協力隊時代のカウンターパートに
学んだ「挑戦する姿勢」

永田 彰さん(ラオス・コンピュータ技術・2015年度1次隊)
株式会社TOKYO 社員

国内外でITに関する事業を行う(株)TOKYOに籍を置きながら協力隊に現職参加した永田さん。協力隊時代のカウンターパートの働き方を見て学んだ「果敢に挑戦する姿勢」を、復職後、自身の仕事の基本姿勢とするようになった。






PROFILE

ながた・あきら●1979年生まれ、広島県出身。大学院修了後、システム開発会社にシステムエンジニア(SE)として6年間勤務。2013年、SEとして(株)TOKYOに入社。15年6月に青年海外協力隊員としてラオスに赴任(現職参加)。17年6月に帰国し、復職。現在は、IT等の専門家としてJICAの技術協力プロジェクト「貧困削減に資するUXO Laoの実施能力強化プロジェクト」に参画中。

協力隊活動●首都ビエンチャン市にあるラオス国立大学の工学部IT学科に配属され、プログラミングの授業などを担当。右の写真は、同僚教員と共に開催した「アイデアソン」に参加した配属先の学生たち。アイデアソンは、グループによるディスカッションでアイデアの創出や改善の質を競うイベントで、永田さんたちは「位置情報アプリの活用方法」をテーマにしたものを開催した。

株式会社TOKYO

設立:2007年
従業員数:6人(2020年8月現在)
本社所在地:東京都中央区
事業内容:情報処理システムの開発やコンサルティング、技術協力(海外)など


−−株式会社TOKYOの概要についてお教えください。

JICAの技術協力プロジェクトの専門家として、現地のスタッフと打ち合わせをする永田さん(右端)

 主に情報処理システムの開発やコンサルティングを行う会社で、社員6人はみなシステムエンジニアです。国内の企業にサービスを提供するだけでなく、JICAの技術協力プロジェクトに社員が専門家として参加するなど、海外を対象とした事業も行っています。私は当社に籍を置いて協力隊に現職参加しましたが、社長を含むほかの5人の社員はいずれも当社で働き始める前に協力隊に参加しています。そのため、ITの技術を使って途上国のためになる仕事をしよう、そのためにも国内の仕事もしっかりと取り組み、そこで技術力を高めていこうという意識が、社内で共有されています。

−−永田さんが協力隊の任期を終えた後に携わっているのはどのような業務でしょうか。

 帰国直後は、国内の企業を相手にした情報処理システムの開発が主な担当業務でした。具体的には、導入するシステムに期待する役割をお客様へのヒアリングで明確にすること、その情報をもとにシステムのプログラムをつくることなどを担当しています。昨年の3月からは、ラオスで始まったJICAの技術協力プロジェクトでの仕事に従事しています。ベトナム戦争によりいまだに残る不発弾を除去する政府機関の能力強化を目標とするプロジェクトで、私はIT等の専門家として加わっています。

−−協力隊に参加した後、それ以前にも携わっていた国内の企業のシステム開発を担当されたとのことですが、協力隊の経験によって仕事のやり方に変化などはあったのでしょうか。

 国内の企業を相手にする場合、当初提出した計画や納期を後に変更すること、あるいは不具合が起きることを許容していただくことなどは難しい。そのため、お客様にとってより良いと思われるけれども、開発が滞ったり不具合が起きたりする可能性がある新しい技術を、リスクを覚悟で試すことはどうしても躊躇してしまいがちです。私も協力隊に参加する前は、「とにかく安全なことにしか手を出さない」というスタンスで仕事をしていました。それが、協力隊を経験したことによって、お客様にとってより良いと思われ、うまくいかなくてもある程度のところで収拾を付けられる見込みならば、果敢に提案してみるようになりました。例えば、システムのプログラミングは通常、「フレームワーク」という既製の部品を使うのですが、リスクが解明し尽くされていない新しいフレームワークについて、うまくいけばお客様にとってメリットが大きいものだったことから、「試しに使い、様子を見て外すかどうかを決めませんか」と提案したことがあります。すると、お客様には予想以上に意図を理解していただくことができました。
 そうした「果敢に挑戦する」という姿勢は、協力隊時代にカウンターパートだった同僚教員に学んだものです。例えば彼は、自力で知識を集め、インターネット経由でアンケートの回収などができるサービスを使って学生のテストを行うことを試みたことがありました。結局、配属先の大学のネット環境の不具合でテストは中断せざるを得なかったのですが、彼はそれで落ち込むことなく、次の手を考え始めた。そういうたくましさは、「人間として学びたい」と心底思えるものでした。

−−現在、JICA専門家として国際協力に携われているなかでは、協力隊経験がどのように糧になっていると感じていますか。

 協力隊時代に私のカウンターパートは、生活のために副業をしなければならないにもかかわらず、国際協力事業の受け入れでさまざまな仕事が降ってくるため、時間のやりくりが難しいといった悩みを打ち明けてくれました。また、彼らと共に活動するなかで、現地の方々のパソコンスキルのレベルなども把握することができました。そうした経験により、現地の人たちがどのような状況に置かれているのかを具体的に想像し、彼らの心に寄り添いながら国際協力事業に取り組むことができていると感じています。そうした姿勢があって初めて、本当に現地の方々のためになる方向にプロジェクトを持っていけるのではないかと思います。

−−今後の抱負をお聞かせください。

 当社は、社員がそれぞれ自分で仕事を見つけ、それを自ら担当するという、言わば「個人事業主」のような形で働くことが基本となっているのが特徴です。私が携わっているラオスの案件も、自分でポストの公募を見つけ、当社に籍を置きながらの従事を社長に認めてもらったものです。そうしたなか、先ほどお話しした「果敢に挑戦する」という協力隊での学びは、私にとってとても大きな財産なので、今後、できれば日本の子どもたちにそれを伝えるようなプロジェクトを社内で提案し、実現したいと思っています。

VOICE from the COMPANY
JICA海外協力隊経験をこう見る

株式会社TOKYO 取締役社長
桜井人広さん

「積極性」の向上が顕著

 永田は協力隊経験によって「積極性」が増したと感じています。例えば、最新のIT技術などに関する情報を仕入れては、社内で発信してくれることが多くなりました。さらに、インターネット上で日々リリースされる新たなサービスについても、有効な活用方法を模索したり、活用に挑戦したりする傾向が強まっています。
 弊社は、お客様のニーズを聞いてそれに合うサービスを提供するだけでなく、ITの技術を活用して社会の問題を解決していきたいと考えています。社会の問題を解決するためには、ITの専門性だけあっても足りず、「農業」や「教育」などほかの専門性と組み合わさることが必要です。その点、永田はJICA専門家として「国際協力」に関する専門性を深めている最中ですので、それとITの専門性とを組み合わせながら、まだ解決されていない世界の諸問題をITの力で解決していってくれることだろうと期待しています。

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