保健について学び合う
青少年のグループ活動をスタート

野瀬友望さん(ザンビア・感染症・エイズ対策・2017年度2次隊)の事例

医療施設に配属された野瀬さん。移動手段の確保が難しいこともあり、当初は施設内の業務の支援に終始したが、「あなた自身は何をやりたいの?」という同僚の言葉に一念発起。青少年への啓発に力を入れるようになった。

野瀬さん基礎情報





【PROFILE】
1988年生まれ、神奈川県出身。大学時代に看護師と保健師の資格を取得。卒業後、総合病院に看護師として勤務。2017年9月に青年海外協力隊員としてザンビアに赴任。19年9月に帰国。

【活動概要】
カズングラ地域ヘルスセンター(南部州カズングラ郡カズングラ)に配属され、主に以下の活動に従事。
●保健について学び合う青少年のグループ活動の立ち上げ・活動支援
●配属先の業務支援や業務改善


 野瀬さんの配属先は、「ヘルスセンター」と呼ばれる一次医療施設だ。医師や看護師、助産師、薬剤師などの医療従事者が勤務していたが、管轄地域の急激な人口増加に伴い、その人数は任期中に急増。着任当初は7、8人だったが、終盤には倍増していた。野瀬さんが見出した役割は、地域住民に向けた性教育の推進や、配属先の業務改善の支援である。

アウトリーチが停滞するなか

配属先で乳幼児健診の結果を記録する野瀬さん

 野瀬さんの派遣前の職は看護師。「感染症・エイズ対策」の職種で協力隊に応募したのは、「地域」を対象にした活動に取り組みたいという希望からだ。ところが、着任早々に壁に直面する。配属先は週に1日、施設内で乳幼児健診を実施していたが、遠方に住んでいるために来院できない子どもをフォローするため、スタッフが地域に出向いて乳幼児健診を行うアウトリーチを定期的に行うこととなっていた。ところが、野瀬さんの着任当初、配属先を所管する郡役所の予算執行が停滞しており、移動に必要なガソリン代がまかなえないため、アウトリーチがなされない状態が続いていた。移動手段を持っていなかった野瀬さんにとって、アウトリーチの車に便乗させてもらうのが地域に出向く唯一の方法だったが、それが叶わなかった。
 地域での活動に着手できる見込みが立たないなか、看護の専門性を生かして同僚看護師たちの業務のサポートにあたりたいところだったが、ザンビアの看護師免許を持たない野瀬さんは、身体への侵襲行為に携わることができない。やむを得ず野瀬さんが手始めに取り組むことにしたのは、「データクラーク」と呼ばれるスタッフが担当していた受付業務のサポートだ。そのかたわらで、要請内容にも含まれていた整理整頓など配属先の業務改善も進めていった。
 野瀬さんの着任後に配属先が初めてアウトリーチを行ったのは、着任2カ月後のことだ。1週間にわたり、各地域で5歳以下の子どもを対象に体重測定や予防接種、ビタミンAの投与などを集中的に行う国を挙げてのキャンペーンがあり、そのための予算が配属先に下りてきたのだった。野瀬さんも同行はしたが、住民への保健教育などを実施する余地はなかった。
 その後、ふたたびアウトリーチは停滞。そうしたなか、「このままではいけない」との危機感を抱く出来事が起こる。データクラークから、「この仕事はもうきみの仕事だ」と、共同作業へのストレスを表現する言葉を伝えられてしまったのだ。着任して半年ほど経ったころのことである。
 人の持ち場に割り込むのではなく、新たな役割をつくらなければ——。そう感じた野瀬さんは、同僚たちに「何か私にできることはないでしょうか」と聞いて回った。すると、返ってくるのは「あなた自身は何をやりたいの?」と、野瀬さん自身の考えや思いを問いただす質問ばかり。そうして野瀬さんはあらためて、「地域住民の健康維持・向上の支援」「配属先の業務改善支援」の2つを自身の活動の柱にしようと考えを整理。それを、以前は黙って聞いているだけだった週頭の職員会議で発表したところ、それまで同僚たちに持たれていた「なんとなくいる人」という印象から脱却し、同僚のなかに活動への協力者を獲得することができるようになったのだった。

同僚との二人三脚

 その後、「地域住民の健康維持・向上の支援」として特に力を入れるようになったのは、青少年を対象とする活動である。ザンビアでは、地域の青少年が集まって保健について学び合う「Youth Friendly Corner」(以下、YFC) というグループ活動を、各地のヘルスセンターなどが推進している。野瀬さんが取り組んだのは、YFCが行われていなかった配属先の管轄地域で、その立ち上げと活動を支援することだった。
 YFCのプログラムの存在を教えてくれたのは、ザンビアのほかの地域で活動する協力隊員。同僚たちにYFCの話題を持ちかけると、以前の職場で青少年への保健教育に携わったことがあり、YFCの実施に強い関心を持つ人が見つかった。臨床検査技師の男性(以下、Aさん)だ。そうして彼との二人三脚でYFCの立ち上げに取り組み始めたのは、任期が半ばにさしかかるころだった。
 最初は配属先の周辺に住む青少年たちを配属先に集め、ミーティングを開くという形でスタート。中等学校に出向いてYFCの立ち上げをアナウンスしたところ、数人から多いときで20人ほどの中高生によるミーティングが、週2回のペースで実現した。開催の時間帯は放課後である。内容は、HIV/エイズなどの性感染症、若年妊娠など「性」に関するものをメインとした。野瀬さんやAさんが手づくりの教材で講義を行ったほか、性感染症の予防啓発ポスターの制作やディスカッションなど、能動的に学べるアクティビティに取り組んでもらった。

YFCのミーティングで性感染症の予防啓発ポスターを作成するメンバー

YFCのミーティングでHIVの感染リスクについて考えるアクティビティに取り組むメンバーたち

「地域」に赴いての活動へ

中等学校で開いたYFCのミーティングで講義を行う野瀬さん

村で開いたYFCのミーティングで講義を行うAさん

 野瀬さんやAさんが学校や村に赴き、その地域の青少年をメンバーとするYFCの立ち上げと活動支援を行うようになったのは、配属先でのミーティング開催をスタートさせてから4カ月ほど経ったころだ。自転車の入手が叶い、地域に出向くことが可能になったのだった。
 任期中にYFCの活動で訪問することができたのは、配属先の管轄地域にある小学校3校と中等学校2校のすべてと、5カ所の村。各YFCで扱う内容は、配属先で開いていたときとほぼ同様にした。参加者の人数は、学校では各校百数十人、村では20人程度という規模だった。配属先で行っていたミーティングに熱心に通っていたメンバーに同行を勧め、彼らに講師役を務めてもらうこともあった。
 管轄地域内の各地で実施されたYFCは、活動を主導するコアなメンバーも誕生しており、野瀬さんの帰国後もAさんがファシリテーターとなって継続されているという。「トモミが来たから、この活動ができている」。そんな感謝の言葉を口にしてくれた同僚やメンバーもいた。彼らの意欲を引き出し、つなぎ止めるうえでカギだったと野瀬さんが感じているのは、「約束を必ず守ること」だ。Aさんの不在時など、ひとりでYFCの場を仕切ることに困難を感じるときもあったが、野瀬さんは決して「キャンセル」をしないよう努めた。それにより、青少年たちから「トモミは、やると言ったら必ずやる人だ」と信頼を寄せてもらうことができたのだった。

Pick‐up SHOT

「ナース服」はPRツール

「現地で活動するときは、必ず現地のナース服(写真)か日本のナース服を着るようにしていました。『医療の専門性がある人だ』『ヘルスセンターの人だ』などと認識してもらえると考えたからです。それにより、YFCに参加する青少年や、村々でマラリアの検査や保健教育などを担う『コミュニティ・ヘルス・ワーカー』などに、私が行う活動への関心を持ってもらえたという実感があります」(野瀬さん)

知られざるストーリー