JICA Volunteer’s before ⇒ after

米山信介さん(スリランカ・サッカー・2016年度2次隊)

before:電子回路の設計者
after:サッカーチームの指導・運営者

 米山さんの幼い頃の夢は「サッカーを仕事にして生活をする」。プレーヤーとしてサッカーは続けていたが、仕事にはできなかった。転機は、コンピュータ技術隊員として赴任したバングラデシュ。同国でたまたまサッカーを教える機会があり、教える楽しさを知ったという。帰国後、サッカー指導者のライセンスを取得し、サッカー隊員として再び協力隊に参加した。現在はミャンマーのサッカースクールでコーチとして働いている。

プレーヤーからコーチへ

[before]スリランカの小学校でサッカー指導をする米山さん

 小学2年生からサッカーを始め、成人してからは社会人チームに所属し、プレーを続けていた米山さん。「サッカーを仕事にしたい」と思っていた子ども時代は過ぎ、専門学校卒業後は、自動車整備士や電子回路の設計の仕事に従事していた。海外在住の姉の影響もあり「海外っていいな」とぼんやり思い、中吊り広告で協力隊のことは知っていたが、「英語は苦手で、海外勤務の経験もないし、ハードルが高い」と思い込んでいた。そんなとき旅行先で協力隊員と話し、自分のスキルを生かせる活動があると知り、応募を決意した。
 コンピュータ技術隊員としてバングラデシュに派遣され、同国においてIT技術者のための試験の導入と運営を目的に、IT企業や大学との連携促進や広報活動を行った。活動のかたわら、日本人学校のサッカーチームにコーチが不足していると聞き、週末はコーチとしてチームに参加。毎週子どもたちが成長していく様子を見ていくうち、プレーとは違った「教える楽しさ」を米山さんは感じるようになっていった。
 帰国後はウェブサイト制作の専門学校に通い、その後、Jリーグのウェブサイト制作などを担う会社に勤務。週末は自身が子ども時代に通ったサッカースクールでコーチをし、指導者のライセンスを取得した。そして、「サッカーを仕事に」を実現するため、2度目の協力隊に参加。スリランカのサッカーの普及のため、小中学校でのサッカー指導や大会の実施などに携わることになった。子どもたちへの指導がうまくいかす、話を聞いてくれないことにイライラすることも多々あった。
「でもそれは、自分の実力不足や勉強不足が原因だと気づき、子どもたちやこの国からたくさんのことを勉強させてもらっているんだと思うようになっていきました」
 当時を「大好きなサッカーをして、子どもたちとボールを追いかける幸せな毎日」と振り返る米山さん。この先もサッカーにかかわって働き、できれば民間企業に就職したいと思っていた。その理由のひとつは現地の人から「某国は施設をくれたけど、日本は何もくれないの?」と伝えられたからだという。
「そう言いつつ、その施設は現地の人だけでは使い方がわからずに施錠されていました。『あげる、もらう』の関係だと『あげたら・もらったら終わり』になってしまう。支援ではなくビジネスを通した関係なら、互いの利益を考えた持続したものになると思いました」
 そんなときに知ったのが、サッカースクールのアルビレックス新潟ミャンマーだった。

次の夢を追いかける

[after]ミャンマーのろう学校でサッカー指導をする米山さん。ろう者への指導を始める前は指導がしっかりできるか不安もあったが、実際に始めてみると気持ちは払拭された。しっかりと話を聞き、理解しようとする姿勢を見ていると、自身の指導のモチベーションも上がると感じている。簡単な連絡事項などは手話で、技術はデモンストレーションなどで伝えられるが、「準備する」「気持ちをつくる」などの概念を伝えることは難しいと感じている。そんなときはろう学校の卒業生であるスタッフにサポートをしてもらいながら指導をしている

 米山さんは2018年にアルビレックス新潟ミャンマーに就職し、現在は主にサッカー指導とスクール運営を行っている。スタッフは日本人2人とミャンマー人1人で、サッカー教室は週に6日開催。指導対象は、日本人学校やインターナショナルスクールの子どもたちと、私立のろう学校に通う低学年から社会人までの5つのチーム。さらに月に2回、養護施設でもサッカーを教えている。ろう学校や養護施設での指導は社会貢献活動のひとつでもあり、日系企業などからスポンサー料を得て運営されるものだ。運動をする機会が少なかった子どもたちはサッカー教室の開催を喜んでおり、スポンサー企業は社会に貢献でき、スクールは利益を得られる。
「夢と希望を持ってミャンマーに来て、やりがいもあります。とはいえ、日々の業務で埋もれてしまう思いもあります。例えば養護施設での活動を増やしたいけれど、人や時間が足りなくて叶えられないこともある。今後の課題は『どう継続していくのか』です」
 スポンサーやコーチの求人を増やすために、まず大事なのは「アルビレックス新潟ミャンマー」の活動を知ってもらうことだ。そのために、ウェブサイトで頻繁に活動報告をすることや、取材の応対、インターンの受け入れなども行っている。また、「ろう学校のチームは国際大会などに出場しており、ここでの勝利も目標としていることのひとつ。活躍することで応援してくれる人も増えるはず。すべてのことが次のステップにつながると思っています」と話す。
 その「次」にと考えているのが、ロヒンギャ難民(*)の子どもたちにサッカー教室を提供することだ。バングラデシュで活動した経験があるからこそ実現させたいと思っている。

* ロヒンギャ難民…迫害を受けて国外に避難しているミャンマーの国境地帯に暮らすイスラム教徒の少数民族。






米山さんのプロフィール

[1981]
神奈川県出身。
[2002]
3月、神奈川県立横須賀高等職業技術校自動車整備科 卒業後、株式会社ホンダベルノ横浜サービス部入社。
[2008]
1月、株式会社アポロ技研開発部入社。
[2010]
9月、青年海外協力隊に参加(選択の理由:海外旅行で日本との貧富の差を感じて、海外で自分にできることはないかと参加。)
バングラデシュにて、コンピュータ技術隊員として、IT試験導入のための促進活動に従事。
[2013]
3月、帰国。その後、株式会社インターナショナルスポーツマーケティングに入社。
[2017]
1月、青年海外協力隊に参加(選択の理由:サッカーコーチの仕事を探しており、国内のスクールも受験したが、協力隊に先に合格!)
スリランカにて、サッカー隊員として、サッカーの普及に従事。
[2018]
9月、アルビレックス新潟ミャンマーに入社(選択の理由:サッカーにかかわれることを軸に、海外、民間企業、社会貢献活動をキーワードに仕事を探し、マッチングした企業。

アルビレックス新潟 シンガポールミャンマー支店(ALBIREX SINGAPORE PTE. LTD.〈MYANMAR BRANCH〉
所在地:ミャンマーヤンゴン市内
設立:2017年1月
人数:3人
事業内容:子どもむけサッカースクールの運営、ミャンマー各地でのサッカーの普及活動 など

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