Special Talk 〜協力隊OB・OG座談会〜

協力隊に興味を持ってから選考、赴任へと至るまでの間に、どのような準備をすれば良いのか? 協力隊経験を通して得られる成長とは? 参加を考えている方々にとっての関心事について、3人の経験者に語り合っていただきます。

参加者

面迫一途美さん(エクアドル・高齢者介護・2017年度2次隊)=退職参加

益子大輔さん(カンボジア・青少年活動・2017年度1次隊)=現職参加

高橋真子さん(エチオピア・バドミントン・2017年度1次隊)=学卒直行

1990年生まれ、広島県出身。大学卒業後、介護スタッフとして高齢者施設に4年間勤務。退職した後、2017年10月に青年海外協力隊員としてエクアドルに赴任。19年10月に帰国。現在は精神科病院に相談員として勤務。

1988年生まれ、東京都出身。大学卒業後、東京都の公立中学校に英語科教員として6年間勤務した後、2017年7月に青年海外協力隊員としてカンボジアに赴任(現職教員特別参加制度)。19年3月に帰国し、復職。

1994年生まれ、大阪府出身。大学ではスポーツ法政策を学ぶかたわら、体育会のバドミントン部で選手として活躍。卒業後の2017年7月、青年海外協力隊員としてエチオピアに赴任。19年7月に帰国。現在は英国のブラッドフォード大学大学院で平和学を学んでいる。


応募に至るまでの道のり

編集部 協力隊時代の活動内容を含め、自己紹介をお願いします。

面迫 高齢者施設で介護スタッフとして働いた後に、退職して協力隊に参加しました。派遣国はエクアドルです。配属先はピチンチャ県キト市の福祉事業の実施機関であるキト市慈善財団で、実際の活動場所はホームレスの高齢者を保護する施設です。そこで私は、同僚たちと共に利用者の介助を行いつつ、床ずれや転倒を防止するための技術などに関する勉強会を開催したり、同僚たちの衛生意識を高めるための啓発を行ったりしました。現在は精神科の病院で相談員として働いています。

益子 私は東京都の公立中学校に英語科教員として勤務した後、協力隊に現職参加しました。派遣前の実務経験は6年です。配属先はカンボジアのカンポット州教育青年スポーツ局という、日本の教育委員会にあたる機関です。「中学校の生徒会活動の活性化」というのが私の要請内容で、いくつかの中学校を回りながら、それぞれの生徒会が取り組む運動会の運営や校内の美化推進のサポートをしました。帰国後は派遣時とは違う中学校に英語科教員として復職しました。

高橋 私は大学でスポーツ法政策を学んだ後、新卒で協力隊に参加しました。大学時代までバドミントンの選手だったので、職種はバドミントンを選びました。配属されたのはエチオピアの南部諸民族州ユース・スポーツ事務所という、スポーツの振興などに取り組む行政機関です。6歳から18歳までの約30人が所属するバドミントンのクラブチームで指導することがメインの活動で、ほかにバドミントンを普及したり体育授業の大切さを伝えたりするために小学校を回る活動も行いました。現在は国際協力の道を目指し、英国のブラッドフォード大学大学院で平和学を学んでいます。

編集部 協力隊に興味を持ち始めてから実際に応募されるまで、どのような経緯だったのかをご紹介ください。

面迫 協力隊自体を知ったのは中学生のときでした。通っていた中学校に協力隊経験者の方が来られ、その体験談を聞く機会があったからです。そのときに「海外で暮らすこと」や「ボランティア活動」に関心を持ったものの、それらを実践することはないままでした。大学を卒業した後、高齢者介護施設の職員として社会人の第一歩を踏み出したのですが、そのころはまだ「海外で暮らすこと」や「ボランティア活動」への関心が消えていなかったので、JICAのウェブサイトを見て協力隊の情報を調べてみました。すると、私が応募できそうな「高齢者介護」という職種は3年間ほどの実務経験が求められていることがわかりました。そうしてまずは高齢者介護の実務経験を積み、3年経ったときにまだ協力隊に興味があるようだったら応募することにしました。
 高齢者介護施設の入所者がそれまでに送ってきた人生はさまざまで、なかにはかつて海外で働かれていたような方もいらっしゃいます。私がまったく知らない国での刺激に満ちた体験談を伺うなか、私も歳を取ったときにそんな体験談が話せるような豊かな人生を送りたいと思うようになっていきました。そうして社会人経験が3年を過ぎ、やはり協力隊に参加したいという気持ちが消えていなかったので、応募を決意しました。

益子 私が協力隊の存在を知ったのは、派遣のわずか1年半前でした。当時勤務していた学校の校長に、現職教員特別参加制度を紹介しているパンフレットを見せてもらったのがきっかけです。私はその2年前に、英語科教員が米国の大学で半年ほど英語教育について学ぶ文部科学省のプログラムに参加しており、校長は私が海外に興味を持ち、かつ英語科の教員ならなお有益だろうと考えて協力隊のことを教えてくれたのだと思います。私は常々、英語や道徳の教科書に国際的な話が出てくるのに、自分はよく理解していないまま生徒たちに教えていることが気にかかっていました。そのため、協力隊に参加することはパンフレットを見たときにほぼ即決しました。

高橋 協力隊の存在自体は、中学校の社会科の授業や電車の中吊りポスターを通じて知っていたのですが、大学3年生になるまで協力隊経験者に出会ったこともなく、まったく関心がありませんでした。そもそも英語が苦手で海外自体に興味がなく、パスポートを取ったことすらありませんでした。そうしたなか、そろそろ就活シーズンに入るという大学3年生の冬に、受講していた大学の授業に協力隊経験者の方がJICA関西の方と一緒にゲストスピーカーとして参加し、協力隊のことを紹介してくださる機会がありました。当時はバドミントンの練習にばかり力を入れていた時期で、卒業後については漠然と「大学院への進学も良いかな」と思っていた程度で、ほとんど考えていませんでした。そんななかで協力隊経験者の話を伺い、いただいたパンフレットを開いてみたら、「バドミントン」という職種があったわけです。私が所属していたバドミントン部は強豪で、練習も非常にきつかったのですが、それに必死に食らいついてきたのは、こういうところで人の役に立つためだったのだと、運命的な出合いのようなものを感じました。そうして参加を検討したのですが、慣れて居心地の良い「コンフォートゾーン」ではない所に身を置き成長する経験を、社会に出る前にしておきたい、それには協力隊はうってつけだろうと考え、あまり迷わずに応募を決意しました。

配属先の利用者への介助を行う面迫さん

配属先の利用者に折り紙を教える面迫さん

配属先の施設の前で利用者や同僚たちと


参加の「形態」や「タイミング」

編集部 みなさんは「退職参加」「現職参加」「学卒直行」と参加の形態が異なりますが、「ほかの形態のほうが良かったかもしれない」といったことを感じたりはしなかったでしょうか。

面迫 私の派遣前の職場は協力隊への現職参加が難しかったので、退職して参加するほかありませんでした。そのため、帰国後にちゃんと再就職できるかどうかについて考えたうえで応募したのですが、介護の仕事は専門職であり、私には実務経験もあったので、なんとかなるだろうと腹をくくりました。私は介護の現場で働くなか、より深く精神的なケアにかかわる仕事をしてみたいと考えるようになり、在職中に精神保健福祉士の資格を取得しました。それにより、「ソーシャルワーカー」という職種で協力隊に参加できる可能性も出てきました。しかし、介護の仕事には「支援対象者とより密なかかわりをする」という特性があり、協力隊員として異文化社会の中で介護の活動に取り組めば、自分のコミュニケーションの引き出しが広がるだろうと考えたこと、さらに協力隊活動をそれまで携わってきた仕事の集大成とし、ひと区切り付けたかったことなどから、「高齢者介護」という職種での参加を決意しました。今の仕事は、精神保健福祉士の資格があったから就くことができたものです。

益子 私は協力隊に参加した後に国際協力の仕事に転身するといったことは考えておらず、海外の教育現場を経験し、そこで学んだことを日本での教職に還元できれば良いと思っていました。ですから、帰国後に確実に日本の教職に戻ることができる現職参加はありがたかったと感じています。

高橋 私は先ほどお話ししたとおり、「社会に出る前にコンフォートゾーンから抜け出す経験をしておきたい」という思いが強かったので、帰国後にちゃんと就職できるかどうかについての不安はあまり感じていませんでした。むしろ不安だったのは、協力隊の選考に落ちてしまったときのことです。私は大学4年生になる年の春募集に応募したのですが、当初は就職活動も並行して進めておいたほうが良いのかどうか、迷いました。協力隊の選考に受からなければ、進路が決まらないまま大学を卒業することになってしまうからです。しかし、春募集で合格できなくても、秋募集で合格すれば、大学を卒業した年に協力隊員として赴任できる見込みがあること、おそらく人生最後となるバドミントンの大会が控えていたことなどから、就活と協力隊受験の「二足のわらじ」は捨てることにしました。そうして、何が何でも協力隊の選考に受からなければと、合格するために必要な情報を得るために協力隊の説明会には何度も足を運びました。

編集部 みなさんはそれぞれ違う年代で協力隊に参加されていますが、ご自身が参加したタイミングについてどのように感じていますでしょうか。

面迫 高齢者介護の職種の案件は3年の実務経験が求められていたので、私がもっと前に応募するという選択肢はありませんでした。一方、もっと実務経験を積んでから参加するとなると、人生設計上、勇気が必要となってくると感じていたので、振り返ればちょうどよいタイミングでの参加だったかなと思います。

益子 私はちょうど異動となる年度での協力隊参加だったので、職場にかける負担は最小限となる良いタイミングでした。私のような教育分野の職種の場合、教員免許状を持っていれば新卒でも派遣させてもらえるような案件はあり、カンボジアの教育分野の同期隊員のなかにもそうした人が少なくありませんでした。彼らを見て思ったのは、私よりはるかにバイタリティがあるということです。体当たりで教育行政機関に飛び込んでいき、活動の幅を広げようとする。私は日本で教職を経験していることで、カンボジアの学校を日本の学校と比較し、課題を見出すことができたとは思うのですが、協力隊活動はそうした分析の力だけでは済まないものなので、新卒で参加するのと実務を経験して参加するのとでは、いずれも一長一短だなと感じます。例え私自身が新卒で協力隊に参加していたとしても、その後に日本で教職に就いたならば、確実に仕事にプラスになるものを得ていただろうと思います。

高橋 まだ社会人としての本格的なスタートは切っていないのですが、今の時点で思うのは、新卒で協力隊に参加したのはベストな選択だったということです。益子さんがお話しされたとおり、新卒で参加することと実務経験を積んでから参加することには、それぞれにメリットとデメリットがあると、私も感じています。私の経験では、実務経験がないために仕事に関して「こうすべき」という軸もないので、すでに実務経験を積んでいる現地の人たちとの摩擦が少なかったと感じています。私のような若造が赴任すると、「あなたに何ができる? なんならわれわれのスキルを教えてあげようか」といったような態度をとられてしまうわけですが、私は実務経験がないから、「ぜひ教えてほしい」と何のストレスもなく受け止めることができました。実務経験がある協力隊員のなかには、そうした対応でストレスを感じる人もいたと思います。
 国際協力の仕事を目指すこと、そのために海外に留学することなどは、派遣前に自分がそうするとは想像もしていなかったことなので、人生の大きな舵取りをしてくれたという意味でも、新卒で協力隊に参加したのは私にとってベストな選択だったのではないかと思います。私のようなスポーツ分野の協力隊員は、プレーヤーとしての技術や体力が残っている間に協力隊に参加するほうが良いと思うので、その点でも、選手を引退した直後に参加したのは正解だったと思います。

益子さんのサポートを受けて生徒会が開催した運動会

益子さんのサポートを受け、生徒会が旗振り役となって進められた校内の美化活動

教科指導などのサポートをするために益子さんが時折通った任地の児童施設


赴任前の準備や持ち物

編集部 協力隊では派遣前に語学などを学ぶ派遣前訓練を受けますが、選考に合格してから派遣されるまでの間、ほかにどのような準備をするのが良いと感じていますか。

面迫 「高齢者介護」という私の職種で派遣される協力隊員の人数は少なく、同期では私1人でした。そのため、派遣前に同職種の方と情報や意見を交換する機会がほとんどなく、活動について具体的なイメージをつくることができないまま赴任したのですが、そのために当初は手こずってしまったかなと感じています。ですので、派遣前に同職種の先輩隊員にコンタクトし、話を伺っておいても良かったかなと思います。エクアドルは介護施設に常駐する協力隊員の前例が少なかったので、先輩隊員の活動報告書で現地の介護の現場に関する情報を事前に得ることもできませんでした。そのため、どのような支援が本当に必要なのかもわからず、「着任してから考えよう」と割り切って赴任しました。

益子 私の場合は前任者がいたのですが、赴任してから活動を開始するまでの間に、前任者とFacebookを通じてコンタクトをとることができました。そうしてその方の時代の状況について詳しく話を伺ってから活動に入ることができたのですが、それについては一長一短だったと感じています。長所は、活動のだいたいの流れをあらかじめイメージすることができたことです。短所は、活動への姿勢がどうしても縛られてしまったことです。前任者から「強い思いで取り組んだ活動だった」と聞いたものは、引き継がなければという気持ちになってしまうのです。ですから、もし前任者と事前にコンタクトをとるチャンスがある場合であっても、一定の距離を保って話を聞くということを意識したほうが良いのかなと思います。

高橋 私が派遣前に個人的に行った準備は、バドミントンの恩師にお願いし、コーチングを学ばせてもらったことくらいです。それが実際に役立ったかというと、ある程度はという感じでした。エチオピアで指導した子どもたちは裸足になってプレーしていたので、身に付けることができる技術の種類もレベルも日本とは違ったからです。ですので、少なくともスポーツ分野の協力隊員は、派遣国のことをあれこれ考えて準備するよりも、自分の技術を言語化する練習をするのが良いと思います。
 派遣前の準備としてもっとも大切だと思うのは、派遣中に心がしんどくなってしまうような状況に立たされたとき、幸せ感を維持できるような方法を考えておくことです。「お気に入りの香水を嗅ぐ」など、何でも構わないと思います。そして、もし現地では売っていないような物が必要ならば、それを手に入れ、赴任の際に持参する。期待していたほど自分が配属先に必要とされていないなど、2年の間にストレスが高まる時期は必ずあるはずなので、セルフマネジメントの手段を持っていることは、活動をまっとうするうえで不可欠だと思いました。

益子 私は、何でも日本の鍋の味になる小さな固形の調味料を日本からたくさん持っていったのですが、それを使った料理を食べることは、おっしゃるようなセルフマネジメントの手段になっていたと思います。もう1つの手段としていたのは、体を動かすことです。着任して最初にやったのも、運動ができる場所の確保でした。派遣前からスポーツジムに行くのが好きだったので、カンボジアにもあったら通いたいと思い、いろいろな人に尋ねたのですが、任地に1つ見つけることができました。倉庫を改造してトレーニング用の機器を置いただけの簡易な施設で、料金は1回50円程度です。ストレスが溜まるとそこに行って筋トレをしたのですが、いつも私のほかには誰も利用していませんでした。また、任地は川沿いの街だったので、川べりの道をランニングすることもありました。

高橋 私もスポーツが好きで、職種上も体力を維持することが重要なので、よく音楽を聴きながらランニングをしました。街中を走ったのですが、気が付くと私の後ろを現地の子どもたちが列になって付いてきている。アジア人が珍しいからなのですが、最初はとてもストレスでしたね。

面迫 私は派遣前に海外に行ったことがなかったので、海外で暮らすことができるのかという不安がありました。そのため、セルフマネジメントという点では特に慎重なほうだったのではないかと思います。例えば、私は派遣前から、何か不安に感じることが出てきたときには、部屋で1人になる時間をつくって心を落ち着かせてきたので、派遣中も意識して1人になる時間を確保するよう努めました。それが私にとっては2年間を元気に過ごす秘訣だったかなと思います。協力隊時代はホームステイで、ホストファミリーは私を家族の輪の中に入れてくれようと気をつかってくださるような方々だったのですが、早い段階から「私には1人になる時間も必要です」とはっきり伝えておきました。もちろん、彼らと一緒に過ごす時間もつくり、大切にする。そうすることで、私が一緒に団欒するのを断っても彼らと気まずくならずに済み、とても良い関係が築けたなと感じています。特にステイ先のお母さんとは、親戚とのトラブルなどの愚痴を聞いたり、逆に私の活動の愚痴を聞いてもらったりする、親子のような付き合いをさせてもらうことができました。

小学校を回ってバドミントンの紹介をする高橋さん

高橋さんが指導したクラブチームの選手

クラブチームのコーチと練習メニューの検討を行う高橋さん


協力隊経験を通じた成長

編集部 今振り返って、協力隊経験がその後の人生にどのように結びついているとお感じになっていますか。

面迫 特に大きかったと感じているのは、福祉の仕事で重要な支援対象者とのコミュニケーションの力が向上したことです。配属先の利用者であるホームレスの高齢者のなかには、失語症であり、かつ読み書きもできないという方も少なくありませんでした。そうした方々も意思はありますから、言葉以外の何らかの方法でそれを伝えようとされます。同僚たちはそれを読み取ることができました。「この人のこの手の動きは、こういうことを伝えようとしている」といったような具合です。また、私はスペイン語が得意ではなかったため、たとえ話すことができる利用者であっても、その方が話していることの意味がわからず、表情からそれを察しなければならないこともありました。そうしたことから、言葉以外の意思の表現をしっかり読み取ろうとする姿勢が身に付き、今の仕事にも生きています。精神疾患がある方のなかには、言葉でうまく意思を伝えられない状態の方もいらっしゃるからです。

益子 私は、日本とカンボジアの学校の違いを知ることができたのが、教員としての一番の収穫だったと感じています。カンボジアでは、家庭の経済的な理由などで学校に通いたくても通えない子がいます。そのため、学校に通える子は学校に通えることのありがたさを感じ、将来の仕事のために学べることなら何でも学ぼうと必死でした。例えば、私が活動した中学校の生徒たちはよく、「英語ができるだけで年収が10倍になる」といった話をしていました。先生たちの意識も同様で、「生徒たちがこういう仕事に就けるようにするには、どういう能力が必要なのか」をよく考えていらっしゃる。なかには、古びたパソコンを援助で手に入れ、「この文書ソフトはきみたちが将来、仕事で使うものだ」と言って生徒たちにその操作方法を教えている先生などもいました。生徒と先生のそうした必死さは、私自身を含め、日本で勤めてきた中学校にはあまりないものでした。例えば、「将来、どのような職業に就きたいか?」という質問をすると、カンボジアの中学生はたいていの子が答えるのですが、日本の中学生はほとんどが「わからない」と答えます。そうした経験から帰国後は、「このスキルはどういうふうな形で生徒たちの将来に生きてくるのか」を考え、折に触れてそれを生徒たちに伝えながら英語の授業をするようになりました。

高橋 私は帰国してからまだ仕事に就いていないので、仕事のなかで協力隊経験での学びを生かすのは今後の話になるのですが、希望どおり国際協力の仕事に就くことができたなら、協力隊経験はそのベースになるのだろうと思います。国際協力の仕事では、現地の人たちと同じような家に住み、同じような物を食べ、現地語で彼らとコミュニケーションをするような機会は多くないのではないかと思います。協力隊でそれを経験し、そのなかで得た現地の人たちへの理解は、本当に彼らのためになる支援のあり方を考えるうえで重要になるのではないかと思います。

編集部 最後に、協力隊への参加に興味を持っている方々に向けたメッセージをお願いします。

面迫 人生は「縁」によって広がっていくものだと思います。選考に合格し、実際に参加することが可能となったら、それは協力隊に縁があったということではないでしょうか。ですので、もし協力隊に参加すべきかどうかで迷っているならば、まずは応募してみるのが良いのかなと思います。

益子 私は派遣前訓練で土木や農業、金融など、教育とは違う分野の人たちと出会えたことも、視野が広がる大きな出来事だったと感じています。海外に行くチャンスは協力隊以外にもありますが、派遣前訓練を含めてほかに替え難い経験なのが協力隊だと思います。多くの方に参加のチャンスをつかんでいただきたいと思います。

高橋 私は派遣前に協力隊の募集説明会に参加した際、体験談をお話しされる協力隊経験者の方々が一様に現地の人との交流や現地の文化の話ばかりするので、「どうして活動の話が少ないのだろう」と感じていました。しかし実際に参加してみると、その理由がわかりました。第2の家族と言えるような深い付き合いを現地の人とさせていただき、さまざまなことを学ばせていただくことが、自分の人生にとっていかに大きいかを実感したからです。もちろん活動も懸命に取り組みますが、そのなかでいかに自分がちっぽけな存在で、赴任時に抱いていた「現地の人のために役に立つのだ」という希望がいかに傲慢なものだったかを感じました。ですので、派遣前にお話を伺った協力隊経験者の方々と同様、私もやはり「第2の家族ができるすばらしい経験ですよ」とお伝えしたいですね。

知られざるストーリー