10年後、20年後を見据え、
任期終盤は「心」の対話に注力

小来田広志さん(パラグアイ・レスリング・2017年度2次隊)の事例

パラグアイのレスリング連盟に配属され、選手への指導に携わった小来田さん。任期終盤は、選手たちのなかに同国のレスリング界を背負って立つ人材を生むべく、「技」の指導だけでなく「心」の対話にも力を入れた。

小来田さん基礎情報





【PROFILE】
1984年生まれ、大阪府出身。大学の国際文化学部ヨーロッパ・アメリカ学科卒(スペイン語コース専攻)。高校と大学でレスリング部に所属し、大学時代は西日本学生選手権で準優勝。大学の学生寮の生活指導員等を経て、2017年9月に青年海外協力隊員としてパラグアイに赴任。19年9月に帰国。

【活動概要】
パラグアイレスリング連盟(アスンシオン市)に配属され、レスリングに関する主に以下の活動に従事。
●選手への指導
●国際大会へのコーチとしての同行


 パラグアイのレスリング連盟に配属された小来田さん。求められていた役目は、同国では極めてマイナーであるレスリングの普及やレベルアップを支援することだ。
 配属先がレスリング教室の練習場所としていたのは、パラグアイスポーツ庁の施設。2面分のマットが敷かれたレスリング場があった。小来田さんの着任当時、教室の運営はイランの代表選手になった経験を持つ臨時コーチが担当。配属先にはコーチとして登録されているパラグアイ人もいたが、選手としての経験がほとんどないうえ、無給のポストであるため、本職の都合で練習への参加はほとんど期待できない状況だった。

【任期の序盤〜中盤】

選手に技の指導をする小来田さん

練習後の定例ミーティング

 小来田さんの着任の2カ月後にイラン人コーチが去ると、小来田さんによる教室運営が本格的にスタート。イラン人コーチと同様に、月・水・金曜日の週3回、夕方6時から2時間の教室を開き、指導にあたった。参加者は毎回10人程度。大半は二十歳以上の社会人男性だった。
 イラン人コーチに教わっていた選手もいたが、教室の参加者はいずれも初心者レベル。着任の約半年後にボリビアで開かれた南米大会に、教室でもっとも強い選手(以下、Aさん)を出場させたが、歯が立たなかった。
 Aさんは試合後、「国際大会に行くというのに、連盟から遠征費用の補助がない」と不平を漏らした。無断で遅刻したり休んだりするなど、練習に取り組む姿勢に問題がある選手だったこともあり、小来田さんはAさんと話し合う機会を持ち、こう伝えた。「きみの練習への取り組み方は、連盟からの補助に値すると思うか?」。すると以後、彼の練習に取り組む姿勢が変化。遅刻したり休んだりするときは、事前に連絡してくるようになった。
 周辺諸国とのレベルの違いに気が遠くなる思いを持った小来田さんだったが、Aさんの変化により、自分が果たすべき役割を見出す。選手たちの「レスリングに取り組む姿勢」を育てることだ。「技術」に先立つそうした「土台」こそ、黎明期にあるパラグアイのレスリング界には重要だと考えたのだった。
 そうして小来田さんは、教室に「練習後のミーティング」を導入。「練習には時間どおりに来る」「練習前にマットの掃除をする」「練習後に後片付けをする」「道具を大切に扱う」といった、レスリングに取り組むうえで大切な「姿勢」について話し合った。

選手が初めて自発的に揃えた靴を見て、小来田さんが思わず撮影した写真

練習前にマットの掃除をする選手たち

【任期の終盤】

 小来田さんは任期の半ば、教室の練習日を月曜日から金曜日までの週5日に増やした。「毎日の練習を定着させた」「それにより選手の戦績が上がった」といった、わかりやすい「活動の成果」を残したいという欲が出てきたからだ。しかし、新たに練習日とした火曜日と木曜日に参加する選手の人数は思うように伸びない。それどころか、負担の増加が選手たちのモチベーションを低下させ、月・水・金曜日の参加者すら減ってしまった。
 小来田さんは任期の残りが半年程となった時期、ふたたび練習日を週3日に戻したうえで、自分の活動の「成果」をどこに求めるべきかを再検討。そうして、教え子たちがレスリングにかかわり続け、10年、20年と経つころにはパラグアイのレスリング界のキーパーソンになってもらうことこそ、自分が求めるべき「成果」だと考えた。
 そうした「成果」をもたらすために任期終盤に力を入れたのは、レスリングに対する自分の考えを練習後のミーティングで積極的に伝えることである。繰り返し話をしたテーマのひとつは「スポーツの意義」。スポーツを通して何を得ることができるのか、小来田さん自身のレスリング経験を題材に、こんな話をした。
 ——困難があっても努力し続けた結果、目標としていた成績を収めることが叶ったことも、叶わなかったこともある。努力しても勝てないことがあるのは、勝負の世界である以上、スポーツでは当然のこと。しかし、目標が叶わなかったからと言って、それまでの努力が無駄になるわけではない。そこで得た「困難があっても努力し続ける力」は、スポーツ以外の場でも必要とされるものだからだ。レスリングに取り組むことによって養われるそうした力によって、自分自身の生活、さらにはパラグアイの人々の生活をより良いものにしていってもらうことこそが、私がここでレスリングを指導する目的にほかならない……。
 小来田さんのこうした話に、レスリングに対する真摯な姿勢をあらためて実感した選手たちは、任期の終わりが近づくにつれ、行動に変化が見られるようになっていく。練習後のミーティングでは、選手たちが互いに「ちゃんと座れ」「ちゃんと話を聞け」などと注意し合うようになった。練習場の入り口で脱ぐ靴を、彼らが初めて自発的に揃えるようになったのも、任期の残りが3カ月ほどとなったころだ。それまで、彼らが脱ぎ散らかした靴を小来田さんが揃えていたが、彼らに「靴を揃えて脱ごう」と伝えたことは一度もなかった。
 任期が終わるころに教室に通っていた選手は約10人。なかには、いずれパラグアイのレスリング界を背負って立っていってくれるだろうと期待できる選手もいた。1人は、技術レベルはさほど高くはないものの、誰よりも早く練習に来て掃除を始めるなど、後進を率いていけるような人間性を持つ選手だ。もう1人は、技術レベルがもっとも高かった前述のAさん。小来田さんの帰国後も、2人が中心となって練習を続けていることが、Facebookを通じて伝わってきているという。

小来田さん(中央)が最後に参加した練習の後に、当時の教室の選手たちと

Lesson〜小来田さんの事例から〜

その後の継続につながる指導を

スポーツ指導に取り組む場合、教え子たちにその後も長く競技を続けていってもらうためには、任期終盤に「スポーツに取り組む意義」をあらためて考えさせる機会を増やすことも有益だろう。

知られざるストーリー