日系人の子どもたちに
それぞれのレベルに合った日本語教育を実施

羽石 瑛さん(︎日系社会青年ボランティア/日系日本語学校教師・2017年度派遣)の事例

パラグアイの首都で暮らす日系人の子どもたちへの日本語教育に取り組んだ羽石さん。彼らの間に日本語に触れる機会に差があるなか、それぞれの日本語力に応じた授業運営の方法を見つけ出していった。

羽石さん基礎情報





【PROFILE】
1987年生まれ、栃木県出身。兵庫教育大学で小学校の教員免許状を取得。兵庫県南あわじ市立の小学校に教員として勤務した後、2017年6月に日系社会青年ボランティアとしてパラグアイに赴任(現職教員特別参加制度)。19年3月に帰国し、復職。

【活動概要】
アスンシオン日本人会が運営するアスンシオン日本語学校(アスンシオン市)に配属され、主に以下の活動に従事。
●日本語授業の実施
●図書室の運営支援

※派遣名称と職種名は派遣当時のものです。


 羽石さんが配属されたのは、首都アスンシオン市の日本人会が運営するアスンシオン日本語学校。幼稚園や小・中学校に通う子どもたちが、放課後や休日に日本語を学びに来る「塾」のような教育機関だ。当時同市では、約600世帯の日系人が暮らし、そのうちの約250世帯が日本人会に所属。羽石さんの配属先に通うのはその子弟たちで、在校生は130人ほどだった。教員は15人。羽石さんは任期中、以下のクラスの日本語授業を担当した。平日のクラスは週に3日、1日3コマずつ授業があり、土曜日のクラスは1日5コマだった。
【2017年度】
■平日 小学2年生のクラス(2人)
■土曜日 中学1年生のクラス(8人)
【2018年度】
■平日 小学1年生のクラス(2人)と6年生のクラス(2人)。両クラスの授業を同じコマに同じ教室で行う「複式学級」。
■土曜日 小学1年生のクラス(14人)

対象は日系3世や4世

小学1年生(左の2人)と小学6年生(右の2人)を複式学級で担当したコマでは、一方に自習をさせながら他方で座学を行うというやり方を基本としつつ、ときに両者がコミュニケーションをとる時間も設けた

担当した「書道」の特別授業では、漢字への興味を持ってもらうべく、漢字を自由にデザインするアクティビティも行った

 パラグアイへの日本人の移住が本格化したのは1950年代。現在は約7000人・2000世帯の日系人が8カ所の移住地やアスンシオンなどの都市部で暮らす。各地の日本人会はこれまで、それぞれ日本語学校を持ち、日系人子弟を対象とした「継承日本語教育」を行ってきた。継承日本語教育とは、日本語力の向上だけでなく、その背景にある文化の継承やアイデンティティの形成をも目的とした教育だ。
 羽石さんの配属先では、日本の学校で使われる日本語母語話者(*)のための「国語の教科書」を主な教材としながら継承日本語教育が行われていた。しかし、同じ年代でも子どもによって日本語力の差が大きく、すべての子が国語の教科書での学習に付いていけるわけではなかった。在校生の中心は日系3世や4世で、家族ともスペイン語で会話をし、日本語に触れる機会がほとんどないという子が多かった。しかし、なかには親が日本語の勉強の面倒をよく見ている、あるいは祖父母とは日本語で会話をしているといった事情から、ある程度の日本語力を持つ子もいた。そうした状況のなかで羽石さんは、教え子たちの日本語力に応じて授業の進め方に変化を付けるよう努めた。
【平日の授業】
 週に3日通う平日のクラスの子どもは、おしなべて親が我が子の日本語力を向上させることに熱心であり、日本語力も高かった。そこで、平日のクラスでは日本の学校で行われているのと同様の授業を実施。教科書に掲載されている文章の音読や解釈などである。17年度に担当した2年生のクラスの子どもたちは日本語力が高かったことから、「日本語を使いながら理科の実験を行う」といったアクティビティも取り入れた。
 複式学級の運営は羽石さんにとって初めての経験で、当初は要領をつかむのに苦労した。しかし、担当した1年生のクラスの2人の日本語力が高いとわかったことから、同じコマで教える6年生との間でコミュニケーションをとる時間を設けるなど、複式学級であることを生かすようにした。
【土曜日の授業】
 土曜日のクラスは読み書きができない子も多く、18年度に担当した小学1年生のクラスは一切できない子が大半だった。そうしたなかで羽石さんは、国語の教科書に出てくる「ひらがな」「カタカナ」「漢字」の習得を授業の目標に設定。時折「歌」や「折り紙」、「読み聞かせ」、「お店屋さんごっこ」など楽しめるアクティビティを取り入れることで、日本語に対する興味の喚起や日本語を聞き取る力の向上に努めた。

*日本語母語話者…日本語を母語(幼少期から自然に習得する言語)とし、実際に使う人。

図書室の「断捨離」を敢行

図書室の「断捨離」をした後、羽石さんは図書室で好きな本を選んで読む時間を授業に取り入れた

 羽石さんが活動を進めるなかで感じていたのは、自身が大学で心理学を学んだこと、およびそれをベースに小学校教員として授業運営の技術を蓄えていったことが、すべて生きているということだ。子どもへの声がけの手法などは、日本の子どもを相手にしたときに効果的だったものが、パラグアイの日系人が相手であっても同じように効果的だったのだ。心残りだったのは、同僚教員たちの大半が教育に関する専門知識を学んだことがなかったにもかかわらず、それを伝えるチャンスが見つけられなかったことである。「伝えたら有益だろう」とは思ったものの、彼らはダブルワークなどで多忙であり、時間を割いてもらうのをためらってしまったのだ。
 一方、学習環境の改善については貢献できたこともあった。図書室の改善だ。羽石さんは任期中、校務分掌としてほかの同僚教員と共に図書室運営を担当。着任当時、配属先には日本語の蔵書が3000冊ほどあった。しかし、日系1世が日本から持参した本などは、カビが生えたり朽ちたりして読む気が起きず、衛生上の問題も懸念されるものが多かったため、図書室がほとんど活用されていなかった。そこで羽石さんは思い切った「断捨離」を提案。蔵書の半数ほどを廃棄したうえで、残した蔵書は分類して並べ、シンプルで使いやすい図書室にした。すると、「図書室で本を選び、読む時間」を設けるなど、教員たちの間で図書室を活用する機運が生まれたのだった。

任地ひと口メモ 〈アスンシオン〉

アスンシオン市はパラグアイの首都で、周辺の市と共に人口約250万人の首都圏を形成する。16世紀にスペイン人によって建設された古都であり、旧市街には植民地時代のコロニアル建築が多く残されている。


道端の薬草売り。薬草はすりつぶし、テレレ(先住民のグアラニー族の伝統的な飲み物であるマテ茶を冷水で淹れたもの)に入れて飲む。



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