【宮城県石巻市渡波地区】
「よそ者」としてできる
被災地の問題解決への貢献を継続

菅野芳春さん
●ガーナ・理数科教師・2004年度3次隊
●一般社団法人ワタママスマイル 代表

避難所のボランティアとして宮城県石巻市渡波地区に足を踏み入れた菅野さん。それから今日までの10年間、被災した住民を雇用する宅配弁当の店を経営するなどして、同地区の復興を支援し続けてきた。






プロフィール

1965年生まれ、山形県出身。精密機器メーカーに約20年間、エンジニアとして勤務。2005年、青年海外協力隊員としてガーナに赴任。農村での保健衛生の向上などに取り組む。07年に帰国。国際協力NGOを設立・運営などにかかわった後、震災の発生直後から宮城県石巻市渡波地区の避難所でボランティア活動に従事。避難所が閉鎖となった後の11年11月、被災者の雇用創出を目的に同地区で宅配弁当の店をオープン。14年にその経営母体として一般社団法人ワタママスマイルを設立し、代表に就任。

[一般社団法人ワタママスマイル]
■ 設立
2011年
■ 所在地
宮城県石巻市幸町2-3
■ 主な事業内容
●弁当の製造・販売
●市民農園の運営
●子ども食堂の運営


ワタママ食堂は建物の中や敷地にテーブルを置き、買った弁当を食べながら住民間で触れ合える「集会所」のような場となっている

弁当をつくるワタママたち

 約16万人だった人口に対し、震災による死者が3500人あまり(※)にのぼった宮城県石巻市。市内でも特に津波の被害が大きかった渡波地区では、地震発生の8カ月後、被災した住民の雇用創出を目的に1人の「よそ者」が宅配弁当の店「ワタママ食堂」をオープンした。山形県出身の協力隊経験者、菅野芳春さんである。当初は、ラーメン店だった建物を借り、そこで日替わり弁当をつくって仮設住宅の住民に配達した。最初に調理スタッフとして雇用した渡波の女性「ワタママ」は4人。1日に200食以上売れることもあるほど好評だったが、半年後には借りていた建物が取り壊されることになり、いったん店を閉めた。しかし再開を望む常連客は多く、別の場所に土地を借りて小さな平屋の建物を新築し、1年半後に再オープン。それまでは任意団体として経営していたが、再オープンしてまもなく経営母体として一般社団法人ワタママスマイルを設立し、菅野さんが代表に就任した。その後、仮設住宅の住民が復興公営住宅に移っても、彼らへの宅配を継続。今日まで店は続き、ワタママの働き場所の1つであり続けている。
「『よそ者』として渡波に貢献できることがなくなったときが、私の引き際だと思っています。しかし、渡波では震災後、絶えず新たな問題が発生し続けてきました。それらに対して『よそ者』だからこそできることをやろうと思い、実践し続けていたら、気が付くと10年が経っていました」

※ 関連死を含む身元が判明した人数。

被災者を鼓舞する役目

 菅野さんが渡波に初めて足を踏み入れたのは11年4月。避難所となっていた渡波小学校でボランティア活動を行うためだった。避難所では、支援物資の管理や炊き出しの采配といった避難所運営を取り仕切る人が必要である。菅野さんはそれを引き受けた。菅野さんを含め、同校でボランティアの主力となっていたのは、全国から集まった協力隊経験者たちだ。彼らの活動費は、全国の協力隊経験者が支援してくれた。
 菅野さんは避難者が仮設住宅に移った11年10月まで、同校での活動を継続。その間、毎日のように避難者から九死に一生を得た体験を聞き続けた。身内や知人を失った避難者のなかには、「自分も死んでしまったほうが楽だった」と口にする人も少なくなかった。彼らは、生かされた命をしっかり生かしていかなければならない。そのために彼らを鼓舞することは、被災したわけではない「よそ者」の自分がやるべきことではないか。そう考えるようになった菅野さんは、そのための方法を模索。思い当たったのは、当番制で炊き出しに参加してもらっていた避難者のワタママたちだ。自宅も職場も津波で失っていた彼女たちから、「この先、どう生活していけば良いだろう」という相談をたびたび受けていた。菅野さんは彼女たちに、炊き出しで得たスキルを生かして食堂を始めないかと提案。そうして、避難所が閉鎖されてまもなく立ち上げたのがワタママ食堂だった。
「被災された方々がもっともつらかった時期に、私は生活を共にしたわけです。そのため、『避難所がなくなったので、後は皆さんでがんばってください』という気持ちにはなれませんでした」
 日替わり弁当の販売を事業内容とすることにしたのは、半年あまりに及ぶ避難所での毎日の炊き出しを通して、「食が命の源であること」や「食によって生きる力や喜びが生まれること」を実感し、仮設住宅の住民に栄養バランスの整った食事をとってもらいたいと思ったからだ。一方、宅配サービスを提供することにしたのは、ひとり暮らしの高齢者の見守りも兼ねようとの意図からである。

地域の新たな問題への対応も

「渡波たべらいん」で行ったケーキづくり教室の様子

「よそ者」は、地域の利害から離れた存在であるため、地域の中の多様な立場の人たちの状況を公平に受け止め、見渡すことができる。菅野さんが近年の渡波の問題だと感じているのは、被災した住民がうまく立ち直ることができた人とそうでない人とに二極化していることだ。漁業の再開に成功し、新築した家で家族3世代で暮らしている例がある一方、3世代で暮らしていた家族が分断され、高齢者が単身で復興公営住宅に入り、孤立を深めてしまっている例もある。また、石巻市は不登校の中学生の割合が全国でもっとも高い地域の1つとなっている。
 そうした問題の解決を目的に、ワタママスマイルでは18年に市民農園事業「スマイル農園」を開始した。復興公営住宅の高齢者や不登校の子ども、引きこもりやアルコール依存症の人に休耕地を無償で貸し出し、野菜や花の栽培をしてもらうというものだ。孤立を深めがちな彼らに、農作業を通じて人と接する機会を提供しようとの狙いである。復興公営住宅との間の高齢者の行き来は、移動支援専門のNPOが担う。事業の運営費は行政の支援などを活用している。
 ワタママスマイルがワタママ食堂以外に現在取り組んでいるもう1つの事業は、子ども食堂の運営だ。渡波はシングルマザーの家庭の割合が全国平均の2倍にのぼり、子どもだけで過ごす家庭が少なくないため、子どもの「孤食」が問題となっている。そこでワタママスマイルが16年にスタートさせたのが、渡波の子どもたちがワタママ食堂の中で会食する「渡波たべらいん」と名付けた子ども食堂を毎週土曜日に開催することだ。復興公営住宅に住む高齢者たちがボランティアとして参加し、調理を担ってくれている。「たべらいん」は、「食べなさい」という意の方言である。
「『こうして子どもたちと一緒に楽しく過ごすことがなかったら、震災を生き延びて良かったと感じることは何もなかったと思う』。『渡波たべらいん』に参加してくれる高齢者からそんな言葉を聞くとき、生かされた命をしっかり生かしていくための力に少しはなれたのかなと、うれしく感じます」
 復興公営住宅の住民の孤独や孤立、地域コミュニティの再生など、渡波の問題は今も尽きない。菅野さんが「よそ者」の役目を果たし終え、渡波を離れる日が来るのはまだ先のことになりそうだ。

知られざるストーリー