教員養成校に配属され、
日本語専攻の授業運営やカリキュラムの改訂に従事

中川歩美さん(トンガ・日本語教育・2017年度3次隊)の事例

トンガで唯一の教員養成校に配属され、日本語専攻の授業運営やカリキュラムの改訂に取り組んだ中川さん。心がけたのは、授業やカリキュラムをトンガの日本語教育の状況に合ったものにすることだ。

中川さん基礎情報





【PROFILE】
1990年生まれ、大阪府出身。大阪大学外国語学部と同大学院言語文化研究科修士課程で日本語教育を学ぶ。大学院時代に日本、ドイツ、タイで日本語教育の実践を経験。大学院修了後の2018年1月、青年海外協力隊員としてトンガに赴任。20年1月に帰国。

【活動概要】
トンガ教員養成学校に配属され、主に以下の活動に従事。
●日本語専攻の授業の実施
●日本語専攻のカリキュラムの改訂


日本語教授法の授業の一環として、同級生を相手に日本語の模擬授業を行う学生

 中川さんが配属されたのは、トンガ唯一の教員養成校。幼児教育・初等教育・中等教育の教職課程がある2年制の学校で、2つの選択科目を専門として履修することになっていた。中川さんに求められていたのは、選択科目である「日本語・日本語教授法」の授業を実施すること。当時、これを担当する現地教員はいなかった。配属先の年度開始は1月で、中川さんの着任は18年2月。18年度と19年度に合わせて4人の学生を指導した。
 配属先の学生たちは、卒業後に国内で教員として一定年数働けば返済が免除される奨学金を得て通っている。日本語を専攻する学生の主な進路は、日本の中学校・高等学校にあたる中等学校の日本語専任教員だ。トンガの中等学校は7年制で、3〜7年生のときに「コンピュータ」などと並ぶ選択科目の1つとして日本語を学ぶことができる。
 中等学校で選択科目とされている外国語はほかにフランス語と中国語があるが、1986年から同国の中等学校に日本語教育に携わる隊員が派遣されてきたこともあり、中川さんの赴任当時も外国語を選択する生徒の大半は日本語という状況だった。しかし、中等学校で日本語を学んでも、それを生かせる職を得るチャンスは少ない。そうしたなかでトンガ政府が協力隊などの力を借りながら日本語教育を続けているのは、「人づくり」において外国語教育が持つ意義の大きさに着目してのことだ。中等学校の日本語の教科書の前書きには、「外国語を勉強することは、トンガの言葉や文化をより深く知ることにつながる」と書かれている。
 中川さんの教え子たちはいずれも、中等学校で日本語を選択して興味を深め、日本語教師の道を選択。4人のうち3人は、中等学校時代に協力隊員から日本語を教わっていた。4人に共通していたのは、臆することなく外国語を使うコミュニケーション能力の高さや、異文化への好奇心の強さだった。

「レアリア」の活用法を指導

日本とトンガの人たちから「トンガ」をモチーフにしたTシャツを集め、展示するイベントを配属先で開催。日本の美術館が主催したものだ

 配属先で日本語を専攻する学生は、言わばトンガにおける日本語の「エリート」たち。しかし、日本語を習得する能力が必ずしも高いというわけではなかった。認定レベルが5段階ある日本語能力試験で、卒業生が取得できるのはせいぜい下から2番目の「基本的な日本語を理解することができる」というレベル。中川さんの教え子たちも例外ではなかった。
 中川さんがやがて感じるようになったのは、教え子たちに限らず、トンガ人と日本人では「記憶」の質が違うらしいということだ。授業中に伝えた宿題のことを、授業の終わりには忘れている。「6時に迎えに行く」といった約束を忘れられてしまうのは日常茶飯事だった。しかしその一方で、「あんなに前のことを覚えているのだ」と驚かされることが少なくなかった。例えば、半年前に1度乗せてもらったタクシーの運転手が、「あなたの家はここだね」と覚えていた。そうして中川さんが立てた仮説は、「トンガの人々は印象的な体験についてはしっかりと記憶する」というものだ。
 この仮説を踏まえて中川さんが授業に取り入れることにしたのは、「レアリア」の活用である。レアリアは「実物」を意味するラテン語で、語学教育の領域では、その言語が使われている新聞や音楽、ネイティブスピーカーなど、教材として加工されていないけれども教材として活用できるものを指す。中川さんは、授業に協力隊員を招き、教え子たちからトンガ料理を振る舞ってもらう時間を設けたり、教科書を離れて日本語の歌を教えたりしてみた。すると期待どおり、そうしたアクティビティの際に使った日本語については、数カ月経っても教え子たちの記憶に残っていることがわかった。
 中等学校の日本語授業でもレアリアの活用は有効であることから、配属先のカリキュラムには盛り込まれていなかったが、中川さんは日本語教授法の授業でレアリアについて解説した。すると教え子たちはその後の教育実習で、予定している授業の例文に「傘」や「鞄」があったらその実物を持参したり、見学している中川さんを日本語のネイティブスピーカーとして引っ張り出したりと、自発的にレアリアを活用。臆せず人前で話すことができる生来のエンターテイナーとしての素質と相まって、対象の生徒たちが興味を持つ授業を展開することができた。

トンガに合ったカリキュラムに

書道を学ぶ学生たち。トンガの中等教育の日本語授業では書道指導も取り入れられている

 授業を行うことのほかに中川さんの重要な活動となったのは、配属先の日本語専攻のカリキュラムを改訂することだった。配属先は中川さんの着任の前に3年制から2年制へと改変。しかし、中川さんの着任当時は従来のカリキュラムしかなく、それを2年制に合わせて圧縮する必要があった。中川さんは、まずは従来のカリキュラムに沿って授業を進めながら、そこで学生たちの能力や特性を把握し、カリキュラムの内容をどう取捨選択するか検討していった。
 中川さんが立てた改訂の方針は、トンガに固有の状況を踏まえた内容にすることだった。従来のカリキュラムはどの国で日本語指導者を育成する場合にも使える内容となっており、トンガでは不要な要素があった。例えば、トンガの中等学校は教室に電気が通っていないのが一般的だが、従来のカリキュラムには、電気が使えることを前提とした視聴覚教材の活用方法などが盛り込まれていた。そうした要素を省いていくことで、全体のボリュームを削減。その一方で、従来のカリキュラムに盛り込まれていない要素で、トンガでは重要だと思われるものは新たに加えることにした。「レアリア」の活用法もその1つだ。ほかに、「書道道具の管理方法」なども盛り込んだ。トンガの中等学校には教育訓練省から書道道具が配られ、日本語授業のなかでその指導も行われていたからだ。
 改訂版は任期の終盤にようやく完成。改訂の経緯について配属先の理事長と校長に報告したうえで帰国の途に就くことができた。

任地ひと口メモ 〈トンガタプ島・中央地区〉

大雨で冠水した中川さんの自宅周辺の道路。トンガはサイクロンや豪雨が頻繁に襲う地域だ




トンガ人の正装である腰巻「タオバラ」





飛行機を利用して離島の中等学校に卒業試験の試験官として赴く中川さんたち




知られざるストーリー