「総合的な探究の時間」の授業運営を兼任

[BEFORE]高等学校の音楽科教員(京都府立南丹高等学校)
[AFTER]同(現職参加)

高校に音楽科教員としての籍を残したまま協力隊に参加した森さん。音楽授業の質向上に向けた支援に取り組むなかで得た学びは、教員としての幅の広がりにつながったと実感している。

森 美緒さん
(ベリーズ・音楽・2015年度1次隊)




[森さんプロフィール]
1982年生まれ、京都府出身。同志社女子大学学芸学部音楽学科で日本音楽(琴)を研究。日本料理の料亭に勤務した後、2006年4月、京都府立綾部高等学校に音楽科教員として着任。14年4月に同府立南丹高等学校へ異動。15年6月、青年海外協力隊員としてベリーズに赴任(現職参加)。トレド・コミュニティ実業高等学校(トレド郡)に配属され、音楽の授業の実施や同僚教員への技術指導に取り組む。17年3月に帰国し、南丹高等学校に復職。


「楽譜の読み方」の指導を徹底

【JOCV】同僚教員(右端)と共に立ち上げた合唱部のメンバーたちが、国内の合唱コンクールに参加したときの様子

「大学は職業訓練機関ではない。その先の仕事のことは考えず、本当に学びたいことを学ぶべきだ」。両親のそんな声に後押しされ、大学の研究対象に選んだのは「琴」。4歳からピアノを習い続け、さらに両親が和楽器の演奏を趣味としていたことなどから思い当たった「本当に学びたいこと」だった。
 大学で中学校と高校の音楽科教員の免許状を取ったが、教員になるつもりはなかった。卒業後に就職したのは、外国の要人も多く訪れる日本料理の料亭。大学で和楽器について学ぶなか、日本の文化のすばらしさを実感するようになり、それを世界にアピールすることができるような仕事に就きたいとの思いから選んだ就職先だった。職種は給仕。外国人の客と触れ合うのは楽しかったが、やがて「自分の技術を発揮できるような仕事がしたい」という欲が出てきた。そうして大学卒業の2年後に転身。京都の府立高校に音楽科教員として着任した。
 協力隊に参加したのは、教員生活が10年目に入った年。「音楽は国籍や民族を超えて人々がつながり合うことのできるツールです」。音楽の授業で生徒たちにそんな話をしているからには、自分自身が経験してみるべきだと考え、目が向いたのが協力隊だった。
 派遣されたのは、日本の中学1年生から高校1年生までにあたる生徒が通う実業学校。同僚教員と共に音楽の授業を行いつつ、彼女たちへの技術指導にも取り組んだ。同僚教員たちは音楽の専門教育を受けていないため、森さんのように「さまざまな表現方法で歌ってみせ、生徒たちの表現力を高める」といったことは難しかった。そこで森さんは、音楽に興味を持った生徒が独学で勉強を進めることができるよう、「楽譜の読み方」をしっかり教える授業にしようと同僚教員たちに提案。その指導ならば彼女たちもこなすことが可能だった。

「音楽」への認識が深化

 帰国は17年3月。現職参加であったため、すぐさま元の職場だった京都府立南丹高等学校に復職した。「音楽は国籍や民族を超えて人々がつながり合うことのできるツールです」。復職後はこの言葉を、ベリーズでの体験を交えながら自信を持って伝えることができるようになっていた。例えば、同国に赴任して最初に入った音楽授業のエピソード。まだ英語が不慣れなのに、一緒に入るはずだった同僚教員が教室に現れず、生徒たちが騒ぎ出して収拾がつかなくなってしまった。そこで森さんは意を決し、英語のバラードを歌い始める。すると生徒たちは静まり返り、耳を傾けてきた。そして歌が終わると、「音楽の先生なのですね!」「感動しました!」などと口々に称賛。一気に距離が縮まったのだった。
 英語ができなくても生徒たちと近づくことができたこのような体験により、協力隊に参加する以前にも音楽授業で生徒たちに繰り返し伝えていたもう1つのことについても、より自信を持って伝えることができるようになった。「『伝える技術』よりも、『伝えたいという思い』が重要である」という信念だ。「こんなふうにメロディーを奏で、聞かせたい」という思いが強ければ、おのずとそのための方法を人は見つけ出していく。これを森さんは、「赤ん坊でもおなかが空けば、泣いてそれを伝える」といった例えを出しながら生徒たちに伝えているが、その際に頭に思い浮かべているのは、協力隊員としてベリーズに赴任したばかりの自分自身の姿にほかならない。

教員らしくない仕事

【AFTER】森さんと南丹高等学校の教え子たち。手にしているのは、「総合的な探究の時間」で普及に取り組んでいる浄水フィルター付きの水筒

【AFTER】「総合的な探究の時間」で異文化理解についての講義を行う森さん

 南丹高等学校は、「普通科」と「専門学科」の要素を組み合わせた「総合学科」と呼ばれる学科だけを置く学校だ。生徒の個性を生かした主体的な学習の重視や、自己の進路への自覚を深めさせる学習の重視などを特徴とする学科である。森さんは19年度から、「総合的な探究の時間」で総合学科の趣旨に沿った授業を実施する校務分掌を担っている。
 そこで森さんがこれまでに実践してきた授業の1つは、「プラスチックゴミをゼロにする方法を考え、実践する」という課題に取り組むものだ。学校がある亀岡市はプラスチックゴミをなくすことを目指しており、市内にはペットボトルを減らすために浄水フィルター付きの水筒の普及に取り組む企業もある。そこで両者と協働し、実現した授業である。生徒たちが発案し、実践しようとしているのは、市内の店舗を回り、「給水スポット」を地図上に示すスマートフォンのアプリへの登録を勧めることなどだ。
 そうした授業で生徒たちを指導する際に基盤となっているのは、「社会で何かを変えるためには、さまざまな要素が必要となる」という、自身の協力隊経験で得た学びである。協力隊時代、音楽授業の質を上げるためには、音楽の知識や技術を持っているだけでは足りず、同僚教員との関係づくりや、教材を導入するための予算の確保なども必要となった。「教壇に立つ」という仕事にはない複雑さを持つそうした取り組みの経験を踏まえながら、「プラスチックゴミ」の授業では生徒たちに、「あなたのアイデアを実現するためには、誰にアプローチしたら良いだろう?」「必要となるお金はどう調達するの?」といった問いかけをしている。
「平気で遅刻してくるような協力隊時代の同僚たちと付き合うなか、『教員はかくあるべき』という固定観念が取り払われました。だからこそ今、行政や企業など学外の人の所に飛び込んでいき、授業への協力を取り付けるような、『教員らしくない仕事』も臆せずできているのではないかと思います。今後も、協力隊で得たそんな『図々しさ』を生かしながら、学校を社会とつなぐ役割を果たしていければと考えています」

知られざるストーリー