多文化に触れる機会をつくる団体を設立

中鉢典子さん(マレーシア・青少年活動・2015年度1次隊)
ともだち・カワン・コミュニティ 代表

高校教員として協力隊に現職参加した中鉢さん。帰国後に初めて暮らすことになった福島で「地域」へのまなざしが生まれたことから、地域の人々が多文化に触れる機会をつくるボランティア団体を相次いで立ち上げた。






PROFILE

ちゅうばち・のりこ●1984年生まれ。山形県出身。大学卒業後、国語科教員として宮城県の高校に勤務。2015年6月、青年海外協力隊員としてマレーシアに赴任(現職教員特別参加制度)。17年3月に帰国し、復職。19年、日本とマレーシアをつなぐ活動に取り組む任意団体「ともだち・カワン ・コミュニティ」を設立。

協力隊活動●サラワク州立図書館に配属され、Aさんが所属していたボランティアセンターなどと協力しながら、利用者の増加を目的に日本文化を紹介するイベントの開催などに取り組んだ。写真は、配属先でマレーシアの伝統的な刺繍のワークショップを開催した際の講師(中央右の2人)と参加者たち。「刺繍を教えてほしい人」と「教えたい人」をマッチングさせたことで実現した。刺繍の練習を重ねた参加者(中央)は、高水準の作品をつくり出すようになり、新聞でも取り上げられた。「彼らは、帰国後も手工芸について情報交換をする生涯学習の仲間となりました」(中鉢さん)。

ともだち・カワン・コミュニティ

設立:2019年
会員数:10人
活動拠点:福島県
事業内容:福島とマレーシアの人々をつなぐ活動など
連絡先:tomodachi.kawan.c#gmail.com
※ #は@に置き換えてください。


Aさん(右)が「カワン」の活動の可能性を探るために福島に来たときのひとコマ。「ぶっくしまふくしま」のイベントに参加し、マレー語で紙芝居を披露したり、マレーシアの遊びを通して子どもたちと触れ合ったりした。子どもたちには、垣根を感じないでAさんに接する姿が見られた

福島で絵画のワークショップを行ったマレーシアのアーティスト(右から2人目)と、参加した住民たち

母国で障害者施設を運営する2人のマレーシア人(左端と右から2人目)が福島に来た際に住民と行った、料理を持ち寄っての交流会の様子


−−「ともだち・カワン(*)・コミュニティ」(以下、「カワン」)の事業の概要をお教えください。

 私が住んでいる福島で、「多様な文化が出合い、ひとりひとりが輝く場」をつくる活動に取り組んでいる団体です。協力隊時代に知り合ったマレーシア在住の同国人男性(以下、Aさん)と共に、昨年の1月に立ち上げました。彼はかつてボランティアセンターの運営に携わり、現在は大学でボランティア論の講師などを務めている方です。東日本大震災以降、彼は福島の人のためにボランティア活動がしたいと思っていたものの、そのチャンスがなかった。そうしたなか、私が福島に住んでいると知り、「福島の人とつないでほしい」と相談してきたのが、団体立ち上げのきっかけです。彼には、東南アジアの若者が外国で自分の力を生かしたボランティアに取り組む機会をつくりたいという思いがあり、「カワン」もゆくゆくはそうした広範な役割を担えるようにしたいと考えています。そこで、マレーシアの人が福島でボランティアをする機会をつくることから活動をスタートさせました。これまでに4人のマレーシア人を福島に招き、それぞれの得意技を生かした活動を行ってもらっています。アーティストには絵画の技法のワークショップの講師を務めてもらう、障害者施設の運営者には福島県内の障害者福祉の関係者とのディスカッションに参加してもらう、といった具合です。

* カワン…「友だち」の意のマレー語。

−−「カワン」の運営体制は?

 マレーシア人が福島に来た際の活動内容の考案や、今後来てもらうマレーシア人の人選やトレーニングなどはAさんが担当しています。一方、プログラムの実施を受け入れてもらう場の開拓など日本側の調整は、「カワン」のメンバーとなってくださった福島の方と私で行っています。私は帰国してから「カワン」を立ち上げるまでの間に、日本で暮らすムスリムの方と日本人が交流する場をつくる「Tigmi」という団体や、本を通じ、国籍や性別、年齢を超えて交流する「ぶっくしまふくしま」という団体を、協力隊の仲間などと共に宮城や福島で立ち上げていました。「カワン」の活動に参加してくださっているのは、そうした活動を通してつながった方々です。有給のスタッフはおらず、活動にかかる費用は、現在までのところ自治体の補助金や寄付金などでまかなっています。

−−3つもの団体を立ち上げたモチベーションはどこにあるのでしょうか。

 私は派遣前も帰国後も勤務先は宮城県の高校で、帰国後に夫の仕事の都合で初めて福島県で暮らすことになりました。当初、福島は寝に帰るだけの場所だったのですが、子どもが生まれ、育児休暇に入ってから、福島に目が向くようになりました。そうして地域の方々とのつながりが増えると、知らない地で子育てをする不安がみなさんの支えで解消されました。その恩返しをしたいというのが、モチベーションの1つです。もう1つは、協力隊時代にマレーシアの方々に支えていただいたことへの恩返しです。

−−福島の人にとって、「カワン」のプログラムがどのように響いているとお感じになっていますか。

 異文化理解の第一歩は、「この国の人はこうだ」「この民族の人はこうだ」とひと括りで捉えるのではなく、同じ国、同じ民族でもひとりひとりに違いがあり、「個々で付き合ってみれば、異文化の人と言えども、実は自分と変わりのない人間なのだ」と実感することだというのが、私が協力隊経験で得た理解です。その点で「カワン」の活動は、同じマレーシア人でも「多様性」があることを実感してもらうことができており、それが存在意義の1つだと感じています。マレーシアが多民族国家ということもあるのですが、Aさんを含め、これまで「カワン」のプログラムで福島に来た4人のマレーシア人は、「イスラム教徒のマレー系」「英語を話す中華系」「中国語を話す中華系」などさまざまです。そのため、複数のプログラムに参加した福島の方から、「自分は4人の子どもがいて、個性はそれぞれなのだけれども、マレーシア人も同じようにひとりひとり違うのですね」といった感想をいただくことができました。他方、コミュニケーションが苦手だったり、対人不安などの生きづらさを抱える人たちの居場所づくりに取り組んでいるメンバーは、「『カワン』のプログラムがきっかけとなって海外に目を向けることで、支援の対象者が日本での生きづらさを乗り越える力を得ることができる」とお話しされており、そうした点にも「カワン」の存在意義があるのだと思います。

−−今後の抱負をお聞かせください。

 Aさんはよく、「人は顔で笑っていても、心で泣いているかもしれない」と口にします。彼自身、子どものころにつらい経験をしているので、「心で泣いている人」のことに目が向く。そんな彼が大切だと感じている「若者が外国で自分の力を発揮してボランティア活動に取り組み、自身も成長する」という体験は、まさに協力隊そのもので、私が体験させていただいたものです。だからこそ、彼との協働はできる限り継続し、発展させていきたい。教員の仕事や育児との両立はたやすくはないと思いますが、「マレーシア」や「福島」を超えた活動へと幅を広げていければと考えています。

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