外国人が多い地域で、
就学を支援する事業を統括役として牽引

話=川上貴美恵さん
●社会福祉法人せんねん村 職員
●日系社会青年ボランティア経験者(ブラジル・日系日本語学校教師・2005年度派遣)

外国人住民が多いことから、その子どもたちの就学を支援する事業を実施する愛知県西尾市。2014年から事業の統括役を務めてきた川上さんに、担当している業務の内容や、目指している「多文化共生」のあり方などについて伺った。






PROFILE

かわかみ・きみえ●1978年生まれ、愛知県出身。大学卒業後、小学校の講師や民間企業勤務を経て、2005年6月に日系社会青年ボランティアとしてブラジルに赴任。07年6月に帰国。08年に社会福祉法人せんねん村(愛知県西尾市)に入職し、保育園で外国人園児の就学に向けたサポートに従事。14年、子どもの就学を支援する同市の事業「多文化ルームKIBOU」のコーディネーターに着任。

協力隊時代●サンパウロ州マリリア市の日系人団体「マリリア日系文化体育協会」に配属され、同団体が運営する日本語学校で日本語の指導などに取り組んだ。右写真は、同校の生徒(右)と川上さん。


−−勤務されている「多文化ルームKIBOU〈きぼう〉」(以下、「KIBOU」)の概要をお教えください。

「KIBOU」の教室に通う子どもの保護者を対象とする日本語教室。外国にルーツがある子どもを支援するためには保護者のエンパワーメントも必要だとの考えに立って開く教室だ

 愛知県西尾市で暮らす5歳から18歳までの外国人の就学支援を目的として、日本語の指導を中心とする教室を開く同市の事業です。私が所属する社会福祉法人せんねん村がその実施を2014年から受託しており、私は当初から統括役を担当してきました。不就園・不就学の子ども、小・中学生、高校への進学を目指す学齢超過者など、状況が異なる対象者ごとに別々のクラスを設けており、日本語教師養成講座の修了者や外国出身者などが指導員となっています。同市は全人口に占める外国人住民の割合が全国平均の3倍に近い5.6パーセントと高く、昨年は合計で200人近い子どもが通っていました。国籍で多いのは、ブラジルやペルーなど南米の国、ベトナムやフィリピン、インドネシアなど東南アジアの国、中華人民共和国などです。

−−子どもが不就学になるのはどのような理由からなのでしょうか。

 日本で一度は就学した子どもでも、引越しや転校をきっかけに学校に通うのをやめてしまうことや、学校で嫌な思いをして「自分らしくいられない」というイメージを持ち、不登校になってそのまま退学してしまうことなどがあります。また、幼少期に母国にいた子どもでは、その時期に保護者が日本で働いていたため、きちんと学校に通う習慣が身に付かなかったというケースがあります。それらの背景には、法律上、外国籍児童の保護者には就学させる義務がないという事情があります。
 国境を越えて移動し、育つ子どもの状況を考慮して、「KIBOU」では学校生活で使う日本語を教えるだけでなく、行政や学校と連携し、さらに家庭への働きかけもしながら、子どもたちの就学を総合的に後押ししています。そうした活動は、私が担当している業務のなかでも特に重要なものの1つです。たとえば、不就学の子どもを学校見学に連れて行き、子どもが安心するような言葉を学校の先生たちから掛けていただくこともあります。その際、その子の性格や家庭の様子などをお伝えし、外国人児童を受け入れることに対する学校側の不安を取り除くようにもしています。一方、保護者に対しては、家庭訪問を実施し、家庭の状況を把握すると共に、子どもを日本の学校に通わせることへの不安を取り除くための話をしたり、教育に関する情報提供などを行っています。

−−親御さんたちは子どもの教育についてどのような悩みを抱えていますか。

 学校に通っている子どもの場合、親御さんたちはみな、当初は子どもが早く日本語を覚え、日本の学校に慣れてほしいと思うのですが、やがて、子どもが母語の力を失っていくことへの不安を持つようになります。日本人の友達と遊ぶことが多くなると、親御さんが母語で話しかけても日本語で返してくるようになり、その変化は特に年齢の低い子ほど急速なのです。教育というは、人の人生をその人と一緒につくることだと思います。外国人住民の子どもたちが歩む人生の舞台はさまざまで、日本に止まり続けるかもしれないし、母国に戻るかもしれない。そんな彼らの教育に携わる以上、どこで暮らすことになっても自分らしく活躍してほしい。そうした考えから、「自分らしさ」の源である母語を失わず、それによって同じ母語の仲間がつくれるよう、「KIBOU」ではポルトガル語やベトナム語、中国語の教室も設けています。

−−現在のお仕事に、協力隊の経験はどう影響しているとお感じになっていますか。

 外国人住民の方々が感じる違和感を、自分自身が外国人住民となった経験から共感できるのが、もっとも大きな影響だと思います。先日、知り合いのフィリピン人の女性から、「職場にベトナム人の女の子たちが入ってきた。同じ『外国人』だからといって、その子たちへの指導を求められたけれど、ベトナム語はまるで話せないので困っている」という愚痴を聞きました。ステレオタイプの認識で捉えられてしまうことへの違和感は、私自身も経験しています。協力隊時代、私は文系の人間なのに、「ハイテクの日本から来たのならできるだろう」と言って、パソコンの修理を依頼されかけたことがあります。また、帰国後に日本の友人たちと再会した際には、「ブラジルに行っていたのなら、サンバを踊れるのでしょう」などと言われました。一方、ひとくくりにされがちな「外国人」や「ブラジル人」にも多様性があることを私が実感できたのは、協力隊員として2年間にわたって外国で暮らしたからであり、そのような経験をしていない多くの日本人が、外国人に対してステレオタイプの認識をするのは仕方がないこともわかります。
 そうしたなかで私が積極的に実践しているのは、「KIBOU」に通う子どもたちの多様性を知ってもらうため、地域の人々に「KIBOU」の活動を知らせ、通う子どもたちに接してもらうことです。例えば、イベントに「KIBOU」の店を出して子どもたちと一緒に参加したり、学校の催しに「KIBOU」のスタッフが出向いたりしています。そうすることで、互いに「1人の人間」として捉え合い、取り繕わずに「その人らしさ」を発揮して生きることを認め合えるようになるのではないか。そういう社会こそ、「多文化共生」という理念が目指すべきところではないかと、私は考えています。
 ブラジル人が多く住む地域だからといって、イベントで彼らにサンバを踊ることを求めたりするのではなく、会社員や店員、経営者、農業者などとして、社会のさまざまな場に当たり前のように存在してもらい、良い距離感のなかで、同じ社会を構成する一員同士として尊重し合いながら接する。そんな社会の実現に向け、今後も自分にできる役割を見つけていきたいと考えています。

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