頼まれた業務をすべて引き受け
同僚たちの信頼を獲得

酒井実希さん(東ティモール・理学療法士・2018年度1次隊)の事例

総合病院に配属され、理学療法の質向上に取り組んだ酒井さん。着任初日、前任隊員と比較されて自信を失いかけたが、「教わろう」という姿勢で同僚たちとの関係づくりに努め、活路を見出していった。

酒井さん基礎情報





【PROFILE】
1991年生まれ、東京都出身。大学卒業後、理学療法士として総合病院に4年間勤務。2018年7月、青年海外協力隊員として東ティモールに赴任。20年3月に一時帰国し、同年7月に任期を終了。

【協力隊活動】
バウカウ県病院に配属され、主に以下の活動に従事。
●同僚への理学療法に関する知識と技術の伝達
●地域における障害者の支援


 酒井さんが配属されたのは、病床数が約140床という総合病院の理学療法科。着任当時、外来患者と入院患者を合わせて1日に10〜20人が同科でリハビリを受けていた。多かったのは、バスやバイクでの事故や、ココナツの木からの落下で骨折した患者だ。所属していた理学療法士は7人。カウンターパート(以下、CP)となった科長を含めて2人がベテランで、残りの5人は実務経験がまだ1年未満という若手だった。いずれもインドネシアで理学療法の教育を受けていたが、施術は「マッサージ」と「物理療法」が中心で、日本の理学療法で重視されている「運動療法」は行われていなかった。そのため、痛みは一時的に和らぐものの、回復はおぼつかないという状態だった。そうしたなかで酒井さんがメインの活動として取り組んだのは、同僚たちに運動療法の技術を伝えることだった。

「教える」ではなく「教わる」

配属先で若手の理学療法士と共に運動療法を行う酒井さん

「任期中でもっともつらい日だった」と酒井さんが振り返るのは、初出勤の日だ。理学療法士としての4年間の実務経験があった酒井さんは、「知識や技術を教えるのだ」と意気込んで赴任。ところが初日、同僚たちから聞かされたのは「現地語が流暢で、何でもできる人だった」という前任の理学療法士隊員を賞賛する話だった。「ところで、あなたは現地語が話せないの?」。そう尋ねられた酒井さんは、現地語がまだほとんど話せなかったことから自信を喪失。しかし、この日の悔しさが、その後の活動の原動力となった。
「前任隊員ができなかったことを、1つでも多く成し遂げて任期を終えよう」。気持ちを切り替えた酒井さんは、当面の活動方針を検討。現地語がまだ十分に話せないうちは、何かを「教える」どころではないことから、まずは同僚たちの仕事を「教わる」ことに徹しようと決めた。
「教わる」ために酒井さんは、担当となった患者の治療に携わるかたわら、たとえ理学療法に関係ないことであっても、頼まれた作業はすべて引き受けるようにした。例えば、ギプスの製作は若手スタッフが担当医師の補助をしていたが、そうした手間暇がかかる作業も厭わず手伝った。ギプスづくりは経験がなく、学ぶチャンスだと思ったからだ。また、CPから患者の情報について月ごとの集計を出す事務作業を振られたが、それについても酒井さんは患者について良く知る機会だと考え、拒否しなかった。やがてCPから、「肩が凝っているので揉んでほしい」などと業務外のことも依頼されるようになったが、酒井さんは「自分のマッサージの技術を直に感じてもらえる良い機会だ」と考え、引き受けた。
 このような過ごし方が実を結び始めたのは、着任して半年ほど経ったころからだ。それまで酒井さんは同僚たちと同じ部屋で、患者に対して運動療法を中心とする治療を行っていたが、それを同僚たちに勧めることはしていなかった。そうしたなか、同僚たちが「運動療法もやっておいたほうが良いだろうか?」と尋ねてくれるようになったのだ。「教えるチャンスがやってきた」と感じた酒井さんは、易しいエクササイズのやり方などを伝授。すると彼らは、患者に自発的にそれらを教えるようになった。
 従来、同僚たちは患者に対して「次は来られるときに来て」などと、その後の治療スケジュールについてあいまいな指導をしていた。それにより、まだ治療の継続が必要な患者が通院を止めてしまうケースが見られた。酒井さんは「教えるチャンスがやってきた」と感じた後、同僚たちに、「週に3回は通院するように」などと具体的な数値で患者にアドバイスすることを提案。すると同僚たちはそれを実践し、理学療法科が治療する患者の総数が、月の平均で3割程度増えるという変化があった。

徒歩通勤に変更

高齢者入所施設で肩こり予防の体操の指導を行う酒井さん

 酒井さんが任期序盤に心掛け、その後の活動につながったことがほかにもいくつかあった。その1つは「任地ではなるべく徒歩で移動する」というものだ。着任した当時、任地にはほかにも日本人が住んでおり、酒井さんは当初、週末は彼らと過ごすことが多かった。3カ月ほど経って任地にいた日本人たちが帰国。そこではたと、「プライベートで現地の人たちと過ごす時間が少ないため、地域についての知識が欠けている」と気づいた。酒井さんには配属先以外でも地域のためになる活動に取り組みたいとの思いがあり、それには地域についての知識が不可欠だった。そこで酒井さんは、手始めに通勤手段を乗合バスから徒歩に変更。現地の人でも歩きたがらないような急な坂道を含む片道30分くらいの通勤路だった。厭わず徒歩通勤を続けたところ、やがて見ず知らずの住民から「あなたは昨日、あそこを歩いていたね」「あなたは病院で働いているらしいね」などと声を掛けられることが増えてきた。
 あるとき、徒歩で通勤する酒井さんに1台の車がクラクションを鳴らしながら近づいてきて、運転している現地の人が「病院で働いている日本人よね」と声を掛けてきた。高齢者の入所施設で働いている人で、「施設で運動の指導をしてほしいと思っていた」とのことだった。そうして酒井さんはその施設でプラスアルファの活動として定期的に利用者への運動指導をすることが叶ったのだった。

酒井さんのひとことアドバイス

「前任隊員」という重荷
前任隊員が活発に活動した人である場合、後任隊員は当初比較され、「語学力が低い」などと評価されてしまいがちだと思います。これから赴任される方はぜひ、そうしたプレッシャーにめげず、粘り強く同僚たちからの信頼獲得に努めてください。

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