日系日本語学校に配属され、日本語の授業を担当した大野さん。日系3世の生徒たちと、彼らの祖父母にあたる日系1世の世代とをつなぐことを目的に、「日本語キャンプ」を開催した。
【PROFILE】
1989年生まれ、京都府出身。横浜国立大学を卒業後、金融系企業に入社。2015年、国際交流基金アジアセンターが実施する“日本語パートナーズ”派遣事業でインドネシアに赴任。16年6月、日系社会青年ボランティアとしてブラジルに赴任。18年6月に任期を終えた後、日本の商社がブラジルに置く事務所に勤務。
【活動概要】
N.S・ラーモス日本語学校(サンタカタリーナ州)に配属され、主に以下の活動に従事。
●日本語授業の実施
●日本文化の授業の実施(書道、折り紙、歌など)
●移民学習の実施
●「日本語キャンプ」の企画・運営
●日系社会の活動への参加(和太鼓クラブ、運動会、夕食会など)
大野さんが派遣されたのは、戦後に日本人の入植が始まったラーモス移住地。そこの日系団体「N・S・ラーモス日伯文化体育協会」が運営する日本語学校「N・S・ラーモス日本語学校」が配属先だ。大野さんの着任を受けて生徒の追加募集が行われ、着任後まもなく生徒数は30人程度の水準になった。同移住地には当時、約30家族の日系人が暮らしており、生徒の約3分の2はその子弟たち。大半が、すでにポルトガル語が母語となっている日系3世だ。残りは、日本に興味を持つ地域の非日系人だった。生徒の年齢は小学校低学年から成人までと幅広く、日本語能力にも初級から上級までばらつきがあった。
従来、授業をメインで担当し、大野さんのカウンターパートとなったのは、日本滞在歴もあって流暢に日本語を話す日系2世の女性(以下、CP)。ほかに、4人の日系2世がボランティアでアシスタントを務めていた。いずれも日常会話程度の日本語が話せるという理由で配属先から依頼を受けた保護者や関係者だ。
生徒を年齢層やレベルにより8クラスに分け、1コマ90分の授業がそれぞれ週に2コマずつ実施されていた。現地語のポルトガル語を媒介言語として使う「間接法」で授業が行われており、大野さんは着任当初、授業で使いこなせるだけのポルトガル語の力がなかったことから、CPやアシスタントたちとのチームティーチングで授業を実施した。
大野さんが当初、配属先から要望されたのは、生徒が「日本文化」に触れる機会を積極的に提供する役目だ。日本文化に触れることは、日本語学習の意欲の向上にもつながると考えた大野さんは、配属先の要望に応えようと、書道や折り紙など日本文化を楽しく学べる授業の実施に力を入れた。
しかし、任期の半ばに転機が訪れる。自身のそれまでの活動の振り返りと、以後の活動の方針立てについてCPやアシスタントと話し合うタイミングで、配属校で定期的に行われていた「保護者会」が開催された。そこでわかったのは、生徒の日本語能力がどれほど伸びているのかが保護者には見えにくく、学校に通わせる意義を彼らは確信しづらいという事実だ。その点は、生徒たちにとっても同じはずだと大野さんは思い当たる。「楽しい時間を過ごせる」というだけではなく、生徒が自身の日本語能力の向上を感じられる機会をつくらなければ、彼らの日本語を学ぶ意欲は中途半端なものに終わってしまう。
そう考えた大野さんが、「日本語能力の向上を感じられる機会」を創出するためにとった策のひとつは、毎回の授業への「復習テスト」の導入。もうひとつは、保護者会の半年後に開催が予定されていた「日本語能力試験(P6の注釈参照)」を生徒たちの達成目標に据えて授業を行うことだ。
日本語能力試験の受験を希望したのは、中学生から成人までの計7人。いずれの生徒も初めて挑戦するものであり、受験したのはもっともやさしいレベルのN5である。受験のハードルとなったのは、遠方にある試験会場までの交通費と宿泊費の捻出方法だった。大野さんたち教員陣は保護者の協力を仰ぎ、地域のイベントで生徒たちとともに「うどん」などを調理して販売。その売り上げを足しにすることにより、受験が叶った。
日本語能力試験の結果は、7人中3人が合格。彼らは案の定、日本語を学ぶことへの意欲をにわかに高め、日系社会の次世代を担う人材を日本に招へいして研修を行うJICAのプログラム「日系社会次世代育成研修」への応募を試みるなど、次の学びのステップを自ら開拓するようになったのだった。
前述の保護者会では、「生徒たちが教室の外でも日本語を話す機会を増やすことができないか」という意見も出た。そうした機会の設定を、配属校の継続的な仕組みとして定着させようとの目論見で大野さんが任期の終盤に企画したのは、1泊2日の「日本語キャンプ」。生徒たちが、日本語を母語として生きてきた日系1世たちとあらためて交流を図る目的の催しだ。大野さんはそれまでの日系人との付き合いのなかで、日系人の家庭では、日本語を母語とする祖父母が身近にいるにもかかわらず、その環境が日本語学習に生かされておらず、家庭内ではむしろ継承語教育は難しいものであるということを知っていた。両者をつなぐ催しを定例化することで、生徒たちが家庭のなかで祖父母と日本語を使ってコミュニケーションを活発にしたいと、大野さんは考えたのだった。
キャンプに参加した生徒は、小・中学生を中心とする14人。ここでも保護者たちに手を借り、1日目の夜は、手作りのカレーを食べるキャンプファイヤーを実施。あくる日には、日系1世の人たちに講師となってもらい、「華道」や「茶道」などを生徒たちが体験した。後日、生徒たちは講師となってくれた日系1世の人たちに日本語のお礼状を贈った。
「来年も日本語キャンプはあるのですか」。生徒たちがそう尋ねてくるほど、彼らは「新たに出会った日本」に楽しさを感じたようだった。日本から海をわたってきた日系1世、大野さんの教え子である日系3世、そしてその保護者にあたる日系2世たち。大野さんが果たしたのは、「外部者」だからこそ可能な、彼らの間の関係をつなぎ直す「潤滑油」としての役割にほかならない。
根気よく擦り合わせを!
日系社会での活動で重要なことは、日系人をはじめとする関係者といかに良い関係を築くことだと思います。彼らが従来継承してきた社会づくりの流れを尊重しつつ、「プラスα」として貢献できる変化を探ってみてください。