「外」に出て強まった地元の魅力への思いから
里帰り就職を選択

[帰国後]民間企業社員(株式会社田部〈たなべ〉)

手銭勇輔さん(ペルー・野球・2014年度2次隊)





[手銭さんプロフィール]
1991年生まれ、島根県出身。近畿大学産業理工学部卒。小学2年生から野球を始め、大学時代は産業理工学部硬式野球部に所属。2013年、大学3年生の冬休みを利用して短期派遣の協力隊員(野球)として1カ月間、ペルーで野球指導に従事。大学を卒業した14年の10月に長期派遣の協力隊員としてペルーに赴任。16年10月に帰国。17年4月、中国地方を中心に外食・食品事業や山林事業などを手がける株式会社田部(本社は島根県雲南市)に就職。


【BEFORE】

協力隊時代の手銭さん(右から5人目)。活動地での野球の普及活動が認められて新設された野球場で、成人野球チーム(右側)と中学生チームが試合をしたときの一枚

 手銭さんが野球を始めたのは小学2年生のとき。大学2年生まで選手として活躍し、大学の3、4年時は所属していた近畿大学産業理工学部硬式野球部で「学生コーチ」を務めた。大学3年生の冬休みには、「野球」の職種で協力隊の短期派遣でペルーに赴き、1カ月間にわたり各地の野球クラブで指導に取り組んだ。協力隊は、中学時代にテレビ番組でその存在を知って以来、憧れだった。
 大学卒業後の最初のステップとして選んだのは、長期派遣の協力隊への参加。短期派遣の際、「日本の高い技術を教えるのだ」と気負うあまり、選手たちとの関係づくりがうまくいかなかったという「やり残し感」があったからだ。大学4年時に長期派遣の協力隊に応募し、卒業した年の10月、短期派遣のときと同じペルーに野球隊員として派遣され、野球の普及などに取り組んだ。

【AFTER】

田部の社員として同社の養鶏場「たなべ森の鶏舎」の管理を担当していた時期の手銭さん

 地元・島根の 「外」を経験することで、「島根の魅力」への思いが強まった自分こそ、その発信のために何かしらの役割を果たせるはず——。そうした考えから、手銭さんは長期派遣の協力隊を終えると、迷わず島根で仕事探しを開始する。そうして就職した株式会社田部(以下、田部)は、島根を拠点に外食・食品事業や山林事業などを行う、創業73年の企業だ。
 入社決断の決め手となったのは、同社が「島根の魅力」の継承・発信に力を入れている点だ。たとえば、養鶏では腐葉土や高麗人参、シジミなど島根でとれる食材を使うことにこだわる。また、近年は明治期に廃れてしまった「たたら製鉄」の再興にも着手。古代から洗練を重ねながら継承されてきた、手間はかかるが質の高い鋼がつくれる製鉄法で、田部がある島根県奥出雲地方は、良質な砂鉄が採れることから、たたら製鉄が発展の礎となってきた地域だった。
 手銭さんが就職してからこれまでの約3年間に携わってきたのは、田部が持つ飲食店や養鶏場の管理。そうした仕事では、協力隊経験で鍛えられた「コミュニケーション」の力が武器になっていると、手銭さんは感じている。
「協力隊時代、米国など各国から来た野球コーチと共に活動しました。彼らとは野球技術に関する議論を幾度も重ねたのですが、常に彼らは私の意見に耳を傾けたうえで、『私はきみとは違ってこう考える』と主張する。そうした経験を通じて、『相手の意見をしっかり受け止めつつ、自分の意見を明確に伝える』というコミュニケーションの姿勢を体得することができました。それが今の仕事のなかでも、同僚やお客様との信頼関係づくりの土台となっています」

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