『貧しい人を助ける理由
〜遠くのあの子とあなたのつながり〜』

話=佐藤 寛さん(監訳者)・太田美帆さん(訳者)・土橋喜人さん(同)


『貧しい人を助ける理由
〜遠くのあの子とあなたのつながり〜』
著者:デイビッド・ヒューム(David Hulme)
監訳者:佐藤 寛
訳者:太田美帆、土橋喜人、田中博子、紺野奈央
発行:日本評論社、2017年11月
定価:1700円(税別)
英国を代表する開発学研究者が同国のリベラル系有力新聞『ガーディアン』に寄稿したエッセイをベースにした書の日本語訳。「先進国が途上国の開発を援助しなければならない理由」を、さまざまなデータや議論を見渡しつつ、一般読者向けに平易に説いている。

左から太田さん、土橋さん、著者のデイビッド・ヒュームさん、佐藤さん


[PROFILE]
■ デイビッド・ヒューム(David Hulme)
1952年生まれ。英国マンチェスター大学国際開発学部教授、同大学グローバル開発研究所専務理事。専門は「開発学」「経済地理学」「社会政策」。英国ケンブリッジ大学大学院修士課程とオーストラリアのジェームス・クック大学大学院博士課程を修了。マンチェスター大学では慢性的貧困研究所参事、開発政策マネジメント研究所所長などを歴任。

■ 佐藤 寛
1957年生まれ。(独)日本貿易振興機構アジア経済研究所上席主任調査研究員。専門は「開発社会学」「地域研究(イエメン、エリトリア)」「援助研究」「日本の開発経験研究」。東京大学文学部社会学科を卒業後、同研究所に入所し、研究支援部長、開発スクール事務局長、研究企画部長などを歴任。『貧しい人を助ける理由』では全章の監訳と第1章の訳を担当。
■ 太田美帆
玉川大学リベラルアーツ学部准教授。青年海外協力隊経験者(ガーナ・村落開発普及員・1996年度1次隊)、JICA海外協力隊技術顧問(担当職種は「コミュニティ開発」)。専門は「農村社会開発」「生活改善普及」「エンパワーメント」「ファシリテーション」など。英国レディング大学大学院修士課程を修了、同大学院博士課程を満期退学。『貧しい人を助ける理由』では第2章の訳を担当。
■ 土橋喜人
1968年生まれ。宇都宮大学地域デザイン科学部客員教授。青年海外協力隊経験者(フィジー・村落開発普及員・1995年度3次隊)。専門は「障害と開発」「社会開発」など。アジア経済研究所開発スクール、英国マンチェスター大学開発政策マネジメント研究所修士課程、宇都宮大学大学院工学研究科博士課程を修了。博士(工学)。『貧しい人を助ける理由』では第3章の訳を担当。


「鳥の目」を磨くために

——この翻訳書を出された経緯についてお教えください。
佐藤 「先進国が、なぜ途上国の開発を援助しなければならないのか」という問題は複雑です。本書は、その答えをかなりあっけらかんと整理した、あまり例のないものです。主張にさまざまな異論はあると思いますが、開発学の専門家である著者が、開発援助に関する議論を広く見渡したうえで書いているため、ロジカルで説得力がある。一方で、開発学の勉強をしていない人でも読めるよう、平易な表現で書かれている。そうした理由から、日本で紹介する意味があると思い、以前から付き合いがあった著者のヒュームさんに私が翻訳書のアイデアを持ちかけて実現したのが本書です。

——「先進国が途上国の開発を援助しなければならない理由」をあっけらかんと整理しているということですが、具体的にどのように整理しているのでしょうか。
太田 4つの理由づけが可能と整理されています。「他者の苦しみを軽減することは、人類の道徳的義務だから」「途上国が貧しいままとどまっているのは、経済的・政治的な構造上、先進国に道義的責任があるから」「途上国からの感染症の蔓延が防げるなど、先進国にも共通の利益があるから」「『紐付きの開発援助』などで、政治や商業の面で先進国にも自己利益をもたらせるから」という4つです。
 私が本書の翻訳に携われたことは、運命のように感じています。私が協力隊参加を決めた際、父から「日本にも困っている人がたくさんいるのに、なぜわざわざアフリカまで行くのか。日本でもやるべきことはいくらでもあるのに」という、まさに本書のテーマと重なる問いを投げかけられました。当時、父は地域でやるべきことに精力的に取り組んでいたので、私は父の真っ当な問いに半分納得しつつ、答えきれないままガーナに発ちました。その後も、協力隊の意義についての確信は揺らがないものの、父を説得できるほどの明確な理由が見つからないまま、その問いがずっと私の頭を離れませんでした。そうしたなか、翻訳者として本書を読み込んだことでマクロな知見を得て、協力隊経験で得たミクロな視点との両面から、ようやく父の問いに答えられるようになったと感じています。

——協力隊員が取り組むのは、派遣国のごく一部の住民や地方自治体職員などとの「ミクロレベル」の活動です。一方、本書で論じられているのは、国と国の関係など「マクロレベル」の事柄が中心かと思います。本書の内容を、協力隊員はどのように自分の活動に結び付けて考えると良いのでしょうか。
佐藤 ミクロレベルで活動する協力隊員の場合、「他者の苦しみを軽減することは、人類の道徳的義務だから」という「倫理的な理由」を活動のモチベーションにしているケースが多いかと思います。一方、協力隊活動の背景にあるマクロレベルの事情には、本書で紹介されている「倫理」以外のロジックもある。それを知ることは、自分の活動を客観的に見るという意味でも、重要だろうと思います。
太田 協力隊員の多くは、国と国の関係などのマクロ的動機ではなく、「東南アジアに行ったら、貧しい子どもがたくさんいて衝撃を受けた」といったミクロ的な出会いなどがきっかけとなって協力隊を志望していることと思います。そうして、当初はミクロレベルで目の前の人々に集中する「虫の目」で活動に取り組む。ある程度の成果は出せても、やがてどこかで限界を感じる。そこで「なぜだろう」と考えるうちに、「社会の構造」というマクロレベルの事情が背景にあることが、次第に見えてくる。協力隊活動というのは、目の前の人を助けたいという「虫の目」から、マクロレベルの事柄を見る「鳥の目」も身に付けていくプロセスでもあるのだと思います。と言うのも、私自身がそうした経験をしているのです。
 ガーナの村で住民の生活向上を目指して活動するものの、なかなかうまくいかなかった。やがて、彼らが貧しさから抜け出せない背景には、「ガーナはカカオの産地なのに、それを使ってチョコレートをつくるのは外国資本の企業ばかり」といったマクロな構造的原因もあることが見えてきた。協力隊員の方々が同じようにして獲得した「鳥の目」をさらに鍛えるうえで、本書は格好の入門書になるのではないかと思います。


開発援助業界の良心の代表者

——土橋さんはマンチェスター大学でヒュームさんに学ばれたと伺っていますが、どのような研究者なのでしょうか。
土橋 彼が開発援助にかかわり始めた出発点は、「VSO」(*1)の一員としてパプアニューギニアで活動した経験です。大洋州の貧困は独特であり、「自給自足の豊かさ」(*2)と表現されています。世界的な研究者になった今でも、その原体験にもとづく多様な「貧困」へのまなざしを持っていることが、彼の研究者としての最大の特徴だと私は考えています。彼に学びたいという人が世界中から集まってくるような方なのですが、同じ英国の代表的な開発学研究者であるロバート・チェンバースさんと比べると、日本ではほとんど知られていませんでした。その最大の原因は、チェンバースさんと違い、日本語の翻訳書が1冊もなかったことだと思います。その意味でも、本書の意義は大きいと思います。
佐藤 私はチェンバースさんとも付き合いがありますが、彼とヒュームさんは、英国の開発援助業界の良心を代表する2人です。彼らを比較すると、チェンバースさんは徹頭徹尾、体制に迎合しない姿勢を貫くのに対して、ヒュームさんは体制の中にも入って行き、面倒臭い人たちをうまく説得しながら、より良い開発援助を実現しようとするタイプです。本書は、英国のリベラル系新聞に掲載されたエッセイを下敷きにしたものですが、ヒュームさんが盛んに寄稿していたのは、途上国への開発援助、とりわけ新興国となった旧植民地のインドへの開発援助を続けるべきかどうかという議論が活発になっていた時期です。ヒュームさんは、「途上国への開発援助は止めるべき」と主張する保守派をなんとか説得しようと、「途上国の問題は先進国にも跳ね返ってくる」という、利己的とも言えるロジックを使った。彼自身はそのようなロジックは大嫌いなはずですが、そうした本心はさらけ出さない。本書も同様であり、そこがおもしろさの1つだと私は考えています。
太田 ヒュームさんがそのロジックを使ったのは、おそらく「企業」の方々にも途上国の問題に目を向けてもらおうという狙いもあったのではないかと思います。本書を読めば、先進国の企業が事業のあり方を見直すことで、途上国の問題の解決に貢献できることがわかります。今回、コロナ禍の影響で、志半ばながら「現場」を離れ、企業などへの就職を検討している協力隊員も多いと思います。派遣国での経験はかけがえのないものです。けれども、考えようによっては「現場」はどこにでもありますし、直接的でなくとも間接的に、また長期的に見れば、派遣国に貢献する方法は無限にあります。次のステップに進む前に、本書から幅広い視点で途上国の開発への貢献について、考えを深めていただければうれしいです。

*1 VSO…Voluntary Service Overseas。英国に本拠を置く国際ボランティア派遣団体。
*2 自給自足の豊かさ…「Subsistence Affluence」の訳。自給自足経済のなかに、一人当たりGDPなどでは測れない「豊かさ」があることを表現する言葉。

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