馬鈴薯の契約生産者への栽培支援に従事

[BEFORE]種苗会社の営業職
[AFTER]馬鈴薯を扱う会社の調達担当(カルビーポテト株式会社)

種苗会社での営業職を経て協力隊に参加した中村さん。帰国後はふたたび農業関連の企業に就職し、協力隊時代と同様、農作物の生産者を対象に栽培の支援をする業務に携わっている。

中村栄太さん
(ネパール・野菜栽培・2015年度4次隊)




[中村さんプロフィール]
1985生まれ。山形県出身。日本大学生物資源科学部で農業経済学を学んだ後、2008年4月に種苗会社に入社。主に農薬の営業に携わる。退職後の2016年3月、青年海外協力隊員としてネパールに赴任。カブレパランチョーク郡の農業開発事務所に配属され、農薬の適切な使い方に関する指導などに取り組む。18年3月に帰国。福島県田村市の復興支援員として働いた後、19年4月にカルビーポテト株式会社に入社。


農薬に関する技術指導に従事

【JOCV】現地の農家に灌注処理の指導をする中村さん

 農業への興味から、大学では遺伝子組換え農作物の流通について研究した。卒業後に進んだのも農業分野の道。種苗会社に就職し、主に農薬の営業に携わった。
 社会に出て5年ほど経つと、「自分の生き方を見つめ直すきっかけがほしい」と思うようになった。そのきっかけとして検討するようになったのが協力隊だった。海外で暮らせば、世界の見え方が変わるかもしれない。そうしたチャレンジができるのは、しがらみが少ない若いうちだけだろう。そう考えて勤め先を退職し、協力隊員としてネパールに赴任。2016年3月のことだ。
 配属されたのは、農業技術の普及などを行う行政機関。当初、配属先から求められていた活動は、生ゴミなどからつくる有機の「コンポスト肥料」を普及させることだった。ところが、現地の農家を回ってみると、牛や山羊などの家畜を飼う「複合農業」を営むケースが大半であり、彼らは家畜の糞を農作物の肥料として活用。そのため、あえて新たな有機肥料を導入する必要性は薄かった。それを配属先に伝えると、「それならば、どのような活動をしても構わない」と告げられた。そこで中村さんが取り組むことにしたのは、前職で豊富な知識を蓄えていた「農薬」に関する農家への技術指導だ。当時同国では、人体に害がある農薬が農作物に残留していることが問題となっていた。そうしたなか、「まだ害虫が出ていないのに農薬を使う」といった農薬の不適切な使い方をやめるよう促しつつ、希釈した農薬を育苗期に施してその残留を抑えつつ、薬剤の効果を高める「灌注処理」や、どの農家でも出るかまどの煙からつくれ、人体への害がない有機農薬の「木酢液」のつくり方などを指導した。

新たな分野に挑戦

【AFTER】契約生産者の畑で馬鈴薯の圃場調査を行う中村さん

 帰国は18年3月。帰国後の就職活動で農業分野の会社からいくつか声をかけてもらえたが、いずれも見送った。「日本社会で出直すことになったからには、思い切ってほかの分野の仕事にも挑戦してみたい」という気持ちが芽生えていたからである。
 そうして帰国後の最初のステップに選んだのは、知人に紹介されて就いた福島県田村市の復興支援員だ。復興支援員とは、東日本大震災の被災地の地方公共団体が総務省の財政支援を受けて設置する、コミュニティの再興に向けた業務に取り組む期限付きのポストである。同市は東京オリンピック・パラリンピックに関してネパールのホストタウンとなっており、それに関連する事業に携わることが期待されての採用だった。中村さんが実際に携わったのは、同市とネパールとの間の交流事業や、国際化への市民の理解を広げる事業など。
 中村さんはそうした地域づくりの仕事に取り組むなか、海外を経験したことにより、日本社会の課題に以前より意識が向くようになっているのを実感した。なかでも気になったのは、学校に行くことができない子どもなど、社会の中での生きづらさを抱えている人が増加しているという課題だ。生きづらさを抱えた人たちを支援する仕事をしたいとまで考えた。しかし、そうした仕事に従事する覚悟ができず、断念した。

相手のニーズを探る姿勢

 そうして、ふたたび農業分野の仕事に戻ったのは、帰国して約1年経った19年4月。就職先として選んだのは、ポテトチップスの原料となる馬鈴薯の調達を行うカルビーポテト株式会社だ。ポテトチップスはきわめてポピュラーなお菓子であり、自分の仕事がそのような商品につながるのであれば、やりがいも感じやすいだろう——、そんな考えが、就職を決断する決め手となった。入社してからの1年間は北海道の支所に配属され、その後は現在に至るまで、宇都宮支所の配属となっている。
 入社以来就いているのは、社内で「フィールドマン」と名付けられているポストだ。馬鈴薯の調達先や契約生産者の窓口役として、品質改善や収量アップに向けた指導を行うことが主な役目である。調達先は農産物を取り扱う商系(*)の業者や農協などで、中村さんが担当している契約生産者は約250軒だ。
 ネパールと日本で農家への技術指導に携わったことで、両者の違いも見えてきた。日本の農家の方が、新しい栽培方法を取り入れることにより慎重であるという点だ。ネパールの農家は、電力の供給が不安定で電動の灌漑設備は満足に使えず、手に入る道具も限られているという不便な環境のなか、品質や収量はなかば運に任せざるを得ない。そのため、中村さんが指導した灌注処理など、新しい栽培方法を取り入れることによるリスクはさほど気にしなかった。一方、日本の農家は厳格に栽培を管理しており、新しい栽培方法を取り入れることによるリスクに敏感だ。
 有益だと思われる新たな栽培方法の導入を日本の農家に受け入れてもらうためには、「この人の言うことならば、信用しても良いだろう」と思ってもらうことが不可欠である。そこで中村さんは、契約生産者がつくる馬鈴薯以外の作物のことについても相談に乗るなどして、彼らの信用を獲得することに努めている。そうした姿勢は、ネパールの農家がどのようなニーズを抱えているかを絶えず探りながら進めた協力隊活動を通して身に付けたものだ。
「しばらくは、協力隊経験を糧に今の仕事に全力を注ぐつもりです。そうして馬鈴薯についての十分な知識と経験を得て心に余裕が出てきたら、生きづらさを抱えている人をボランティアで支援するなど、人生の幅を広げていければと考えています」

* 商系…全国農業協同組合連合会を通さない農業分野の流通。

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