板書の書き写しに時間を取られ、内容の理解が阻害されてしまっていた現地の算数授業。細谷さんが実践する簡易な板書が同僚教員たちに評判となり、それをベースに副教材をまとめることとなった。
【PROFILE】
1993年生まれ、群馬県出身。大学で小学校教員免許状を取得。2018年1月、青年海外協力隊員としてタンザニアに赴任。 20年1月に帰国。
【活動概要】
カランガ小学校(キリマンジャロ州モシ市)に配属され、主に以下の活動に従事。
●5年生の算数授業の実施
●3〜6年生の体育授業の実施
●キャリア教育の実施
●クラブ活動(スポーツなど)の支援
細谷さんが配属されたのは、40人ほどのクラスが1学年に1つ〜2つずつある小学校。各教員がいずれかの教科を専門に受け持つ「教科担任制」がとられていた。任期を通じて活動の柱のひとつとなったのは、5年生の算数を担当することだ。コマ数は各クラス週に5コマずつ。
配属先では従来、算数の学力の低さが問題となっていた。主要5教科のうち3教科で及第点の60点を取れば進学が認められる卒業時の国家試験では、全国で20〜30パーセントの児童が算数の及第点に達するのに対し、配属先はわずか2パーセント程度だったのだ。その原因は、同僚教員たちの授業のやり方にあると細谷さんは考えた。教科書が全児童に行き渡らないこともあり、同僚教員たちは次のようなスタイルの授業を行っていた。
(1)児童に質問し、答えさせるというやり方で、前回の授業の復習を行う。
(2)教員が教科書をそのまま板書し、児童がノートに書き写す。
(3)板書の音読をする。
(4)例題を教員が解いてみせ、続けて別の例題を児童に解かせる。
(5)練習問題を解かせる。
こうしたスタイルの授業では、板書の書き写しと音読に時間を取られてしまい、児童の理解を促すのに必要な説明が不十分になってしまっていた。細谷さんも、最初は「現地のやり方を踏襲すべきだ」と考え、同僚教員たちと同じスタイルで授業を行ってみた。しかし案の定、児童の理解を促す説明にあてる時間の確保が難しかった。そこで細谷さんは、次のようなオリジナルのスタイルを試行することにした。
(1)口頭で学習内容を説明する。
(2)理解度を確認する質問に答えさせる。理解できていない児童がいる場合は、理解できた児童に説明させる。
(3)教科書を板書し、児童に書き写させる。板書の内容は、教科書の要点だけに限定。「分数」の単元で登場する「食べ物を切り分ける」などの具体物による解説は省いた。
(4)練習問題を解かせる。
この授業スタイルにより、定期テストで成績が下位の層の点数が上昇。こうした顕著な効果が見られたことから、細谷さんは以後、任期を通じてこの授業スタイルを貫いた。
細谷さんは授業を行う際は毎回、板書案を事前にノートにメモしていた。帰国まで残り半年となったある日、そのノートを職員室の自分の机に広げて置いたまま離席。しばらくして職員室に戻ると、細谷さんの机の周りに同僚教員たちの人だかりが出来ていた。彼らは細谷さんを見ると、「これはとてもわかりやすい」と口々に称讃。さらに彼らのうちの1人から、「これをまとめて、児童の副教材に仕立てるべきだ」との意見が出た。
そうして細谷さんは、それまでつくり溜めた板書案をベースに、「教科書の要約版」とも言うべき副教材の作成に着手する。残りの任期が長くなかったことから、5年生の単元のうち、卒業時の国家試験で正答率が低い「分数」「文字式」「図形」のみに範囲を限定。児童が読み返す意欲を持ってもらえるよう、極力コンパクトなものにすべく、1コマ分の解説をA4判の用紙1枚にまとめることとした。
草稿は細谷さんが執筆したが、算数教員でもある副校長が推敲に付き合ってくれた。さらに、職員室で副教材の内容について副校長と議論をしていると、ほかの算数教員たちもそれに加わり、「この箇所は意味がわかりづらい。こう表現したらどうか」などと提案してくれるようになった。
作成の開始から3カ月ほど経ち、年度の終了までの残りが1カ月ほどとなったころ、細谷さんはすでに年度のカリキュラムをすべて終えていたことから、副教材の草稿を児童に配って授業を行ってみることにした。そうして、児童が理解しづらそうだと感じた点があるたびに、草稿を練り直した。
効果は期待以上だった。副教材の草稿を何度も読み返す児童の姿が見られ、細谷さんへの質問も増加。児童の理解がより進むことが確認できたのだ。配ったコピーをノートに丁寧に貼り付けていき、「これで先生がいなくなっても大丈夫だ」と告げてくれた児童もいた。
そうして完成した副教材は、計40ページほど。配属先を管轄するキリマンジャロ州の教育長が配属先を訪れた際にこれに興味を示し、「州知事に見せ、検討する」と言ってプリントアウトしたものを持ち帰ったところで、細谷さんの任期は終了となった。