JICA Volunteer’s before ⇒ after

川野歩美さん(バングラデシュ・コミュニティ開発・2013年度2次隊)

before:航空貨物輸送代理店 社員
after:農家民宿 経営者

 東日本大震災がきっかけで「自分の暮らしを自分でつくる」ことを考え始めた川野さん。青年海外協力隊に参加し、活動先の農村で、人々が助け合い幸せをわけ合いながら生活する姿を見て、自身も地域で暮らしたいと感じるようになった。帰国後、地域おこし協力隊として徳島県神山町(かみやまちょう)に移住し、任期満了後、同町で農家民宿を経営している。

ボランティアは押し付け?

[before]袋で栽培できる野菜の育て方のデモンストレーションを行う川野さん

 高校生の頃、反日運動のニュースを見て、中国映画が好きだった川野さんは悲しい気持ちになった。同時期に韓流ブームがあり、文化交流で国同士は仲良くなれるのではないかと思い、大学で国際文化学を学び、上海に留学。大学卒業後は、中国語を生かして働ける東京の航空貨物輸送代理店に就職した。
 入社1年目の業務中、東日本大震災が発生。停電し、店から食料が消えたとき、川野さんが思ったのは「自分で自分の暮らしをつくれていない」ということ。その後、東北の被災地の状況を人ごとだと思えず、ボランティア活動に参加する。それまでボランティアは「偽善」や「一方通行な押し付け」という印象もあったが、現地で清掃活動をしていると、小学生があいさつを、地元の人が労いの言葉をかけてくれた。当時を振り返り、「私の方が元気をもらいました。ボランティアとは双方向なもので、何かをわかち合うものなのだと感じました」と川野さんは話す。
 勤務先には海外勤務を希望して就職したが、しばらくして会社の方針から難しいと気づいた。そんなとき、電車で協力隊募集の中吊り広告を見て、参加を決意。双方向の活動ができるコミュニティ開発の職種で応募して合格。バングラデシュへの派遣が決まった。
 川野さんは、バングラデシュで土地を持たない農家や少数民族などの貧困層を対象に、生活向上のための支援を行うNGOに配属され、コンポストや野菜づくりなどによる生計向上活動には取り組んだ。同国は、南アジア最貧国とも言われ、川野さんも現地に行くまで悲壮感漂うイメージを持っていた。ところが活動で村を訪ねると、人々は明るく、人懐っこく、また人をもてなす。子の誕生や、自分の誕生日には、喜びを持つ人が他の人にお菓子を配る。家族と近所の人との壁も低く、互いに協力し、助け合っていた。配属先のNGOでは、足に障害のある人が働いていたが、当たり前のように周囲が助けることで、建物も道路もバリアフリーではないのに問題なく通勤し、働いていた。できることは助け、幸せはみんなでわけ、人に与えることで自分も幸せになる。「私もわけ合って生きていきたい」、川野さんはそう感じた。

自分の暮らしを自分でつくる

[after]徳島県神山町にある、農家民宿「moja house」。mojaはベンガル語で「おいしい・楽しい」の意味。神山町の郷土料理やバングラデシュのカレーづくり体験、精進料理の会なども開催している。料理を教えてくれたのは、バングラデシュや神山町の「お母さん」たち。自らを「食いしん坊」という川野さんは、町の人からご飯に誘われたときは喜んでご一緒するという。「町の人と、野菜の植えどきや、かぼちゃのおいしい炊き方、ムカデの退治の方法など、たわいもない話をする時間が好き。バングラデシュで生活していたときもそういう時間が好きでした」と川野さんは話す

 帰国後は、バングラデシュのように地域の人とコミュニケーションをとりながら働くことを希望していた。そんなとき、神山町で特産品のすだちや梅を使った地域おこし協力隊の募集を知り、同町への移住を決意する。神山町の魅力を川野さんは「自然溢れる山間部にあるので、水も野菜もお米もおいしい。何より人が温かい。『お遍路』の文化があるからか、訪れる人を歓待してくれる」と話す。地域おこし協力隊の活動で、神山町の魅力を知る一方で、気になったのは安価で気軽に泊まれる宿が少ないことや人口減少による農業や祭りの担い手が不足していること。そこで神山町の魅力を体験する場を提供し、人手不足の解消につながればと農家民宿の開業を決めた。
 2018年に現在の宿兼住居となる古民家を借り、1年かけて改装。19年に開業した。農家民宿を始めるには農家である必要があるが、川野さんは神山町に来てから田んぼを借り、米をつくる農家でもある。宿の周囲には畑もあり、そこで野菜を育て、すだちなど柑橘類の木の手入れをする。朝は畑と田んぼの様子を見て草を刈り、宿の予約が入っている日は、洗濯や掃除をして買い出しに行く。「田舎暮らしは草との戦い」と川野さんは言うが、その表情は晴れ晴れとしている。
 都会の生活との大きな違いを感じるのは、草刈りや祭りの開催など自分たちの地域のことは住民が当たり前のように行うこと。地域に溶け込んだ暮らしを望む川野さんにとって、地域の活動に参加し、地域の人と話をする時間はかけがえのないものでもある。
 開業して6カ月、現在の予約は知り合いが多いが、町の人の口コミや雑誌への掲載により予約が入ることも増えてきた。当面の目標は食料自給率を上げることだという。
「米と野菜の収穫量はまだ少なく、自給自足には程遠いので、収穫量も野菜の種類も増やしていきたいですね。また、田植え体験や料理教室の開催をとおして、神山の魅力を広めていきたい。宿に来たことで、お客さんが新しい出会いを体験したり、この町を好きになってもらえたりするのが私の幸せです」






川野さんのプロフィール

[1988]
千葉県出身。
[2010]
3月、大学卒業後、航空貨物輸送代理店に入社。
[2013]
10月、青年海外協力隊に参加(選択の理由:20代のうちに海外で働きたいという希望があり、中国赴任ができると思って入社したが、海外勤務は狭き門で、厳しい現実を知り、海外での活動ができる協力隊への参加を決める。)
バングラデシュのディナジプール県に本部があるNGOに配属され、農村の住民グループを対象にコンポストづくりや有機野菜栽培の普及、野菜の袋栽培の普及などの活動を行なった。
[2015]
10月、帰国。
[2016]
4月、徳島県神山町の地域おこし協力隊として、すだちの新しい食べ方を発信する「東京すだち遍路」という活動や、神山の町や人の魅力を紹介する「里山みらい新聞」の編集・執筆などを行う(選択の理由:地域で活躍する仕事を探し、移住フェアなどにも参加したが、神山町の魅力ある地域おこしの取り組みを知り、移住を決意。)
[2019]
4月、農家民宿「moja house」をオープン。

神山くらしの宿 moja house
住所:徳島県名西郡神山町神領字本小野363
開業日:2019年4月19日
アクセス:JR徳島駅から車で約1時間

知られざるストーリー