「人間と自然のせめぎ合い」という視座に立って、
林業をなりわいに

荒井里佳子さん(ベネズエラ・林業・森林保全・2014年度1次隊)
「荒井種苗」を経営

派遣前は林業コンサルティングに、協力隊時代は苗木生産の技術指導に携わった荒井さん。それらの経験をベースに帰国後の道に選んだのは、苗木の生産・販売をする事業の立ち上げだ。






PROFILE

1986年生まれ、長野県出身。林業のコンサルティングを行う長野県の一般社団法人に勤務した後、2014年6月に青年海外協力隊員としてベネズエラに赴任。苗木づくりやコンポストづくりの指導などに取り組む。16年6月に帰国し、同年7月に「荒井種苗」を開業。18年度の全国山林苗畑品評会(全国山林種苗協同組合連合会主催)にて、林野庁長官賞を受賞(右写真は、協力隊時代の荒井さんの指導対象者たちが苗木生産に取り組む様子)。

荒井種苗

本拠地:長野県上田市
開業:2016年
事業:苗木(カラマツ・スギ)の生産・販売


荒井種苗の苗木生産所。張り巡らせている鉄のパイプは、井戸水を汲み上げて散水する設備

出荷できる状態まで育ったカラマツのコンテナ苗

育苗に使うカラマツの種子は、種子が飛び出す前の松かさを収穫し、写真のような状態で乾燥させてから取り出す


−−「荒井種苗」の事業内容についてお教えください。

 主にカラマツの「コンテナ苗」を生産、販売しています。コンテナ苗というのは、根が固まって成長できなくなる「根巻き」を防ぐような細工をした育苗容器で育てる苗木で、日本では10年ほど前に導入が始まった技術です。苗畑で育てる従来の「裸苗」と比べ、養土が根にまとわり付いた状態で出荷できるため、「山に植える際の手間が少ない」「山に植えた後に根付く率が高い」といったメリットがあります。他方、散水や追肥などの手間がよりかかるため、販売価格は裸苗の倍ほどになってしまうのですが、普及を進めるために政府が支援の制度を設けており、商売として成り立つ状況になっています。カラマツの苗木は出荷までに2年ほどかかり、荒井種苗では常時5万本ほどの苗木を育て、年に2万本ほど出荷しています。

−−主な販路は?

 長野県では、林業用苗木の生産者でつくる組合が、国や民間の山林保有者が実施する苗木調達の入札に応じ、落札できると、組合員たちに出荷を依頼するという仕組みになっています。造林は、その土地の自然環境に合った種類の木を植える「適地適木」が重要で、苗木の買い手はそうした条件を設定して売り手を募ります。しかし、苗木がその条件に本当に合っているかどうかは、何年も経って木が生育してからでければ判明しません。そのため、かつて苗木の性質を偽って販売するケースが発生してしまったため、組合が受注を管理する体制が取られるようになったようです。近年、林業用苗木の生産は大手企業の進出が進んでおり、それらが組合の競争相手となっています。

−−法人格を取得されていませんが、事業はお1人で回しているのでしょうか。

 カラマツの苗木生産で集中的に労力を投入しなければならないのは、苗畑で発芽させた苗を育苗容器に植え替える作業で、その期間は年に1週間ほどです。その時期は知人にアルバイトを頼むなどしていますが、それ以外は基本的に私1人で作業をこなしています。長野県内の苗木生産者には会社組織にしている方もいますが、いずれも「庭木の販売」や「樹木の伐採」など、ほかの仕事を掛け持ちしています。私は会社勤めをする夫との共働きで、苗木生産に限定して働くことを選んでいるため、事業の規模として個人事業主のまま進めても差し障りがないため、法人格を取得していません。夫も私と同じ時期に協力隊員としてベネズエラに派遣されていた男性で、現在は2人の子どもを保育園に預けながら仕事を続けています。

−−開業のきっかけは?

 苗木生産の師匠から、「帰国後は苗木づくりをやらないか」と声をかけていただいたのがきっかけです。日本政府は戦後、復興のための木材需要に対応するため「拡大造林政策」を実施しました。広葉樹の天然林を、より速く太い木に育つ針葉樹に植え替える政策です。その時期に植えた苗木が近年、木材として使えるまでに育ち、伐採して新たな苗木を植えるタイミングになっています。しかし、拡大造林政策以降、苗木の生産者は減る一方でした。そうしたなか、長野県で生産を続けてきた1人が、私の師匠です。私は協力隊に参加する前、林業のコンサルティング会社で働いており、その時期に知り合った方です。彼には後継者がおらず、私が協力隊員として赴任しているときから、「すべて教える。後を継がないか」と声をかけてくださっていました。
 帰国した当初は、ベネズエラの農家のように、牛の放牧と野菜栽培などを一緒に進める「複合農業」を夫とともに始めることも考えたのですが、日本では放牧に適した規模の土地を手に入れるのに多額の費用がかかることもあり、断念しました。それに替わる生き方として苗木生産に取り組もうと決断したのは、協力隊時代の学びが影響しています。
 派遣前に林業のコンサルティング会社に勤務していたときには、「林業は自然環境を守るすばらしいもの」という意識が強かったのですが、ベネズエラで苗木生産の技術指導に取り組むなか、林業以外に家族を養う道がないために必死に学ぼうとする方々と接し、「林業は生活の糧を得る手段なのだ」と実感することができました。人間は自然を利用し、環境への負荷をかけながらでしか、生きていくことはできない。私の師匠はよく、「人間が少なくなれば、地球温暖化は止まる」とおっしゃいます。人間にとって重要なのは、自然をどこまで利用し、どこまで守りながら生きていくべきなのか、その折り合いの付け所を探り続けることなのだろうと思います。そうした「人間と自然のせめぎ合い」の構図への視座を協力隊経験で得ることができたため、その学びを糧に、あらためて林業に携わってみようと思ったのでした。

−−派遣前のように、組織の一員として林業にかかわるのと、起業して林業にかかわるのとでは、どこに大きな違いがあるとお感じになっていますでしょうか。

「林業に対する自分の考えを自由に発言できる」という点が、起業して林業に携わる場合の最大の魅力だと感じています。前述のとおり、「人間と自然のせめぎ合い」を考えて進めることが林業でも重要ですが、この問題は明快な正解が出せるものではありません。「広葉樹が生えていた場所には、落ちた種から自然に育つ広葉樹を成長させるべきだ」という、日本の拡大造林政策への批判もあります。他方、「拡大造林政策をしなければ、国内の木材の需要を満たすために輸入材に頼るようになり、海外の森林破壊が進む」という見方もあります。私は後者の立場なのですが、その意見を同業者の集まりなどでためらわずに発信できているのは、規模は小さいながらも、「一国一城の主」として林業に携わっているからだと感じています。もし派遣前に勤めていた会社に戻っていたら、会社としての立場もあるので、「林業のあり方」などについて意見を発信することはできなかったはずです。「日本の山は、緑が豊かですばらしい」などと口にしたら、「海外かぶれ」などと言われ、萎縮してしまっていたのではないかと思います。

−−最後に、協力隊の任期を終えた後に「林業」や「第一次産業」などで起業することを視野に入れている後輩隊員に向けて、メッセージをお願いします。

 日本の林業は、苗木の生産でも木の伐採でも、人材不足が深刻です。しかし、特に木の伐採は危険度も高く、林業に就いてもほどなく辞めてしまう人も多い。レーザーによる測量などの技術で手間の軽減は進んでいますが、まだまだ人間が手間をかけて木に向き合うことは必要です。一方、「人間と自然のせめぎ合い」という状況に意識を向けている方にとって、林業は非常におもしろい仕事だと思います。そうした方にはぜひ、帰国後の進路の1つとして林業を検討していただければと思います。

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