国連平和大学大学院等に進学し、
国際NGOの職員に

熊澤夢開さん(パラグアイ・コミュニティ開発・2014年度4次隊)

いずれ教育分野の国際協力の仕事に就きたいとの思いを持って協力隊に参加した熊澤さん。帰国後、国際協力の仕事に就くために有益な修士号を取ることを目的に大学院に進学し、それをステップに国際NGOの現地駐在員の道へと進んだ。






熊澤さんのキャリアパス

1987年生まれ、千葉県出身
[大学生]
文学部卒。中学・高等学校教員(国語)の免許状を取得。
[民間企業社員]
不動産会社に勤務(1年間)。
[高校教員]
東京都の高校とタイの日本人学校高等部に勤務(それぞれ1年間と2年間)。
[団体職員]
(公財)日本ユニセフ協会の学校事業部に勤務(約半年間)。
[協力隊員]
2015年3月に青年海外協力隊員としてパラグアイに赴任。2017年2月に帰国。
[大学院生]
2017年3月から2018年12月までAPSに参加。
[国際NGO職員]
UNICEF東京事務所でのインターンを経て、2019年10月、国際NGOの「特定非営利活動法人難民を助ける会」に入職し、タジキスタン事務所の駐在員に着任。

熊澤さんの進学概要

■ 進学先
国連平和大学大学院
アテネオ・デ・マニラ大学大学院
※いずれも修士課程。両学の修士号を合わせて取得できるプログラム「Asian Peacebuilders Scholarship」を利用。
■ 在学期間
2017年3月〜2018年12月
■ 入学金・授業料
履修にかかる費用は(公財)日本財団が全額支給
■ 学習/研究の内容
平和教育学と国際政治学(卒業プロジェクトのテーマは「ミャンマー・カチン州におけるユースリーダーの育成」)


【協力隊時代】配属先は、アルト・パラナ県にある日系移住地の小学校。環境や衛生に関する啓発、学校運営の支援などに取り組んだ。写真は、環境教育の一環として、現地教員(左)と共に廃油を使った石けんのつくり方を教える熊澤さん

【大学院時代】平和大学の授業は実践力を養うプログラムが多かった。平和教育学の授業で行われた国際協力の現場のロールプレイ(写真)もその1つ

【現職】タジキスタン事務所では、障害児が教育を受ける機会を増やす事業や、障害者への職業訓練などを実施している。写真は、障害児の保護者たちを対象に開いた、障害児の通常学校への通学に関する説明会の様子。左が熊澤さん、右の2人は現地スタッフ


−−帰国後に修士号を取得したプログラム「Asian Peacebuilders Scholarship」(以下、APS)の概要をお教えください。

 コスタリカにある国連平和大学(以下、平和大学)の修士課程と、フィリピンにあるアテネオ・デ・マニラ大学(以下、アテネオ大学)の修士課程を、20カ月ほどの間にまとめて履修し、単位互換制度によって両学の修士号を取得できるプログラムです。国際的に活躍する日本とアジアの人材育成を目的に、日本財団が授業料や旅費、生活費などを負担しているもので、毎年30人の学生の募集があり、私の学年は合格者の約半数が日本人、残りがアジアの8カ国からの学生でした。アテネオ大学での専攻は「国際政治学」に決められていますが、平和大学では「国際平和学」「国際法」「環境開発」という3つの研究科のなかから選択することができます。私は国際平和学研究科の「平和教育学」という専攻を選択しました。

−−効率よく2つの修士号を取得できる点以外に、APSの特長だと感じたことは?

 修士論文の執筆に代えて「卒業プロジェクト」の実践がAPSの修了の要件となっている点です。数人の学生でチームを組み、社会開発のプロジェクトをアジアのいずれかのフィールドで行うもので、私たちのチームはユースリーダーを育てるための研修をミャンマーで実施しました。そうしたアウトプットの機会があることで、それまで学んできたことを咀嚼し直すことや、それを修了後の仕事にどうつなげるかを具体的にイメージすることができました。

−−進学の動機は?

 私は協力隊の試験を受ける前から「教育分野の国際協力の仕事がしたい」との思いを持っていました。それに必要な専門性を身につける場にAPSがあることも知っていたのですが、実践を経験してから進学したほうが理論の学びが深くなると考え、先に協力隊に参加することにしました。

−−入試の準備の進め方は?

 帰国してすぐに入学するためには、帰国の半年ほど前に出願しなければならなかったため、受験の準備は任期の半ばごろから始めました。TOEFLの基準点をクリアするための勉強が中心です。口頭試問を受けたのも派遣中で、ネット環境が悪かったため、電話で実施していただきました。

−−APSの入試では何が重視されていると感じましたか。

 口頭試問は平和大学の教授による英語でのインタビューだったのですが、振り返ってみると、私の場合は協力隊経験について掘り下げた説明を求めるような質問が中心だった気がします。入学後の実際の授業では、「貧困」や「紛争」といったテーマについて、学生たちがそれぞれの経験を題材として持ち寄りながら議論することがよくありました。入試ではおそらく、授業での議論に参加できるだけの経験があるか、それをわかりやすく伝えるだけの英語力や論理性を備えているかなどが見られていたのではないかと思います。

−−修士号取得後の進路はどのように決めたのでしょうか。

 進学により専門性や修士号を得たことで、外務省が行うJPO派遣制度(*)などを利用して国際機関で働く、あるいは開発コンサルティング会社やNGOに就職するなど、教育分野の国際協力の仕事に携わる道の選択肢は広がったと思うのですが、最終的に選んだのが、「難民を助ける会」という国際NGOのタジキスタン事務所駐在員という現在のポストでした。当会は、通常学校に学習支援室を設けるなどして障害児が教育を受ける機会を増やす事業を同国で進めています。私が大学院で学んだ平和教育学には、教育を受ける機会を誰もが阻害されないようにする方法に関する研究も含まれており、それを学んだ経験が生かせるポストだという点が、就職先に選んだ決め手でした。
 実際、大学院での学びが今の仕事にさまざまな形で結び付いています。例えば、平和教育学の授業は「研修会を組み立てる」といった実技が多かったのですが、そこで身に付けた技術は、現地の教員を対象とした障害に関する研修を行う際などに活用できています。

* JPO派遣制度…「JPO」は「Junior Professional Officer」の略。各国政府の費用負担で国際機関が若手人材を受け入れ、経験を積む機会を提供する制度。

−−仕事に関する今後の抱負をお聞かせください。

 私が派遣前に働いていたタイの日本人学校の生徒は、現地の人々に比べて裕福な家庭の子どもたちで、学校に通えることが当たり前だと感じている子も多くいました。その一方で、タイの街には学校に通えないストリートチルドレンたちがいました。「すべての子どもが教育を受けられる環境をつくるのが、大人の役目ではないだろうか。それは、お腹が空いている人にパンをあげるのと同じように、絶対的な善ではないだろうか」。タイで抱いたそんな課題意識が、教育分野の国際協力の仕事に対するモチベーションのベースとなっています。それに共感する日本の若者がたくさん出てきてほしいという思いもあるので、国際協力の経験を積んだ後は日本の教育現場に戻り、私の経験を伝えていければと考えています。

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