47歳で公務員の職を辞し、ペルーで柔道クラブを設立した協力隊OBの浦田太さん。協力隊で柔道が持つ「人を成長させる力」を実感し、この力がペルーの未来を明るくするという夢を見た。その夢にかけるため柔道クラブ「共栄館」をペルーに設立。館長として柔道を指導している。
ペルーに柔道場を設立し、柔道を普及する。柔道指導者の浦田さんは、協力隊の任期を満了し帰国した4年後、その夢を持ちペルーに向かった。
「柔道を教えるなら日本でもよいのになぜペルーなんですか?」と尋ねると、浦田さんはこう答えた。
「求められるところに行きたい、それが理由です。隊員としてペルーに行ったとき『日本から先生が来てくれた』と歓迎されました。開発途上国での柔道指導者は不足しているのが現状。ならば、私が行こうと決意しました」
浦田さんは、10歳で柔道を始め、高校卒業後、自衛隊に入隊。自衛隊で柔道指導補助を経て、柔道助教として正式に指導者となる。その際、指導の奥深さを知り、指導への理解を深めたいと考えたときに浮かんだのが協力隊だ。参加すれば2年間、指導のことだけを考えられる。休職し、協力隊に参加した。
ペルーでの活動で、日本柔道が求められていること、また柔道クラブの子どもの成長とそれを喜ぶ親の姿を見た。クラブの子はあいさつや礼などはできたが、浦田さんは整理整頓も伝えたいと靴を並べることを教えた。ある大会に参加したときのこと、他クラブの子の靴が散乱するなか、浦田さんのクラブの子の靴は綺麗に並んでいた。それを見た親が「うちの子どもはすごい」と言うのを聞き、浦田さんは「知らないだけで、知ったらそれが良いと思うのだ」と気づいた。ペルーは貧富の差が大きく、マナーやモラルも全体的に高くはない。そこに柔道を取り入れ、知ることで、よくなる未来があるかもしれない。「定年したらペルーで柔道指導をしよう」と決め、帰国。復職した。
帰国時42歳。働くうちに不安を覚えた。スペイン語を徐々に忘れ、体力も落ちていく。60歳を超えて海外で柔道場を建て、指導するのは難しいのではないか——2017年、46歳のとき、浦田さんは退職し、ペルーに向かった。
柔道場設立を計画当初は、旅行者として入国し、会社を立ち上げて柔道場を運営、投資家ビザで滞在を考えていた。しかし、計画をペルー在住の日本人に話したところ「リスクが高すぎる。基盤をつくってから、道場設立に移行したほうがいい」と助言された。
浦田さんは協力隊終了後、将来を考え日本語教師の資格を取得していた。ペルー日系人の日本語普及部コーディネーターに、現地で日本語教師としての雇用先を探してもらい、紹介されたのが現在働く中高一貫私立学校のオーナーだ。オーナーは日本で働いた経験があり、日本の教育や日本人の礼儀正しさを学校に取り入れたいと思っていた。浦田さんはオーナーに協力隊経験と「柔道を普及し、ペルー社会の役に立ちたい」という夢を伝えると、オーナーが答えた。「柔道教師として雇おう。生徒に柔道と礼儀を教えてほしい」。
17年から学校で柔道教師として週に3回働き、18年に柔道クラブ「共栄館」を設立。学校と並行し、週6回、柔道を教えている。設立当初は学校で見つけた身体能力の高い子や、日本に興味のある子、また貧しくてクラブへの授業料を払えないがやる気のある子に声をかけ、特待生として無料で柔道を教えることから始めた。
その後、生徒数は30人に増加。また、「文武一道」の考えから、週に一度道場に机を並べ、日本語の授業も実施。ペルーの隊員に協力を仰いで、日本文化紹介をすることもあるそうだ。19年から試合に参加し、20年にはペルー柔道連盟に登録。国内のチャンピオンが出る大会への出場資格を得た。クラブに所属する生徒を、7月開催の日本の柔道大会に出場させるためのクラウドファンディングを1月に立ち上げ、成立。生徒数の増加から、広い柔道場も契約し、「飛躍の年」になる予定だった。
3月、新型コロナウイルス感染症拡大の影響で、ペルーは国家緊急事態令が出た。その後試合は行われず、7月の来日も延期のうえ開催未定。「今は耐える時間です」と浦田さんは話す。だがその声は、不思議なことに落ち込んではいない。「耐える力」、それは柔道の練習で身につけ、自衛隊時代の訓練で強化し、異文化の中で生活する協力隊で磨きをかけた、と浦田さんは感じている。その力が今、試されている。
「柔道は練習をしたら必ず結果が返ってくるということはありません。しかし、続けることで何らかの結果が見えることがある。今はその結果が秘められている時期かもしれないのです」
その間も鍛錬を怠ることはない。結果を求めるのではなく、耐えて続ける。
「現在、試行錯誤しながらオンライン指導を実施しています。成功している時期なら尻込みしてしまう挑戦でも、今だから失敗を恐れずにできます」
この状況が落ち着いたら、飛躍できる自信はある。芽吹く時期は予想できないが、続ける限りはその可能性があり、その日は必ずやってくることを浦田さんは経験から知っている。
私が最初に柔道に魅了された理由は「柔良く剛を制す」を体感した瞬間でした! 自分より体の大きな、力の強い相手に技が綺麗に決まって投げることができたときの快感! またその快感を味わいたくて地道な基礎訓練を反復することも頑張れました。そして歳を重ねるにつれて柔道の魅力は増えていきました。知恵の輪の様な寝技の理論を知ったとき、あいさつなど当たり前と思ってやってきた振る舞いを社会人になって褒められたとき、指導者になって自分自身では感じにくかった進化、進歩を生徒を通して目の当たりに見れたときなど、柔道というのはただ技術を磨くだけでなく人生を豊かに、世の為、人の為になれるスポーツであることが魅力であると私は思います。
うらた・ふとし●1970年生まれ、福岡県出身。私立大牟田高校卒業後、航空自衛隊勤務を経て、2011年6月、青年海外協力隊員としてペルーに赴任。子どもたちに柔道や日本語、日本文化を教える。13年に帰国後、復職。17年に退職し、ペルーでの柔道指導をメインとした普及活動、日本語教育、日本文化紹介活動に従事している。私立学生校IEP GAKUSEIの柔道教師、柔道クラブ共栄館館長を務める。