障害の程度を問わずに取り組むことができる
スポーツの普及を支援

浅見明子さん(︎ネパール・障害児・者支援・2017年度1次隊)の事例

障害の程度を問わず、幅広い身体障害者がプレーできる障害者スポーツの「ボッチャ」。その普及支援に取り組んだ浅見さんは、障害者への偏見をなくすため、健常者への普及にも力を入れた。

浅見さん基礎情報





【PROFILE】
1984年生まれ、栃木県出身。体育大学を卒業後、2012年に脊髄損傷者専門のトレーニングジムを運営するジェイ・ワークアウト(株)に入社し、トレーナーとして勤務。17年7月に青年海外協力隊員としてネパールに赴任(現職参加)。19年3月に帰国し、復職。

【活動概要】
障害者スポーツ「ボッチャ」の普及に取り組むネパールボッチャ協会(カトマンズ市)に配属され、同競技に関する主に以下の活動に従事。
●競技の普及
●指導者の育成
●大会の開催


 浅見さんが配属されたのは、「ボッチャ」という障害者スポーツの普及に取り組むネパール・ボッチャ協会。ボッチャとは、直径10センチ程度のボールを投げたり転がしたりして、的とするボールにどれだけ近づけたかを競う競技だ。試合は通常、障害の種類や程度によって細かなカテゴリー分けをして実施され、重い障害のカテゴリーでは「滑り台」のような補助具を使ったり、アシスタントを使ったりしてボールを操ることが認められている。そのため、障害の程度がどれほど重い人でも楽しめるのが特徴となっている。そこに感銘を受け、ネパールにボッチャを広めようと10年前に協会を立ち上げたのが、ボッチャ協会の会長を務める女性だ。彼女がボッチャの存在を知ったのは、JICAの研修で障害者スポーツについて学んだ際。彼女が孤軍奮闘で普及に取り組んできたものの、思うような成果が上がらなかったなか、それを支援する役目で派遣された協力隊員が浅見さんだった。

「ボッチャ検定」を導入

浅見さんが週に1度訪問し、ボッチャの指導を行った学校では、現地の教員が自力で指導をするようになった。写真は、障害の程度が重い選手に使用が認められている滑り台のような補助具を使い、ボールを転がす練習をする脳性まひの子

浅見さんは任期中、各校で対戦するボッチャの大会も開催した

 浅見さんの活動の柱となったのは「巡回指導」である。特別支援学校5校と障害者の宿泊施設1カ所を、それぞれ週に1度ずつ訪問し、毎回1時間ほどボッチャの指導をした。対象者の人数は、少ない所で10人程度、多い所で50〜60人という規模だった。
 浅見さんは当初から、帰国後に競技が途絶えてしまうことのないよう、特別支援学校の教員たちにもボッチャの指導ができるようになってもらおうと考えていた。そうして、彼らにルールや基本的な技術をひととおり伝え終えると、浅見さんが訪問しない日には彼らが指導者となって練習をさせてほしいと依頼。しかし、彼らは「わかった」と返事をするものの、それを実践している様子が一向に見られなかった。その理由がようやくわかったのは、着任して半年ほど経ったころ。彼らには「スポーツの練習」をした経験がなく、浅見さんが行う指導を見ても、どこをどう真似れば良いのかがわからなかったのだった。
 そこで浅見さんが導入したのは「ボッチャ検定」の仕組みだ。「ボールをまっすぐの方向に投げる」「ボールを左の方向に投げる」など、マスターすべき技術のそれぞれについて難易度を10段階で評価し、ある段階の技術をマスターしたら「●級合格」などと認定し、易しい段階から順次ステップ・バイ・ステップで研鑽を進めていくやり方だ。浅見さんは各段階にどのような技術が該当するのかを絵を使って示した資料をつくり、巡回先の教員に渡して、段階をひとつひとつクリアさせていくような指導をするよう依頼。すると彼らは、浅見さんが訪問しない日にも自力での指導を行うようになった。子どもたちも、段階をクリアするごとに達成感を覚えることができるため、練習へのモチベーションが向上。そうして、最初は10センチほどしかボールを飛ばせなかった子が、2メートル、3メートルと距離を伸ばしていくようになり、その姿を見た各校の教員たちも、指導にさらに熱を入れるようになったのだった。

障害者と健常者の対戦も実現

1カ月間の集中指導を行った小学校で、ボッチャに夢中に取り組む健常者の児童たち

 ネパールの大半の人が信仰するヒンドゥー教には、「現在の状態」は前世を含む過去の「善行」と「悪行」の結果であるとする「カルマ」の考え、および「命あるもの」は何度も転生するとする「輪廻」の考えがあり、「障害」は「前世の悪行の報い」と見られている。そのため、同国では障害者への偏見が強く、障害者がいる家族がその存在を隠し通そうとするケースもある。そこで浅見さんは、障害者への偏見をなくすことを目的に、健常者にボッチャを普及させる活動にも取り組んだ。浅見さんは派遣前、日本のいくつものボッチャチームを訪ね、指導方法を教わった。そのなかで、重度の障害があるトップ選手とたびたび対戦をさせてもらう機会をもらったが、当初の予想に反してまったく歯が立たず、障害者の力をみくびっていた自分を恥じた。そうした経験があったことから、ネパールでも健常者と障害者が対戦する機会をつくれば、後者が持つ力に驚き、前者が持つ偏見が吹き飛ぶのではないかと考えたのだった。
 健常者への指導に力を入れるようになったのは、任期の半ばごろだ。継続して指導に訪れたのは、小学校1校と5カ所の孤児院。想定外だったのは、訪問先とした小学校の校長がボッチャ自体の魅力を高く評価し、児童にプレーさせることに極めて積極的になってくれたことだ。ボッチャにはチーム戦もあり、そこではチームのメンバー同士のコミュニケーションがきわめて重要な要素になる。そこにある教育的意義が、校長の着目したボッチャの魅力だった。校長は浅見さんが1カ月にわたって集中的に指導に通うことを快く受け入れ、さらに審判のやり方や障害について学んでもらう講習会などを開かせてくれただけでなく、浅見さんの帰国後、運動会にボッチャを取り入れるなど、継続的にボッチャとかかわるようになったのだった。
 浅見さんが指導した障害者と健常者が対戦する機会は、任期中に3度設けることができた。結果は、先に指導を始めていた障害者たちの勝利。ボッチャの国際大会では、健常者が「アシスタント」となって障害者と共にプレーをするカテゴリーもある。そうした場に、指導した健常者が参加してくれるようになれば、ネパールのボッチャはますます盛り上がるはず——。そんな期待を持って、浅見さんは任期を終えることができた。

任地ひと口メモ 〈カトマンズ盆地〉

浅見さんが赴任したカトマンズ盆地は、中世に先住民のネワール族が独自の文化を華開かせた場所。当時つくられた建築などの一部はユネスコの世界文化遺産にも登録されている。写真はその1つ、ヒンドゥー教のニャタポラ寺院。


伝統衣装のサリーで着飾り、結婚式に出席する新婦の関係者たち。浅見さんの任地で開かれるヒンドゥー教徒の結婚式の一般的な光景だ。


知られざるストーリー