JICA Volunteer’s before ⇒ after

井口雄介さん
(バヌアツ・村落開発普及員〈現・コミュニティ開発〉・2009年度3次隊)

before:IT系企業の企画営業
after:社会福祉法人の職員

「婚約破棄が協力隊に行こうと思ったきっかけ」と話すのは協力隊経験者の井口さんだ。大学卒業後IT企業に勤務したのち、協力隊員としてバヌアツに赴任。現地にどっぷり漬かった2年を終え、帰国すると逆カルチャーショックを受けた。悩み抜いた結果、人の困りごとを解決する仕事に就きたいと、地元で税理士事務所に就職したのち、現在は地元の社会福祉事業を行う民間団体で働いている。

「結婚」か「協力隊」か

バヌアツで漁業関係者の現状を知るための調査をする井口さん

 高校2年のとき、海外で大成功した人の自伝的小説を読み、海外での生活に興味を持ったという井口さん。宮崎県にある井口家の教育方針は「学費は自分で賄う」だったため、高校時代も大学時代も働きながら学校に行き、大学卒業後は「社員寮があって稼げる仕事に!」と、IT系の企画営業職に就いた。
 当時の彼女と結婚を考えていたとき、人生でやりたいことを振り返り、海外で生活したかったことを思い出した。結婚するとなるとすぐには難しいので、彼女に「何十年後かに海外で生活したい」と伝えた。すると大反対され、彼女か海外かを選ぶ事態となり、最終的に婚約破棄。一方で、海外生活への思いは増し、営業先のお客様から教えられた協力隊に応募したが、不合格。落ち込んでしまい、2度と受験しないと思ったそうだ。その後もそれまで通り働いていたが、「挑戦しない人生でいいのか」と再受験を決め、英語の勉強などをし直し、2度目の応募で合格した。
 村落開発普及員として、バヌアツの地方にある水産局に配属された井口さんは、現地の漁業者の収入向上を目指して活動に取り組んだ。「10個提案して、1個うまくいけばいい方。失敗の方が多かった」と振り返るが、現地の人の役に立てることを提案・実行していった。特に、現地の社会問題であった青年の就業率の低さに着目した活動では、青年たちの漁業組合を設立することで、青年の仕事意欲を向上させ、収入向上を達成できた。青年たちと家族のように付き合い、悩みを聞き、話し合った結果だと感じている。収入を得た日に、親にお金を渡している青年の姿を見ることができたのは何よりも嬉しかった。
「寝言も現地語で細胞まで現地化していた気がする」という井口さんは、自分と同じ名前の「ユースケ」と名付けられた子どももいるほど現地の人に受け入れられた。そんなバヌアツでの生活で、故郷の温かさと家族の大切さを感じるようになっていた。

家族の困りごとを解決するように

経営コンサルタント時代に、経営者向けのセミナーで講師を務める井口さん

 帰国後は、海外経験を生かせる開発コンサルティング企業や商社での勤務を目指して東京で就職活動をしたが失敗。スキル不足と同時に、協力隊経験だけでは希望の業種に就くのは難しいと知り、目標を見失ってしまう。一旦自分を見つめ直す必要性を感じ、宮崎に帰郷。JICAの進路相談カウンセラーに相談して協力隊経験の棚卸しなどをし、やりたい仕事は何かを考えた。また、スキル不足を補うため職業訓練所で学び、資格も取得。そんな井口さんの姿を見ていた職業訓練所のスタッフから地元の税理士事務所の仕事を紹介された。地域に根づき、経営者の困りごとを解決するという仕事内容に、協力隊活動と似たやりがいを感じ、挑戦したいと思った。
 求人に応募し、同事務所に就職。5年の勤務を経て、井口さんは経営コンサルティング会社を設立した。中小企業の経営者の相談を聞き、企業の利益を最大化しながらも社員満足度を向上できるように仕事に取り組んだ。
「暑苦しい、泥臭いなどと感じる方法かもしれませんが、お客様を家族だと思い、家族が困っていたらどうするかという気持ちで考え、経営者と2人3脚で歩んできました」
 しかし、社員満足度向上のために給料を増やし、福利厚生を整えても、親の介護・育児などにより離職が絶えなかった。
「人は給料という物理的欲求のためだけではなく、生き甲斐や働き甲斐などの精神的欲求を満たすために働く時代に変化している。そのことをヒシヒシと感じ始めました」
 気づけば「ひとりひとりの生きがいとは何だろう?」と井口さんの好奇心は「会社」から「個人」へとシフトし始めていた。そんなときに出合ったのが、現在勤務する社会福祉事業を行う民間団体の仕事だ。市役所などの仕事が地域の住民へ公平にサービスを提供するとするなら、同団体の仕事は地域住民のひとりひとりの課題に寄り添うこと。井口さんが暮らす地域で同団体職員の募集があると知り、挑戦を決めた。働きはじめたばかりだが、「今の私にとって、協力隊活動の再来のようにさえ感じる」と井口さんは話す。
「協力隊もその後の人生も、挑戦してうまくいかないことが少なからずありました。しかし、協力隊での経験をとおして、大事なことは失敗でも成功でもなく、挑戦し成長し続けることだと学びました。その学びを現在の仕事で生かし、目の前にいる人が幸せになるお手伝いをしていきたいと思っています」






井口さんのプロフィール

[1982]
宮崎県出身。
[2004]
青山学院大学卒業後、IT関連企業に就職。
[2006]
青年海外協力隊を初めて受験(選択の理由:海外に行きたという気持ちを思い出し、受験したものの不合格。落ち込み、協力隊参加を諦める。)
[2010]
1月、青年海外協力隊に参加(選択の理由:挑戦しない人生で良いのかと考え、英語と論文の書き方を勉強し、合格。)
バヌアツの村落部で所得向上に向けた取り組みとして、青年漁協組合の設立・運営支援、環境保護活動を行う。
[2012]
1月、帰国。
[2013]
1月、税理士法人馬服&パートナーズに就職。
[2018]
株式会社いのくち総合研究所を設立。
[2020]
4月、社会福祉法人の職員に(選択の理由:行政とともに地域に根ざした活動をすることで、社会の困りごとを解決したいと、就職。)

[心に残るカウンターパートの言葉]
バヌアツに来て1年。活動がうまくいかず、くやしがっているときにカウンターパートに言われました。「お前はバヌアツに来て1年だ。赤ちゃんならハイハイするくらい。だから焦るな。焦らずゆっくりいこう。生まれたての赤ちゃんにお前は何か求めるか? がんばってくれるのはうれしいけれど、そんなに焦らなくていい」と。そう言われ、気持ちを一旦リセットすることができました。

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