洪水対策の立案に必要な
ソフトの技術を指導

根木和幸さん(ブータン・防災・災害対策・2017年度1次隊)の事例

中央省庁の洪水対策担当部門に配属された根木さん。洪水対策の立案に必要な専門性の高いソフトの活用を、「難しい」との理由であきらめていた同僚たちだったが、彼らの技術向上への意欲を刺激したのは、すばやく習得してみせた根木さんの姿だった。

根木さん基礎情報





【PROFILE】
1987年生まれ、大阪府出身。大学院工学研究科の修士課程(土木工学専攻)を修了した後、建設コンサルティング会社に4年あまり勤務。2017年7月、協力隊員としてブータンに赴任。19年7月に帰国。

【活動概要】
ブータン公共事業省技術支援局洪水技術管理課(ティンプー県ティンプー市)に配属され、主に以下の活動に従事。
●同僚への技術指導(洪水予測シミュレーション、地理情報システムなど)
●オンライン・データベースの開発
●配属先が進める各種プロジェクトの支援


洪水の危険がある地域に赴き、住民(左)に河川の氾濫時の状況などについて聞き取りを行う根木さんの同僚たち

河川のプロファイルを作成するため、水深などに関する簡易調査を行う根木さんの同僚たち

 根木さんが配属されたブータン公共事業省技術支援局洪水技術管理課は、河川の洪水対策の立案やその実施を行う機関だ。着任当時、同課に配置されていたエンジニアは7人。いずれもJICAの技術協力プロジェクトの研修などで洪水対策の立案に必要な技術の基本を学んでいたが、実務経験が薄く、学んだ技術が活用されないままになっていた。たとえば、河川の水位や流域の浸水状況が雨量によってどう変わるかを予測する「洪水予測シミュレーション」の技術。洪水対策の立案では不可欠な作業であり、「HEC-RAS」という専用ソフトの使い方を同僚たちは研修で学んでいた。しかし、実務で使いこなせるようになろうという意欲を持つ人がおらず、配属先に導入されていたHEC-RASは宝の持ち腐れになってしまっていた。
 以上のような状況のなかで根木さんが取り組んだのは、洪水対策の立案に必要な技術を同僚たちに伝えることだ。
 着任後、根木さんが手始めに開始したのは、「ArcGIS」という地理情報システム(GIS/*)のソフトの使い方を教える定期講習会だ。洪水予測シミュレーションの結果をArcGISに取り込めば、洪水対策の事業で不可欠な「ハザードマップ」を容易に作成することができる。しかし、このソフトも配属先に導入されていたにもかかわらず、やはり使える同僚がいなかった。根木さんはHEC-RASを使ったことはなかったが、ArcGISは派遣前の仕事で慣れていたことから、その指導から活動を始めることにしたのだった。
 同僚たちは、根木さんの講習会に足を運んではくれた。しかし、ArcGISを実務で使えるようになるためには、講習で学んだ知識をもとに、操作の練習を重ねることが不可欠。同僚たちはその労を惜しんだ。「困難を乗り越えて、新たな技術を習得しよう」という意欲を阻んでいる原因は、「皆ができないのだから、自分もできなくて構わない」という、彼らの「横並び意識」にあると根木さんは感じた。同僚たちを取りまとめるチーフエンジニアでさえ、「HEC-RASは難しいから、使えるようにならなくても仕方ない」といったあきらめの姿勢を見せるのだった。

* 地理情報システム(GIS)…GIS は「Geographic Information System」の略。「人口」など、特定の「場所」と連関した情報(地理情報)を「地図」のデータに組み込み、地図上で地理情報を視覚的に表示することができるようにする技術。

「横並び」への安住からの脱却

 そうしたなかで変化のきっかけが訪れたのは、着任の約3カ月後。国連の気候技術センター・ネットワークの支援により、タイ・アジア工科大学の教員が講師となって主にHEC-RASの使い方について教える研修を、配属先の全エンジニアが受けることとなったのだ。そこに根木さんも参加することができた。
 研修の日程はわずか1週間。基礎を駆け足で学ぶ「詰め込み式」のプログラムだったが、学んだ技術を実際に使い、ひとつの地域の洪水の危険性を評価するプロジェクトを実施するという「宿題」が出された。その「宿題」を進めるなかで明らかになったのは、同僚たちと根木さんが「HEC-RASについてはほぼ初心者」という同じスタートラインに立って研修を受けたにもかかわらず、研修内容の理解度は根木さんばかりが抜きん出ているということだった。研修の講師は「宿題」のレポートの提出までにかかる時間を「3カ月」と予測していた。ところが、「宿題」を主導することになった根木さんが、研修で学んだ技術をスムーズに使いこなせたうえ、対象地域の住民へのアンケートの集計に同僚たちが扱えない「ピボットテーブル」というエクセルの機能を使うなどしたことから、作業が大幅にはかどり、2週間ほどで完了した。
 この一件により、同僚たちの根木さんを見る目がにわかに変わっただけでなく、彼らの「横並び意識」も崩れ始めた。チーフエンジニアは、「HEC-RASは難しいから、使えるようにならなくても仕方ない」との考えから脱却。同僚たちの技術向上を促すため、アジア工科大学での研修の「復習」となるような講習会の開催を根木さんに要望し、1週間にわたる講習会が実現した。すると同僚たちのなかには、講習会の内容に関して後に根木さんに質問を投げかけてくるなど、自習して「横並び」から抜け出そうとする同僚も現れてきたのだった。

HEC-RASとArcGIS使って根木さんが同僚とともに作成した洪水のハザードマップ。地図上に吹き出しで場所ごとの対策方針を表示している

タイのアジア工科大学で開催された洪水予測シミュレーションの研修

配属先の同僚を対象に洪水予測シミュレーションの講習会を行う根木さん


自尊心を刺激する

 その後、根木さんは講習会の開催やOJTによって、同僚たちへの技術指導を継続。そのやり方のなかで、意図したわけではないが、結果的に彼らの「横並び意識」をさらに揺さぶる効果があったのは、全員に同じことを教えるのではなく、各人の得意・不得意を踏まえ、教えることをそれぞれ変えるというものだ。
 根木さんは、HEC-RASやArcGISなど専門性の高いソフトだけでなく、ワードやエクセルなどベーシックなソフトの有用な機能なども、同僚たちが知らないものはなるべく伝えるよう努めた。しかし、全員を集めて講習会を開く頻度には限りがあったことから、「ワードの技術はこの同僚に伝える」など、技術の種類ごとに伝える相手を決め、業務の手が空いた時間を狙ってその「担当者」にマンツーマンのOJTをした。そのうえで、他の同僚からなにかしらの技術について「ここを教えてほしい」という依頼があった場合は、その技術に関する「担当者」に尋ねるよう促した。すると、根木さんから教わったことを他の同僚に教えることが「担当者」にとって復習の機会になったほか、「この分野に精通しているのは自分だ」という自尊心を刺激し、その技術をさらに伸ばすために努力しようという「担当者」の意欲へとつながっていったのだった。

根木さんの事例のPoint

「横並び意識」へ揺さぶり
「皆ができないから、自分もできなくて構わない」。そう安住している同僚たちに揺さぶりをかけることは、外部者である協力隊員に果たせる役割だろう。目を引くなにかしらの技術を示せば、技術向上への努力を始める同僚が現れるかもしれない。

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