「手伝い」で語学力を鍛えた後、
保健指導や技術指導へと活動を拡大

小池瑞希さん(ホンジュラス・助産師・2017年度2次隊)の事例

助産師隊員として分娩施設に配属された小池さん。当初、スペイン語力の不足で同僚たちとの協働が思うようにいかなかったなか、「今、できることをやる」という姿勢で活動をスタートさせた。

小池さん基礎情報





【PROFILE】
1991年生まれ、千葉県出身。看護師と助産師の資格を取得した後、助産師として病院のGCU(新生児治療回復室)に約3年間勤務。2017年10月に青年海外協力隊員としてホンジュラスに赴任。19年10月に帰国。

【活動概要】
レンピーラ県レパエラ市が運営する分娩施設、レパエラ市母子保健センターに配属され、主に以下の活動に従事。
●妊産褥婦への保健指導
●看護師を対象とする助産技術の研修会の実施
●整理整頓など施設の業務改善支援
●小・中学校での保健授業の実施


 小池さんの配属先は、レンピーラ県レパエラ市が運営する市内唯一の分娩施設。扱うのは正常分娩のみで、母体や胎児に異常がある場合は、救急車で隣市の総合病院に搬送することとなっていた。一方、妊婦健診が行われるのは市の保健所。配属先は分娩や子どもから高齢者までを対象にした救急外来に特化した施設だった。同市は人口が約4万人という規模で、配属先へのアクセスが悪い地域の住民も多い。そうした妊婦の自宅出産を減らすため、正産期(*1)の妊婦が無料で宿泊できる出産待機施設「妊婦の家」が配属先には併設されており、常時数人が宿泊していた。
 助産業務を担当していたのは、多い時期で7人配置されていた看護師たち。配属先の分娩件数は月に40件程度だったが、救急外来への対応、さらには誤って受診しに来る一般外来患者への対応もしなければならないため、同僚看護師たちは多忙を極めていた。そうしたなかで手薄になっていたのが、配属先を利用する妊産褥婦(にんさんじょくふ*2)への保健指導。その活性化を支援することが、小池さんに求められていた役割だった。

*1 正産期…赤ちゃんがいつ生まれても問題ないとされる、分娩予定日の3週間前から2週間後までの期間。
*2 妊産褥婦…妊婦、産婦(出産前後の女性)、褥婦(分娩後、母体が妊娠前の状態に戻るまでの女性)の総称。

「今、できること」からスタート

「妊婦の家」で赤ちゃんの人形で授乳指導をする小池さん(右)

 着任当初、活動の壁となったのは「語学力」だ。同僚看護師とともに「妊婦の家」の宿泊者への保健指導を始めたいと考えたものの、ただでさえ多忙な彼女たちは、たどたどしいスペイン語で話しかける小池さんを煩わしく感じている様子を見せるのだった。そこで小池さんは、「まずは今、できることから始めよう」と決意。ホンジュラスの助産師隊員は身体への侵襲行為が認められていなかったことから、診察の準備・介助や物品の整理整頓など、助産師の専門性がない者でもできる作業も厭わず注力。そうするなかで言葉を覚え、少しずつ同僚たちとのコミュニケーションを増やしていった。
「妊婦の家」の宿泊者への保健指導は、同僚看護師たちの腰が重かったため、当初は単独で行うことにした。内容は、「産前・産後の栄養バランス」「授乳」「ヨガ」「家族計画」など。工夫したのは、1回のプログラムを15分程度に抑えることだ。妊娠中は集中力が低下しがちなうえ、任地の人たちは短時間なら集中する傾向があると感じたための配慮である。短時間でも有益な保健指導となるよう、絵を用いた教材で理解を促したほか、「根拠」の詳しい説明は避け、「赤ちゃんが泣いたら授乳を求めているサインだ」といった「要点」を繰り返し伝えるようにした。やがて、「宿泊中の楽しみがない」という理由で「妊婦の家」の利用を避ける人がいると知ったことから、一緒に料理をするなど、彼女たちの気持ちを和らげるための時間もつくるようになった。

同僚たちの態度が変化

 同僚看護師たちの態度にようやく変化が見られるようになったのは、着任して7、8カ月経ったころだ。配属先で地道に「手伝い」を続ける一方、プライベートでの付き合いも積極的に行うようにしたところ、彼女たちが小池さんの活動に興味を示すようになってきたのだ。そうして、なかには「妊婦の家」での保健指導に参加してくれる人も現れるようになった。
 同僚看護師たちを対象にした助産技術の研修会をたびたび実施できるようになったのも、この時期からだ。ホンジュラスで助産業務に携わる看護師たちは、看護学生時代に助産技術の十分な教育を受けることがなく、働きながらそれを身に付けていく。にもかかわらず、小池さんの配属先では経験が浅い看護師たちの技術の底上げをするシステムがなかったことから、同僚看護師たちの技術レベルにはばらつきがあった。例えば、新生児の異常を早期に発見するためには「呼吸」や「心拍」などのバイタルサインを確認する「観察」が重要だが、同僚看護師のなかには「身長」や「体重」の観察を優先してしまう人もいた。そうしたなか、小池さんは着任してまもない時期から彼女たちに勉強会の実施を提案していたが、同僚看護師たちとの人間関係ができたことで、ようやくそれを受け入れてもらえるようになったのだった。
 勉強会で扱うテーマは同僚看護師たちとの話し合いで決定。「新生児の観察」や「新生児蘇生法」、「産科大出血への対応」など、毎回異なるテーマの勉強会を5回にわたって実現することができた。勉強会では「ロールプレイング形式」を採用。参加者たちに「医師」「看護師」「患者」などの役を割り振り、実際の分娩シーンを演じてもらいながら、技術の解説や再確認をしていくという方法である。それまでにホンジュラスで見たイベントなどで、現地の人たちが「演劇」を好むと感じていたことから着想したものだったが、実際、同僚たちには好評だった。

「妊婦の家」で同僚看護師とヨガの指導をする小池さん(右端)

産褥婦に同僚看護師(中央)と家族計画の指導をする小池さん(右)

配属先で行った助産技術の勉強会で患者役を演じる小池さん(左)

「外部の風」を取り込む役目

小学校で「妊婦ジャケット」を用いて性教育を行う小池さん(右端)

 同僚看護師から活動への理解が得られるようになったことで、任期の後半、活動にもうひとつの柱を加えることができた。配属先外での啓発活動だ。
 任期の前半、「『地域』の状況を知りたい」との意図から、市の保健所の「健康推進員」が市内の小・中学校に出向いて行う保健授業に参加し、性教育の講習を一緒に担当させてもらったことがあった。配属先で出産する妊婦には若年妊娠のケースが多く見られたことから、この活動は引き続き取り組んでいきたいと考えたが、当初、同僚看護師たちは小池さんが配属先以外で活動することに難色を示した。しかし、任期の半ばになると、「予防が大事」という小池さんの主張を彼女たちも理解。小・中学校での保健授業への継続的な参加を認めてくれるようになった。
 小池さんは小・中学校に赴いた際、配属先で出産した女性が学校の近くに住んでいれば、その後の状況を確認。その結果について、「元気そうだった」「『すごく良いお産ができた』と言っていた」などと同僚看護師たちに報告すると、彼女たちの仕事へのモチベーションもアップした。配属先の中ばかりで働く彼女たちには、それまで「配属先で出産した女性たちのその後」について知る術がなかったのだ。
 配属先を「外」とつなぐ役割は、別の場面でも果たすことができた。ホンジュラスで活動していたほかの助産師隊員の誘いを受け、小池さんは他市の4カ所の分娩施設を見学。「分娩室の各物品が取り出しやすいように配置されている」など、配属先にはない「秩序」が見られたことから、見学先のそうした様子を写真に収め、同僚たちに紹介。他の分娩施設を見たことがない人が大半だったなか、小池さんがもたらした情報に彼女たちは刺激を受け、整理整頓など施設内の環境改善に積極的に取り組むようになったのだった。

Pick‐up SHOT

我が子に「MIZUKI」と命名

「『妊婦の家』に長く滞在し、保健指導だけでなく、日々の会話や散歩などで仲良くなった母親(写真右)が、生まれた子どもに『MIZUKI』という私の名前を付けてくれました。一緒に楽しい時間を過ごすことができ、『瑞希』という言葉の意味(美しい希望)も気に入ったからとのことでした。ホンジュラスでは、改名するのに高額な費用がかかるため、『慎重に考えて』と何度も話したのですが、そのうえで決断してくださったので、うれしい出来事でした」(小池さん)

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