JICA Volunteer’s before ⇒ after

川内勇希さん(タンザニア・自動車整備・2015年度1次隊)

before:自動車整備士
after:国際NGOで車両整備など

 海外生活への憧れが芽生えたのは、「自動車整備専門学校時代のホームステイの経験」という川内さん。学校卒業後に日本の車販売店で自動車整備士として勤務し、カナダの店舗へ出向。その後、協力隊に参加した。タンザニアでの活動により、人の役に立てる仕事にやりがいを覚え、国境なき医師団に参加。現在は南スーダンで活動している。

海外勤務への憧れを現実に

[before]タンザニアで実習の授業を行う川内さん。エンジンの制御をコンピュータをつないで確認している。自作したエンジン実習機は「自分でもいい出来だった」と川内さんは振り返る

 早く自立がしたかった高校時代。進路を決める時期に手にした専門学校のパンフレットに「トヨタ」の文字を見つけ、「安定した職につけるだろう」と自動車整備士の専門学校に入学した。学校の選択授業で、消去法で選んだ米国へのホームステイプログラムが、川内さんのひとつの転機になる。初めての海外で優しいホストファミリーと出会い、楽しい3週間を過ごしたことで「こんな出会いがあるのなら海外で働こう」と心に決めた。
 海外店舗のある自動車関連会社を探し、就職。自動車整備士として働き、3年目に社内試験を受け、カナダの店舗に出向。仕事と私生活のバランスがちょうど良く、同世代の仲間もでき、充実した日々を過ごした。5年の任期を満了して日本に帰国し、復職した。
 日本での仕事は、基本的に整備や点検がメインだ。それが大事なことだとはわかっていながらも、故障車が多いカナダで試行錯誤しながら修理をしていた川内さんは、自分の技術を駆使して働きたいと思っていた。そんな折、電車で協力隊募集の吊り広告を見て、説明会に参加。自動車整備士OBから「日本では考えられない状態の車が走っている」と現地の様子を聞いたことで「どんな状態だ!?」と興味を持ち、応募してみることに。合格し、タンザニアへの派遣が決まった。
 配属先は生徒数が5000人を超える国立運輸高等専門学校で、その自動車整備コースの授業を川内さんは担当することになった。ところが、教科書も実習教材もない。先生が所有する資料を教科書とし、先生の車の内部を「見学」することで実習としていた。学生はエンジンの構造を知識として知っているが、修理どころか触ったことすらない。現地の車の修理がずさんなのも、整備士が修理方法を知らず、あてずっぽうで修理し、修理していくうちに壊してしまうためだった。
 川内さんは自身の専門学校時代に使用した、エンジン内部の確認や、故障時の点検方法を実践的に学べる構造になっているエンジン実習機を思い出し、専門学校に連絡して写真を送ってもらい、それを元に自作。実習機を使って、不具合の症状から故障理由を見つけ出すという根拠のある修理方法を少しずつ教え、資料を残し、任期を終えた。

自分の技術を求める人のために

[after]国境なき医師団で派遣されたスーダンにて、地方プロジェクトで整備した車両の完成検査を行う川内さん。車両整備の業務以外に、運行記録や、車両のメンテナンススケジュールの管理、部品管理、ボートがある場合はその整備も行う。医療スタッフの活動先は電気がない場所や停電する場所が多いため、活動先に発電機が設置されており、その整備・点検も川内さんの仕事だ ©️MSF

 協力隊で教える立場になり「作業着を着て現場で手を動かすのが合っている」と改めて気づいたという川内さん。帰国後、海外で自動車整備士として働ける仕事を求めていたとき、JICAが主催する企業交流会で国境なき医師団(MSF)のスタッフと話し、非医療系の車両整備という職種を知る。企業への就職かNGOでの活動か迷ったが、今やりたいことは何かを自分に問いかけた。
「『人のためになろう』と思って協力隊に参加したわけではなかったけれど、タンザニアで技術を教えるうち、それが現地の人の生活向上につながればと思うようになりました。人の役に立つために自分の技術を生かしたいと思い、MSFへの参加を決めました」
 書類選考と面接を経て、MSFの「縁の下の力持ち」と言われる職種・ロジスティックの車両整備スタッフに登録され、2カ国での活動を経て現在は南スーダンで活動中だ。業務内容は、現地事務所にある車両の整備と定期点検や、発電機の整備・点検、部品の管理などで、それらにより医療スタッフの移動や活動を支えている。加えて、現地雇用の運転手が簡単な車の故障に対応できるように技術指導も担当しており、「教えることに慣れたのは協力隊のおかげ」と川内さんは話す。
 一方で協力隊では感じなかったプレッシャーもある。たとえば発電機で人工呼吸器の電気を賄っているとき、発電機の故障は命にかかわる。だがそのプレッシャーも含め「自分の技術が現地で求められ、それに答えられることにやりがいを感じる」そうだ。また、以前スーダンでの活動中に感じたことがある。
「難民キャンプに行き、厳しい環境で暮らす大勢の人たちを目にしたとき、自分は『のほほん』と生きていていいのかなって。自分の技術を使って、高い収入を求めるのではなく、人の役に立っていきたいと思いました」
 南スーダンから帰国するのは11月。「いつか海外で自分の自動車整備工場を持ちたい」という思いと、「NGOに所属して活動し続けたい」という両方の希望がある。ただ今後どんな道を選んでも「人の役に立ちたい」という川内さんの気持ちは変わらない。






川内さんのプロフィール

[1985]
神奈川県出身。
[2003]
4月、トヨタ東京整備専門学校入学(選択の理由:米国でのホームステイでホストファミリーにとても良くしてもらい、海外で生活したいと思うように)。
[2005]
4月、ネッツトヨタ神奈川株式会社に入社。
[2009]
ウエインズカナダに出向。
[2014]
任期満了にて帰国。ネッツトヨタ神奈川に復職。
[2015]
6月、青年海外協力隊に参加(選択の理由:職場の近くで実施されていた募集説明会で、自動車整備士OBの体験談を聞いて応募を決意)。
タンザニアの国立運輸高等専門学校の運輸工学・科学科自動車整備コースで授業を担当。実習の充実のため機材の作成や、同僚への技術の指導などに従事。
[2017]
6月、帰国。
[2018]
国境なき医師団に参加(選択の理由:自動車関連の企業に内定をもらったが、さまざまな国で自分の持つ技術で人の役に立ちたいと思い、国境なき医師団に参加)。
6月、パプアニューギニアに派遣(4カ月)。
[2019]
1月、スーダンに派遣(6カ月)。
[2020]
2月、南スーダンに派遣(9カ月予定)。

国境なき医師団 Médecins Sans Frontières(MSF)
設立:1971年(日本事務局は1992年)
スタッフ数(2018年現在):世界=約4万7000人、日本=106人
活動内容:独立・中立・公平な立場で医療・人道援助活動を行う

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