり、ゴミを運ぶのが億劫になってしまうのだった。また、雑草が伸びていれば、マラリアを媒介するハマダラ蚊をおびき寄せることとなるため、来院する患者のマラリア感染のリスクを高めることにもつながってしまっていた。
 ゴミ処理の問題について、村島さんは同僚たちに個別に意見を伝えてみた。しかし、改善に向けた行動にはつながらない。かといって、村島さんは自分で草刈りをやってしまうことは差し控えた。自分が帰国した後、元の不衛生な状態に戻ってしまうことが目に見えていたからだ。
 そうしたなか、問題解決の足がかりとなったのは、村島さんの働きかけで実現されるようになった、配属先スタッフによる「職員会議」だ。

配属先の建物から海辺のゴミ処理場へと続く道で草刈りを行う同僚たち

配属先の外観

村島さんが作成した職員会議開催の告知ポスター

草刈りの習慣が定着

 従来、看護師長が外部の会合に参加しても、そこで仕入れた情報が配属先内に共有されるということがなかった。そうした情報共有の機会をつくる必要性を感じていた村島さんは、着任の半年後、自身の活動計画を立てるために看護師長と話し合った際、「職員会議を開きませんか」と提案した。すると彼は、「私もやりたいと思っていた」と賛同。彼はかつて開催を試みたことがあったが、一部のスタッフにしか参加してもらえなかったようだった。現地の人たちには、「相手に何かを強く要求し、人間関係に軋轢を生むこと」を避ける傾向にあり、看護師長も不本意ながら会議の開催をあきらめてしまっていたのだ。そうしたなかで村島さんは、いずれ去る「よそ者」の立場を生かし、人間関係の軋轢を恐れずに同僚たちに会議への参加を呼びかける役目を担うこととなった。
 会議は月に1度、検診などが入っておらず、比較的業務量が少ない水曜日の朝9時から行うこととなった。村島さんは開催の数日前に告知の紙を配属先内に掲示。その後、同僚たちに何度も口頭でリマインドした。同僚たちが住んでいるのは、配属先の脇に立つ社宅。会議開催の当日は、彼らの家を回って出席を求めた。嫌がられはしたものの、その時期にはすでに同僚たちとの信頼関係が出来上がっていたため、「マサが言っているから仕方ない」と、みな重い腰を上げてくれるのだった。
 職員会議の導入にはいくつもの効果があった。そのひとつが、「ものごとの決定」がはかどるようになったことだ。同僚たちの勤務が夜勤を含むシフト制だったこともあり、従来、全員の都合を取りまとめて「学校訪問の日」や「巡回診療の日」などを決めるのに時間を要した。ところが、会議でこれらを議題にあげると、その場で決まるのだった。
 ゴミ処理の問題についても同様だ。村島さんがこのテーマを議題にあげると、「定期的に全員で草刈りをする」「毎勤の終わりに、ゴミ箱に溜まったゴミをゴミ処理場に持っていく」といったルールが、会議で難なく決まっていった。みんなで顔を付き合わせて決めたことであるため、同僚たちには「守らなければならない」という責任感が生まれ、実践も確実になされた。
 職員会議をきっかけに業務改善が進み、その意義が実感できるようになると、同僚たちは村島さんに尻を叩かれずとも会に出席するようになっていった。そうして、職員会議は村島さんの任期終了まで途切れることなく継続した。同僚たちは3、4年で異動となるのが通常。「会議で職場を改善していく」という習慣が、彼らの異動によって他の医療施設へと伝播していくことも期待される。

知られざるストーリー