JICA Volunteers’ before ⇒ after

淡島祐里さん(旧姓・前田/マラウイ・PCインストラクター・2015年度派遣)

before:ソフトウェア会社の社員
after:障害児・者の支援を行う会社の社員

ソフトウェア会社に勤務した後、退職して協力隊に参加した淡島さん。視覚障害児や聴覚障害児にパソコンスキルを教えたことが転機となり、帰国後は障害児・者の支援に取り組む会社で働くことを選択した。

身体障害児へのパソコン指導

視覚障害児にタイピングの指導をする協力隊時代の淡島さん

 海外への興味から、大学は学生の半数近くを留学生が占める立命館アジア太平洋大学に進学。就職活動も海外にかかわる仕事ができる会社を狙ったが、就職難の真っ只中だったこともあり苦戦。歯科医向けのソフトを開発・販売する会社に就職し、ソフトの購入者に使い方を教える業務などに携わった。
 転機は就職して3年ほど経ったころに訪れた。淡島さんの勤務先を退職して協力隊に参加した先輩にその体験談を聞く機会があり、自分もそれまでに身につけたパソコンスキルを協力隊員として生かしてみたいと思うようになった。勤務先を退職して参加した協力隊で派遣されたのはバングラデシュ。職種はPCインストラクターで、視覚障害児が通う小学校から高校までの一貫校でパソコンの授業を行うことが要請内容だった。希望した案件ではなかったが、「障害」という未知の領域への挑戦に期待はふくらんだ。
 パソコンに詳しい教員がおらず、パソコンの授業は淡島さんに一任された。視覚障害がある人は、画面上のテキストを音声化するソフトでタイピングの練習をするのが通常で、そうしたソフトは配属先にもあった。それを使って基本操作を習得させるのが授業の第一歩だったが、指導の要領をつかむまでは手探りが続いた。弱視から全盲まで、教え子の障害の程度には幅があった。全盲の子は個別の指導が必要だが、キーボードがある程度見える弱視の子は課題をすぐに終え、手持ち無沙汰になってしまう。そうしたなか、弱視の子には追加で「好きな音楽の歌詞のタイピング」をさせるなど、障害の程度に応じて課題のボリュームを変えることで、子どもたちが学習意欲を失うのを防いだ。
 赴任の10カ月後、バングラデシュの情勢悪化により一時帰国。振替派遣で着任したのは、聴覚障害児が通うマラウイの特別支援学校だ。活動はやはりパソコンの授業を行うこと。担当の教員を配置してもらえたことから、淡島さんが教材をつくり、同僚教員がそれを使って手話で授業を行うという役割分担ができた。基本操作の指導から授業を始めたが、視覚障害児とは違い、子どもたちは健常者と変わらない早さで技術を習得していった。

多様性の維持に必要な手間

勤務先の就労移行支援事業所で、社員を対象に現行のカリキュラムをより有効に活用する手法を説明する淡島さん(右)

 淡島さんが2カ国での協力隊活動を経験して強く感じたのは、パソコンは障害者が抱えるコミュニケーション上の難点をカバーするツールとなり、彼らが健常者と同じ土俵で社会活動を行うことを可能にするものであるということだ。例えば、マラウイに赴任してまもない時期、英語の手話がまだわからないなかで、教え子たちには授業の感想をパソコンに打ち込んで伝えてもらうことができた。
 そうして淡島さんは帰国後の就職活動で、障害児・者にパソコンスキルを教える仕事ができそうな求人を中心にリサーチ。そのなかで見つけたのが、現在勤務するウェルビー株式会社だった。放課後等デイサービス事業(*1)や就労移行支援事業(*2)、就労定着支援事業(*3)など、障害児・者を支援する事業を手広く行う企業である。入社後に配属されたのは、就労移行支援事業などを行う施設。利用者は主に精神障害がある人で、一般企業への就職に必要なスキルの指導、就職活動や就職後の職場定着のフォローなどを行う。淡島さんは専門性を生かしたパソコンスキルの指導を含め、直接利用者と接する立場で、入所から職場定着までの一連の支援を担当してきた。
 ウェルビーでかかわることが多い精神障害者には、「コミュニケーションが苦手」「気分の浮き沈みが激しい」など、協力隊時代にかかわった身体障害児にはない社会生活上の困難があり、それらへの適切な対応は一から学ばなければならなかった。しかし一方で、協力隊経験で得たものが確実に生きていると感じる点もある。社会が多様性を持つためには一定の「手間暇」が必要であるという覚悟だ。全盲と弱視の子どもに同時に対応した経験などから、対象者の障害の種類や程度に応じてきめ細かく対応方法を調節していくことが、どれほど手間がかかる作業であっても障害者を支援するうえでは不可欠であると学んだ。そのため帰国後の仕事でも、施設の利用者の個々の状態を見極め、それらに応じた支援を考えるという姿勢を貫くことができている。
 さまざまなタイプの障害児・者の支援に携わるなかで淡島さんが感じてきたのは、それぞれ潜在的な長所があり、社会はそれが発揮できるようにしなければならないこと、および障害児・者自身もそうした能力を発揮するための努力をしなければならないことだ。社会と障害児・者の双方の努力で初めて可能な「多様性がある社会」の実現に向け、淡島さんはまだ奮闘を続けるつもりだ。

*1 放課後等デイサービス事業…児童福祉法にもとづいて国の財政支援がなされる、障害児への自立支援サービス。
*2 就労移行支援事業…障害者総合支援法にもとづいて国の財政支援がなされる、障害者への就労支援サービス。
*3 就労定着支援事業…障害者総合支援法にもとづいて国の財政支援がなされる、障害者の就職先での定着を支援するサービス。






淡島さんのプロフィール

【before】
[1987]
5月生まれ、熊本県出身
[2011]
3月、立命館アジア太平洋大学を卒業
4月、ソフトウェア会社に入社

【JICA Volunteer】
[2015]
1月、青年海外協力隊員としてバングラデシュに赴任(勤務先の先輩から、退社して協力隊に参加した体験談を聞いたことがきっかけとなり、それまでに業務で蓄えたパソコンのスキルが生かせると考えて協力隊への参加を決意した)
10月、情勢悪化により帰国
[2016]
3月、青年海外協力隊員としてマラウイに赴任(振替派遣)
[2017]
1月、帰国

【after】
[2017]
4月、ウェルビー株式会社に入社(2カ国での協力隊活動を通じて、パソコンのスキルが障害者の生き方の可能性を広げると実感。障害者へのパソコン指導をしていることに着目して応募を決めた就職先だった)。就労移行支援事業所に配属

ウェルビー株式会社
設立:2011年
本部所在地:東京都中央区
事業内容:障害者を対象とする就労移行支援事業や就労定着支援事業、障害児を対象とする放課後等デイサービス事業など

知られざるストーリー