治療にあたるなかで見えた、
「食事」に関する課題を解決

溝口 仁さん(ソロモン・言語聴覚士・2017年度1次隊)

病院のリハビリテーション科に配属された溝口さん。マンパワーでの活動に専念するなかで見えた、摂食嚥下障害の患者に関する「食事」の課題につき、患者の家族や病院食をつくるスタッフへの啓発に力を入れた。

溝口さん基礎情報





【PROFILE】
1981年生まれ、兵庫県出身。大学卒業後、専門学校で言語聴覚士の資格を取得。言語聴覚士として病院に勤務した後、2017年6月、協力隊員としてソロモンに赴任(現職参加)。19年3月に帰国し、復職。

【活動概要】
ソロモン国立中央病院のリハビリテーション科に配属され、主に以下の活動に従事。
●患者の治療
●病院食の改善
●同僚への技術指導


 溝口さんの配属先は、ソロモン唯一の国立病院。国内最高水準の医療機関だが、言語聴覚療法に関しては、そもそも国内に専門家の教育機関がなく、着任当初の言語聴覚士は溝口さんただ1人という状態だった。2年制の短期大学でリハビリの初歩を学び、リハビリ部門で助手として働く同僚にOJTで知識の伝達を試みたりもしたが、そうした方法だけで細かな技術を理解してもらうのはきわめて困難だった。
 そうして、一言語聴覚士として患者の治療を一手に引き受ける「マンパワー」の活動からスタートした溝口さん。医師から言語聴覚療法が処方される患者の大半は脳卒中であり、摂食嚥下障害(*1)と失語症(*2)などの言語障害を併発している人も多かった。両者とも言語聴覚士の守備範囲だが、「話す機能」より「食べる機能」の回復のほうが本人にとって大事であり、医師からもそのような処方が出されたことから、溝口さんが行う治療は摂食嚥下障害に対するものがメインとなった。

*1 摂食嚥下障害…食べ物を口に入れ、飲み込む動作がうまくできない障害。
*2 失語症…言葉がうまく使えない障害。

患者の家族への啓発

溝口さんの指導を受け、摂食嚥下障害の子どもに適切な食べ物の与え方を試みる母親

 治療にあたるなかで溝口さんが感じたのは、ソロモンの人々の「助け合い」の精神だ。例えば、1人の入院患者の介護にあたる家族は、日本なら2、3人が一般的であるのに対して、配属先では少なくとも7、8人が集まった。彼らは「同じ島の出身者はみな家族」というような感覚であり、車椅子の患者を、その島の20、30人ほどの住民が担ぎ、崖を運んできたといった話も聞いた。
 そうした「助け合い」の精神は、ときに治療のボトルネックにもなった。介護にあたる家族が、患者のために「良かれ」と思ってしていることが、患者の回復を遅らせることになってしまっていたのだ。脳卒中などで喉の筋肉の動きが悪いため、食べ物をうまく飲み込むことできない患者は、食道に送り込むべき食べ物を気管に入れてしまう「誤嚥」のおそれがある。そうした患者には、水気が少なく、かつ硬すぎない、適度なとろみの食べ物を与えなければならない。ところが、介護にあたる家族は「体調が悪いのだから、しっかりと食べさせなければ」と、闇雲に食事を与えてしまうのだった。特に危険だったのは、「水」を与えてしまうこと。液体は誤嚥の危険性がもっとも高いが、「病人に水を飲ませてはいけない」という感覚は、現地の人には違和感の強いもののようだった。
「今、この状態の患者にそういう食事を与えたら、気管に入り、肺炎になってしまう。絶対に止めてください」。そう訴えるものの、なかなか理解されない。そこで活用したのは、口から胸にかけての断面をビジュアルで表現した言語聴覚療法の教材だ。それを使ってていねいに説明することで、ようやく「誤嚥」の仕組みを理解してもらうことができた。

「病院食」の改善

食材の「飲み込みやすさ」を5段階に分けて提供されるようになった病院食の例

「食べ物の形態」の問題は、患者の家族にだけ存在したわけではなかった。配属先が入院患者に提供していた食事も、治療途中にある摂食嚥下障害の患者に適した献立となっていなかったのだ。
 溝口さんの着任当時、配属先の厨房でつくられていた病院食の献立は、「普通食」と「ペースト食」の2種類。後者は、硬めのものを飲み込むことができない摂食嚥下障害の患者に向けたものだ。しかし、摂食嚥下障害の患者は、「まったく飲み込みができない状態」から「飲み込みができる状態」へと治療していく過程で、段階を追って少しずつ硬い食べ物に慣れていく必要がある。「2種類」の献立では、それが不可能だった。
 そこで溝口さんは、病院食の献立づくりやその調理に携わる栄養士やキッチンスタッフへの啓発に乗り出す。患者の家族への啓発で使った前述の教材などを活用しながら、摂食嚥下障害に関する勉強会を開催し、献立の変更を提案した。日々、栄養士やキッチンスタッフとのコミュニケーションを密にすることを心がけた甲斐もあり、「ペースト状のもの」から、「細かく刻んだもの」、「少し荒く刻んだもの」といった具合に、「硬さ」が異なる5種類の献立を導入してもらうことができた。
 献立の変更でハードルとなったのは、「とろみ」の付け方だ。片栗粉のように、ただ加えさえすればとろみの付く食材は現地にもあったが、オーストラリアからの輸入品に限られており、継続的な入手が難しい高価なものだった。それらの代用品として溝口さんが提案したのは、現地の食事でよく使われているタロイモやヤムイモ、キャッサバなどのイモ類、バナナやココナツなどだ。すりつぶす度合いによって、それらがさまざまなレベルのとろみを出す材料になったことから、病院食の調理にも取り入れてもらった。

口から胸にかけての断面図の教材の使い、配属先の栄養士やキッチンスタッフに摂食嚥下障害に関する啓発をする溝口さん

イモ類やバナナ、ココナツのすりつぶしで「とろみ」に変化を出した病院食

ソロモン初の言語聴覚士

 着任して1年あまり経ったころ、活動状況の風向きが変わる出来事があった。オーストラリアで言語聴覚士の専門教育を受け、同国の病院で研修まで済ませて資格を得た男性が、ソロモン初の言語聴覚士として溝口さんの配属先でインターンのような立場で働き始めたのだ。彼は、溝口さんの配属先でかつてリハビリ部門の助手を務めていた際、溝口さんの先代の言語聴覚士隊員の仕事に接して言語聴覚士を志し、留学を決意したとのことだった。
 彼への技術の伝達は、2人で1人の患者の治療にあたりながら、治療の折々で技術を伝えるという方法で進めた。ほどなくして見えてきたのは、彼の「地頭」の良さと、オーストラリアで受けてきた専門教育の質の高さだ。後者については、日本の言語聴覚療法の教育をはるかにしのぐ水準であることが察せられた。
 彼への技術指導を8割方果たせたと感じたところで、溝口さんの任期は終了。無念だったのは、予算の都合により、彼が本採用となることが叶わなかったことだ。彼は溝口さんの帰国後、個人事業主として訪問リハビリを開始。いずれ、彼がソロモンの言語聴覚療法の発展を率いることができるような社会状況が到来することを、溝口さんは期待している。

溝口さんの活動のKEY POINT

「マンパワー」としての活動がメインになっても、現地に残せるものはある
「マンパワー」としての活動に抵抗感を持つ協力隊員もいるだろう。しかし、例えばリハビリ分野の場合、「マンパワー」として活動することで初めて見えてくる、患者やその家族の状況の課題があるはず。それらは、「マンパワー以外の活動」の具体的なアイデアの着想につながるだろう。

知られざるストーリー