体育教育に導入された教員向け指導書の活用法を指導

西原大二朗さん(カンボジア・体育・2018年度3次隊)
再赴任時の残りの任期…約2カ月間

中学校に配属され、体育授業の質向上を支援した西原さん。当初は授業自体がほとんど行われていなかったが、体育授業に熱意を持つCPとの共同授業を足掛かりに、配属先における体育授業の底上げを図った。

西原さん基礎情報





【PROFILE】
1995年生まれ、東京都出身。日本体育大学在学中に中・高等学校の教員免許状(保健体育科)を取得。卒業後の2019年1月、青年海外協力隊員としてカンボジアに赴任。一時帰国、再赴任を経て、21年1月に任期を終了。

【2年間の協力隊活動】
配属先:スバイリエン中学校
(1)初赴任時(2019年1月〜)
●CPへの技術伝達
●新たに導入された教員向け指導書の活用に関するアドイス
●陸上競技部の指導
(2)一時帰国中(2020年3月〜)
●中学校での特別指導員としてのアルバイトを通じた、日本の体育授業についての勉強
●新指導書を作成したNGOが新たに作成する参考書に関するアイデアの提供
(3)再赴任後(2020年12月〜21年1月)
●新指導書の活用に関するアドイス
●同僚の体育科教員に向けた、体育授業のポイントを伝える講習の実施


【初赴任時】

木の枝を使ってやり投げの指導を行うCP

体育授業に新たに導入された体力測定で、長座体前屈の測定をするCP

 西原さんの配属先は、3学年にそれぞれ30人ほどのクラスが十数クラスある全校生徒約1300人の中学校。求められていた活動は、体育授業の質向上を支援することだった。中学校の体育授業は国がカリキュラムを設置。配属先の時間割には、各クラス週2コマずつの体育授業が組み込まれており、学年ごとに別々の専任教員が配置されていた。しかし、彼らには体育の専門教育を受けた経験がなかった。しかも西原さんの着任当時、熱心に体育授業を実施しているのはカウンターパート(以下、CP)となった1年生担当の男性教員のみで、他の教員は授業がおざなりになっていたが、学校側もそれを黙認していた。
 カンボジアの学校の年度開始は11月で、西原さんの着任は2018年度の1学期の中盤。西原さんは、18年度は1年生の体育授業の約半分を単独で実施する一方、1年生の残りの授業をCPと共同で実施することで、彼に授業運営の技術を伝えていった。共同授業の進行はCPが担当。西原さんは必要なアドバイスをするという形をとった。
 CPが当初行っていた授業は国のカリキュラムには則っておらず、自分が持つ知識でも対応が容易なカンボジアの「ラジオ体操」にあたるクメール体操やサッカーなどばかりをさせていた。そうしたなかで西原さんはまず、同じサッカーの授業をするにしても、練習方法に「競争」の要素を加えるなどして生徒たちの興味を引き出す方法を伝授。さらにその後、陸上競技やバレーボールなど、カリキュラムにあるほかの競技の指導方法も伝え、取り入れてもらうようにしていった。
 西原さんとの共同授業を通じてノウハウを得て自信が増したことで、体育授業に対するCPの熱意は顕著に高まった。19年10月に新年度が始まると、他の体育科教員を集め、授業を時間割どおり実施するよう訴えた。するとようやく、他の体育科教員たちも手を抜かずに授業を行うようになっていった。
 新年度にはもう1つ大きな変化があった。JICAの「草の根技術協力事業」によって日本のNGOが作成した中学校の体育授業の教員向け指導書が国に採用され、専門知識が不足していた体育科教員たちの新たな拠り所が出来たことだ。「体力測定」をはじめ、新指導書に盛り込まれている事柄について、西原さんは体育科教員たちに実践の具体的な要領を伝えていった。コロナ禍で西原さんが一時帰国となってしまったのは、配属先の体育授業が全体として盛り上がり始めた矢先のことだった。

【一時帰国中】

水道管パイプを加工してつくったハードル

 新卒で協力隊に参加した西原さんは、「生徒の秩序が保てない」など担当する体育授業で困難が生じた際に、打開策を考えるための足掛かりとなる授業運営の実践経験がなかった。そこで頼りにしたのは、インターネットで得られる情報だ。指導案の例などを調べ、自分が児童・生徒として受けてきた授業の記憶を呼び戻そうと努めた。西原さんは一時帰国中、日本の体育授業についてさらに勉強を深める良いチャンスだと考え、日本の中学校で特別指導員としてアルバイトをさせてもらうことにした。そうして、チャンスを見てはその学校の体育授業を見学。「こういうやり方もあるのだ」「自分の考え方は間違っていなかったのだ」といった多くの学びが得られる機会となった。
 例えば、一時帰国する以前、配属先に「ハードル」がなかったことから、西原さんは水道管パイプを加工して自作。さらにそれを使って高跳びの練習をさせていた。一方、アルバイト先の学校では、跳び箱とそのジャンプ台を使い、高跳びの感覚を養わせる授業が行われていた。それを見て、目的を達成するためならば、競技の原形にこだわらずさまざまな工夫をして構わないのだとの確信を持つことができた。

【再赴任後】

再赴任後、同僚の体育科教員たちに新指導書の要点を伝える講習を行う西原さん

 再赴任が叶ったのは、配属先が新年度に入ってまもない20年12月。残りの任期は2カ月となっていた。カンボジアにおける人口あたりの感染者数が日本の50分の1程度という時期だったが、当時はまだ学校が閉鎖。それが解除され、配属先で活動を行うことができたのは1カ月にも満たなかった。日本からウイルスを持ち込んだのではないかと警戒されることも多かったが、PCR検査は陰性だったと粘り強く伝えたところ、配属先の人たちと以前と同じように付き合うことができ、マスクさえしていれば、以前とほとんど変わらない活動が可能だった。
 限られた時間で取り組んだことの1つは、前年度に初めて導入された体力測定のフォローだ。測定の様子を見て回り、やり方が間違っている場合は正しいやり方を指導した。もう1つは、一時帰国の前に体育授業を積極的に実施するようになっていた同僚の体育教員たちに、一時帰国中にアルバイト先で学んだことを踏まえ、体育授業のポイントを伝えることだ。予想外だったのは、コロナ禍のなかでリスクを厭わず戻って来た西原さんに対して、同僚教員たちが以前より信頼を強め、より積極的に話に耳を傾けてくれたことだった。

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