体育は「遊び」ではないと認識させるため
テストや出席簿を導入

網代健人さん(ウガンダ・体育・2018年度1次隊)の事例

中等教育学校に配属され、体育授業の質向上支援に取り組んだ網代さん。「体育授業は遊びの時間」と認識されていたなか、テストの導入などにより、「授業」としての形を整えていった。

ウガンダの学校教育
【学校体系】
●就学前教育:2〜5歳児が対象
●初等教育(義務教育):7年間
●前期中等教育:4年間(普通課程)
●後期中等教育:2年間(普通課程)
●高等教育:3〜5年間(学士課程)
【年度開始】
2月(3学期制)

網代さん基礎情報





【PROFILE】
1995年生まれ、東京都出身。日本大学文理学部体育学科で中・高等学校の教員免許状(体育科)を取得した後、2018年7月に青年海外協力隊員としてウガンダに赴任。20年3月に一時帰国し、同年7月に任期を終了。

【協力隊活動】
セベイ・テグレス中高等学校(カプチョルワ県)に配属され、主に以下の活動に従事。
●体育授業の質向上支援
●野球部の運営・指導


 網代さんの配属先は、ウガンダの地方農村部にある中等教育学校。日本の中学校と高等学校にあたる6年制の学校で、各学年に60人ほどのクラスが4つずつあった。網代さんに求められていたのは、体育授業の質向上を支援することだった。
 2011年にウガンダ教育・スポーツ省が中等教育学校での体育授業を必修化するなど、同国では近年、体育教育の充実化が図られている。そうした流れの一環として、同省は32の中等教育学校を「体育・スポーツ推進校」に指定。ボールなどの道具を重点的に配布し、体育授業やスポーツの部活動の活性化を目指している。網代さんが配属されたのは、そうした体育・スポーツ推進校の1つだ。各種球技のボールやハードルなど、体育授業を実践するために必要な最低限の道具が配布され、各クラスで体育授業が週に1コマ、時間割に組み込まれていた。

出席を促す取り組み

体育授業の冒頭の準備運動

 体育・スポーツ推進校とは言え、名ばかりだった。教科担任制がとられていたが、体育担当の男女2人の教員は他教科との兼任。自身が体育授業を受けた経験はなく、体育授業に関する知識は大学の座学で得たものだけだった。さらに、同国では前期中等教育を終える4年次と後期中等教育を終える6年次には進級を左右する国家試験があったが、その出題範囲に体育はなかった。そうした事情から、「体育授業は遊びの時間」との認識が教員にも生徒にもあった。
 網代さんは体育担当の教員とチームティーチングを行い、体育授業の技術を伝えるはずだったが、着任時にはその予定が白紙になっていた。カウンターパート(以下、CP)の男性教員はけがにより、他方の女性教員は出産により、休職をしている最中だったからだ。そのため開店休業状態だった体育授業を網代さんが単独で再開することになったが、その最初の授業で大きくつまずいた。英語版にアレンジしたラジオ体操を冒頭に行ってけがの予防を図った後、縦一列に並んだ生徒たちが「頭の上」「脇」「股下」など変化をつけながら後ろの生徒にボールを渡していくアクティビティを実施。ところが、ラジオ体操を始めてしばらく経ったころから、生徒たちが授業を抜け出し始め、80分間の授業の終了時に校庭に残っていたのはわずか6人だった。以後、いずれのクラスも状況は同様で、出席率が1割程度というような状態が続いてしまった。

網代さんとCP

網代さんは保健の座学も取り入れ、雨の日などに行った

保健の座学で紹介したBMIの求め方の教材

CPがメインとなる授業も

「かならず出席する」「途中で抜け出さない」という、「授業」として当たり前の状態をつくることが先決だと考えた網代さんは、以下のような方法を試みた。
■テストの導入 対象が主要教科に限られていた学期末のテストに、体育を組み込むよう配属先に依頼。生徒数が多いため、実技試験の実施は難しかったが、授業で扱った種目のルールなどを出題する筆記試験の時間を設けてもらえるようになった。
■出席簿の導入 授業の開始時に集まった生徒には、出席した証となるカードを配布。授業の途中でトイレに行く場合はカードを預けさせ、戻ってきたら返すという仕組みとした。そうして、授業の最後にカードを持っている生徒、すなわち「最初から最後までいた生徒」だけ出席簿に記録することにした。
■成績づけの導入 配属先が生徒1人1人に出す成績表に、体育の項目を追加するよう依頼し、実現させた。期末テストと出席数の配点を1対1として、体育の成績づけをするようにした。
 以上のような「外的な動機づけ」の工夫により、生徒の出席率は徐々に上昇。そこで網代さんは、生徒たちが授業の中身に興味を持つような「内的な動機づけ」の工夫に力を入れるようになった。冒頭の準備運動ではやはりラジオ体操を行ったが、生徒たちに不評だったため、ペアで行うストレッチなど、彼らが興味を持つような動作を組み込むなどアレンジしていった。メインのアクティビティについては、同じ種目を行う回数は5、6回にとどめ、配属先にある道具でできる種目をできるだけ多く体験してもらうようにした。
 CPが復帰したのは、網代さんが着任して1年ほど経ったころだ。当初、チームティーチングを行おうと誘うものの、無断で休まれることが多かった。ところが、体育教育について学ぶ日本での2週間の研修に参加したことで、彼はにわかに変化した。復帰の約1カ月後だ。日本の体育授業が衝撃的だったようで、帰国すると「女子児童が積極的に動いていたので驚いた」「しっかり体育授業を行えば、『肥満が多い』というウガンダの問題が解決するはずだ」などと、次々に感想を吐露。その後、授業に欠かさず参加するようになり、「テストがあるのだから、しっかり説明を聞かなければだめだ。これは授業なのだ」などと生徒に声をかけるようになった。さらに復帰して3カ月ほど経ったころには、網代さんがメインで授業を行った後、それを参考にしながら、CPがメインとなって、同じ学年のほかのクラスで同じ内容の授業を行うという流れが確立した。

網代さんの流儀

「準備運動は十分に」
体育授業の冒頭で準備運動をすることは、けがの予防のために不可欠ですが、私は長めの時間を準備運動に充てました。同国では、しっかりとした体育授業を受けることができるのは、一部の子どもに限られています。そうしたなか、私の授業で準備運動のやり方を知った子どもたちが、体育授業を受けることができない兄弟姉妹、あるいは受けたことがない両親にそれを伝えてくれれば、多くの人の健康増進につながると考えたからです。

知られざるストーリー