その時々の語学力に応じて、
「自己発信」の方法が変化

岩瀬さくらさん(ペルー・青少年活動・2017年度2次隊)の事例

児童保護施設でアクティビティーの充実化に取り組んだ岩瀬さん。配属先の人員が不足していたなか、配属先外の人と信頼関係を築き、その助力を得ることが、活動の最重要課題だった。

岩瀬さん基礎情報





【PROFILE】
1986年生まれ、福岡県出身。久留米大学医学部看護学科を卒業後、看護師として大学病院の救命救急センターに勤務。2017年10月、青年海外協力隊員としてペルーに赴任。19年10月に帰国。

【活動概要】
ピウラ州立サンミゲール児童保護施設(ピウラ州ピウラ市)に配属され、主に以下の活動に従事。
●学習、菜園づくり、料理などの指導(現地の大学生たちとの協働)
●空手の指導(現地の空手家との協働)


 岩瀬さんが配属されたのは、育児放棄などにより家庭での生活が難しい子どもを受け入れ、生活の場を無償で提供する児童保護施設。0〜18歳の約50人の子どもが寝食を共にし、そこから学校に通うなどしていた。配置されていたスタッフは、施設長と副施設長、社会福祉士、心理士のほか、洗濯や料理など子どもたちの生活の面倒を見る約10人の世話係など。本来、自立に資するアクティビティーも行うことになっていたが、着任当時、人員不足のため実践されていない状態だった。それをスタートさせることが、岩瀬さんに求められていた役割だった。

チャンスに飛び込む勇気

配属先に定期的に通ってくれるようになった「MUNAY Perú & Japón」のメンバーと配属先の子どもたち

 アクティビティーを定着させるためには、配属先外の人と関係を築き、その助力を得る必要がある——。岩瀬さんは着任した当初から、このことを意識するようになった。年代がさまざまな50人の子どものアクティビティーを1人でこなすのは容易ではないうえ、1人でこなしても自分の帰国後に継続されないと考えたからだ。同じ任地で活動していた環境教育隊員(以下、A隊員)にそうした悩みを相談したところ、着任の2カ月後にひとつの出会いを得ることができた。任地にあるピラウ大学の学生で構成する環境系NGOである。出会いの場は、A隊員がその環境系NGOのメンバーを対象に開いた「コンポスト」の講習会。岩瀬さんはA隊員に誘われ、それを見学していた。
 講習会では、A隊員による講義が終わると、学生の引率役で参加していた大学教員が、「コンポストづくりを試験的に始めよう」と呼び掛けた。それを聞いて「チャンスだ」と感じた岩瀬さんは、まだスペイン語力は心もとなかったにもかかわらず、すかさず立ち上がって発言。配属先の事業を説明したうえで、「コンポストづくりを私の配属先で始めませんか」と提案した。出来たコンポストを使って子どもたちが野菜や果樹の栽培をすることができれば、配属先の収入源になり、かつ地域の福祉事業をPRするネタにもなります……。配属先でコンポストづくりを行うメリットを、藁をもつかむ思いで訴えた。すると、受講していた大学生や引率役の大学教員が、岩瀬さんの熱意に賛同。配属先をコンポストづくりの最初の試行の場にすることを、その場で決めてくれたのだった。
 講習会の翌月に大学が長期休暇に入ると、環境系NGOのメンバーたちが配属先にやってきて、コンポストづくりのファシリテーター役を務めてくれるようになった。彼らはさらに、「ダンス教室」や「料理教室」など、ほかのアクティビティーの立ち上げにも積極的に取り組んでくれた。
 大学の長期休暇が終わり、アクティビティーを岩瀬さんがひとりで担う状態になってまもない時期、環境系NGOのメンバーの友人による発案で、配属先の支援を行う新たなNGO「MUNAY Perú & Japón」(※)が立ち上げられた。メンバーは地元の大学生たちだ。以後、大学の学期中は毎週土曜日に、長期休暇の間は隔日、メンバーが配属先を訪れ、各種アクティビティーを行ってくれるようになった。通常の家庭で親が子どもにしているように、大人が配属先の子どもに「一対一」で向き合う時間が何より重要だと岩瀬さんは考えていたが、大勢の大学生が配属先に来ることで、それが継続的に実現するようになった。

※ 「MUNAY」はペルーの先住民であるケチュアの人々の言葉で、「愛」を意味する。

ピラウ大学の学生が配属先を訪れて実施した料理教室

A隊員とピラウ大学の学生たちの協力により配属先で始まった、コンポストを使った野菜づくり

自分たちの手で育てたカボチャを手にする配属先の子どもたち

「人間対人間」の関係構築

配属先の子どもに空手指導をする岩瀬さん(右)。苦手意識のある子も、「一対一」なら慕ってきた

配属先で空手教室を行うBさん

 スペイン語の力が付いた任期後半は、配属先外の人と信頼関係を築く方法も変化する。前述の環境系NGOに対して試みたように、闇雲に「熱意」を表して協力を求めるというやり方は封印。会話の積み重ねにより、自分の立場や活動を抜きにして、まずは自分の人間性を丸ごととらえてもらうようになったのだった。
 そうして任期後半に新たに得た協力者のひとりが、任地で空手道場の指導者を務めていた青年(以下、Bさん)だ。岩瀬さんは高校生と大学生のときに空手をやっていたことから、配属先でも希望する子どもに空手の指導をしていた。そのことを人づてに知った他州の道場の人からの勧めで地元の大会に出たところ、そこで際立つ技術を見せていたBさんと出会う。岩瀬さんは「配属先で空手の指導をしてほしい」と思ったが、それを前面に出すことは自粛。まずは「人間対人間」の関係を築こうと、自分の立場や活動について知らせないまま、たびたび道場を訪ねては、練習に参加させてもらうようになった。そうしてBさんとの会話を重ね、信頼関係ができたと感じられたところで、「実は……」と切り出し、児童保護施設で活動していること、そこで空手の指導をしていることなどを打ち明ける。「それならば」と、Bさんは配属先に定期的に通って空手の指導をするようになってくれた。
「僕の家庭も裕福ではなかった」「貧しい子どもたちがいる地域でも空手を教えている」。Bさんがそう打ち明けてくれたのは後のことだ。9歳のころに空手に出会い、生きる術を得たとのことだった。「空手が僕を救ってくれた」。これが彼の口癖で、困難な環境に生まれ育った子どもたちの人生に何かしらの光をとの思いが強い人だった。
 以上のように、ピラウ大学の学生やBさんなど、「配属先外の人」との信頼関係づくりが叶った岩瀬さん。しかし、あくまで岩瀬さんが目指していた到達点は、彼らと岩瀬さんとの強固な関係ではなく、彼らと配属先の子どもたちとの強固な関係だ。任期中にその構築がどこまでできたかは不安だったが、帰国した現在も、ピラウ大学の学生からは「配属先への関与を続けている」との連絡が入っているという。

Lesson〜岩瀬さんの事例から〜

「自己発信」の機会は希少

活動で配属先外の人の力を借りる必要がある協力隊員も少なくないだろう。配属先外の人に自分を知ってもらう限られたチャンスを生かすためには、語学力不足などで発言を躊躇してしまうことは禁物だ。

知られざるストーリー