日本語教師として
日系ブラジル人と地域のつなぎ役に

木谷恵子さん
日系社会青年ボランティア/ブラジル・日系日本語学校教師・2014年度派遣
島根県出雲市 人材派遣会社の日本語教師

多くの日系ブラジル人をメーカーの工場などに派遣している人材派遣会社のフジアルテ株式会社。社内に初めて開設された日本語教室の運営に携わっている協力隊経験者の木谷さんに仕事の様子を伺った。

PROFILE





1986年、島根県出身。大学卒業後、出版社で広告営業に携わるかたわら、日本語教師養成講座に通う。2014年7月、日系社会青年ボランティアとしてブラジルに赴任。日系団体のサントアマーロ日伯文化協会が運営する日本語学校(サンパウロ州)に配属され、主に子どもへの日本語教育に取り組む。16年7月に帰国。現在は人材派遣会社のフジアルテ株式会社で日本語教室の運営に従事。

※派遣名称は派遣当時のものです。


フジアルテの日本語教室の受講者たち

多くの日系ブラジル人が暮らす出雲市の斐川(ひかわ)地域

ブラジル料理教室で交流する日系ブラジル人と地元の日本人たち


−−フジアルテ株式会社で木谷さんが運営を担当されている日本語教室の概要をお教えください。

 フジアルテは日本各地に営業所を構える人材派遣会社で、私が勤務する出雲市の営業所では、約1000人の日系ブラジル人を雇用し、地元にあるメーカーの工場に製造スタッフとして派遣しています。私が担当しているのは、彼らのうちの希望者を対象とする日本語教室の運営です。受講者の勤務の時間帯はまちまちであるため、90分間の講座を毎日5回開き、各自の都合に合わせて受講してもらうようにしています。現在の受講者数は毎講座10人程度で、教室の運営は私が1人でこなしています。

−−今の仕事に就かれたいきさつは?

 出雲市で暮らす日系ブラジル人は3000人を超えているのですが、私が帰国して最初に就いた仕事は、彼らのためにポルトガル語の通訳や翻訳をする出雲市役所の非常勤の職でした。その仕事をするなかで、日本語がわからないために苦労しているような日系ブラジル人の方もいることを知り、やがてボランティアで日本語教室を開くようになりました。その活動を知ったフジアルテの社員に、「雇用する日系ブラジル人を対象とした日本語教室を社内に立ち上げたいので、力になってほしい」と誘われたのでした。入社は2017年です。日系ブラジル人を多く派遣している営業所はほかにもあるのですが、日本語教室の開設はフジアルテとして初の試みであり、教科書の選定など、すべてが一からのスタートでした。

−−授業はどのような方式や内容にしているのでしょうか。

 当初は一斉授業を試みたのですが、受講者の日本語力のばらつきが大きかったため、それぞれのレベルに合ったプリントで学習してもらいながら、個別指導をして回る方式に変更しました。フジアルテでは、雇用する日系ブラジル人の中で比較的日本語力が高い人を「リーダー」に任命し、日系ブラジル人社員と派遣先企業との間の交渉事はすべてリーダーを通して行うというルールを設けています。そのため、リーダーたちの日本語力を上げることが日本語教室開設の狙いだったのですが、蓋を開けてみると、日本語をほとんど話すことができないリーダー以外の受講希望者が多かったのでした。

−−リーダー以外の方はどのような動機で日本語を学ぶのでしょうか。

「生活で必要だから」という動機のほか、「地域の日本人と親しくなりたい」といった動機で学ぶ方も多いです。出雲市で働く日系ブラジル人たちは、多くの時間を仕事に費やすため、地域の日本人と知り合うチャンスがなかなかありません。そんななか、日本語を身に付けることで、日本人と知り合う可能性を少しでも広げたいと考えている方が多いようです。

−−教室運営の難しさは?

 会社の事業として運営する教室ですから、「日本語能力試験でより高いレベルに合格する」という具体的な「成果」が求められます。しかし、忙しい仕事の合間の勉強であるため、試験に合格する前に挫折してしまいがちであり、いかにして彼らに高いモチベーションを保ってもらうかが、一番の難しさだと感じています。一斉授業から個別指導に変更し、学習の負担を軽くしたのも、その対策の1つです。また、私がボランティア活動として地域の日本人を対象に開いている「ポルトガル語教室」や「ブラジル料理教室」に日本語教室の受講者を招くなどして、日本語を使う機会を増やす工夫もしています。そうした対策の結果、リーダー以外の受講者の7割が日本語能力試験の初級レベルに合格するようになり、なかにはリーダーに登用される人も出てくるようになりました。一から日本語を学び始めた受講者から、「1人で病院に行けた」「派遣先の日本人社員が話していることが理解できた」といった報告を受けると、仕事のやりがいを感じます。

−−お話に出たポルトガル語教室やブラジル料理教室の概要をお教えください。

 いずれも、島根県で暮らす外国人の支援に取り組むNGOから依頼を受け、運営を担当するようになったもので、不定期に開催しています。ポルトガル語教室の受講者はさまざまで、「仕事で日系ブラジル人に応対できるようになりたい」という消防士、「子どもの友達に日系ブラジル人の子がいるので、その親御さんと親しくなりたい」というお母さん、日系ブラジル人の子どもが通う小・中学校の先生などです。最初は私自身が講師を務めたのですが、せっかく地域にポルトガル語のネイティブ話者がいるのにもったいないと思い、日本語教室の受講者にも参加してもらうようになりました。ブラジル料理教室でも、日本語教室の受講者のなかの料理が得意な方に講師を依頼しています。
 私はブラジルに赴任した当初、ポルトガル語もまだ十分に話せず、現地の人にあれこれ教えてもらわなければ何もできなかったため、無力感に苛まれました。「教えてもらうばかりではない」と自信を持つことができたのは、日本語教師としての活動が始まり、「現地の人に教える」という立場に立ったときでした。日系ブラジル人の方々も、私と同じような無力感に苛まれるのではないかと思います。だからこそ、ポルトガル語教室などで「教える立場」に立ってもらうことは、自信を持って地域社会に参加するために重要だろうと考えています。出雲市で働く日系ブラジル人たちは、母国で医師や警察官、弁護士、先生、エンジニア、パティシエなど、さまざま職に就いていた方々です。私はブラジルで、そうした職の日系ブラジル人たちが生き生きと働いている姿を見てきています。そのため、「工場で働く日系ブラジル人」とひと括りにされてしまいがちな彼らが、それぞれの得意技を発揮して活躍する場をつくりたいという思いがあり、ポルトガル語教室などはそれが実現した例でもあります。

−−今後の抱負をお聞かせください。

 日本語教室は会社にも存在意義が認められ、他県の営業所でも開設されるようになりました。第1号の教室を運営する立場として、今後もより良い教室のあり方を模索していきたいと考えています。
 日本語教室の受講者を講師に招いて開くポルトガル語教室やブラジル料理教室は、彼らと日本人受講者の双方に好評なので、今後も継続していければと考えています。日本語教室の受講者が日本人と付き合う機会が少なかったころは、「日本人は日系ブラジル人と親しくなりないと思っていないようだ」と口にしていました。一方、地域の日本人からは、「近所に日系ブラジル人が住んでいるけれども、ポルトガル語で話されたら会話が続かないと思うと、話しかけるのをためらってしまう」という声を聞いていました。そんなもどかしさを感じていた両者をつなぎ、「互いに名前で呼び合える関係」を築き、支えることは、ブラジルで暮らした経験を持つ私が取り組むべき役目の1つだと思っています。

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