活動中に東京2020出場予定の選手の指導をした協力隊員や、現在も指導中の協力隊員を紹介します。
●ザンビアナショナルパラリンピック陸上チーム(短距離・中距離)をサポート
のざき・まさたか●1995年生まれ、千葉県出身。2017年、日本体育大学体育学部を卒業後、同年9月に協力隊に参加。ザンビアの地方都市の中等学校にて保健体育の授業を担当した。19年9月、帰国。その後、公益社団法人青年海外協力協会に就職し、JICA地球ひろばにて地球案内人を務めている。
(写真はモニカ選手(右)と野﨑さん)
ザンビアで準備体操を教える野﨑さん
2013年に体育が新たに教科へ加えられたザンビアで、中高等学校の体育教員として系統立った授業の実施や、現地教員のサポート、教育実習生への指導などを行った野﨑雅貴さん。学校での活動に加え、月に1度、同国のナショナルパラリンピック陸上チームのトレーニングをサポートした。「指導経験はなかった」というが、日本の指導法や陸上競技に必要になりそうな筋力を鍛えるトレーニングなどを紹介し、選手をサポートした。
現在、モニカ・ムンガ選手の東京パラリンピック出場が決まっており、「東京大会では金メダルを獲得し、同じ障害を持つ人々を勇気づけたい」と意気込んでいるそうだ。他の選手たちもモニカ選手に続いて出場が決まるようトレーニング中で、「日本で活躍する姿を見ることが楽しみ」と野﨑さん。
現場にいたからこそ課題も感じた。ザンビアでは同じ陸上チームでも、オリンピックとパラリンピックチームでは、待遇や予算の差があると思える現状を目の当たりにした。予算の都合で、選手の交通費が払えず、週に2〜3回しかトレーニングが行えない。国全体で障害に対する理解が薄く、教育現場などから変えていくことが必要だと感じたという。
「オリンピックだけでなくパラリンピックが多くの人の心を動かし、障害者や障害者スポーツへの関心も高まることを期待しています」
●ケニア・バレーボール連盟にて女子代表チームの指導
かたぎり・しょうた●1987年生まれ、山形県出身。2010年、山梨大学教育人間科学部理科教育専修を卒業後、協力隊に参加(ウガンダ・小学校教諭)。12年8月に帰国。非鉄金属商社で営業を担当し、17年10月に米国に移住。私立学校などでバレーボールのコーチを務める。19年4月、2回目の協力隊に参加。
(写真は片桐さん(右)とコーチ)
ワールドカップバレー2019にて、女子バレーボールケニア代表チームとコーチ、片桐さん
ケニア国内のバレーボールの発展のために組織されているケニア・バレーボール連盟で、片桐翔太さんは女子代表チームの指導をしている。
「東京2020オリンピック出場権の獲得、今の目標はこれに尽きる。目の前の選手の強化に取り組んでいます」と片桐さん。
これまでチーム強化のためにオールアフリカゲームズやワールドカップに帯同しており、今後行われるオリンピックのアフリカ予選へも帯同予定だ。選手やコーチ、バレーボール連盟もアフリカ予選で宿敵カメルーンを撃破し、オリンピック出場権獲得を目指している。
「コーチによっては出身地や出身クラブチームが指導に絡んでくることもありますが、ある意味私は外部から来た中立な立場でもあるので、フェアな視点で指導することができます。協力隊だからこそチームの緩衝材の役割にもなるかもしれないと感じています」
バレーボールにおいて日本とケニアの関係の歴史は古く、これまで多くの日本人がケニアのバレーボール発展にかかわってきた。
「その人たちが誇れるようなチームをつくり東京2020オリンピックという大きな舞台でその姿を見せたいと思っています」
アフリカ予選は、2020年1月に開催予定だ。
●メキシコ障害者スポーツ強化施設 卓球コーチ
いとう・ゆうしん●1953年生まれ、青森県出身。2013年まで38年間、青森県の教員として勤務。03年からは校長として国際理解教育にも注力する。16年4月、シニア海外ボランティアとしてメキシコのホコティトラン工科大学に派遣され、卓球競技の周知、浸透のための活動に携わる。19年10月に帰国。
男子卓球代表選手のヴィクトルさん(右)と練習する伊藤さん(左)。他に女子卓球代表選手のクラウディアさん、シガラさんが東京パラリンピックに出場する
メキシコの大学における卓球の普及活動をメインに、障害のある人たちへの卓球指導も行った伊藤有信さん。週に1度、首都にある障害者スポーツ強化施設(CONADE)で選手のサポートをしてきた。CONADEで練習してきた5人が2019年パンアメリカン大会に参加し、3人が優勝。東京2020パラリンピックへの出場権を勝ち取った。
「日々の練習での選手たちとの合言葉は『東京で会おう!』。優勝したときには、選手と抱き合って喜びを分かち合いました」
選手たちはそれぞれ障害の度合いも違い、個人個人抱える悩みも違う。家庭、お金、これから先の人生のこと。悩みながらも、「パラリンピック出場」「出場を家族とともに喜びたい」という目標を持って、日々練習に励んでいた。練習で共に汗を流すなかで、選手たちが困難を抱えながらも目標を持ち、努力する姿を目にし、伊藤さんは「役立ちたい」と心から思ったそうだ。技術を伝えるだけでなく、悩みに耳を傾け、心に寄り添い、練習に集中できる環境をつくることで選手を支えた。一方で、夢や目標を持ち続けることの大切さを選手から学んだという。
「私自身がメキシコでいただいた親切や優しさへの恩返しのためにも東京2020で選手の応援やサポートをしたいと思います。3人の選手と一緒に練習した時間は私の宝物です」