販路開拓や作物の多角化で
パイナップル農家の収入向上を支援

柏木健太さん(ガーナ・コミュニティ開発・2018年度1次隊)の事例

パイナップルの生産が盛んな郡の役所に配属された柏木さん。収穫したパイナップルの廃棄率が高いという問題に着目し、農家の収入向上に向けてアグリツーリズムの導入に取り組んだ。

柏木さん基礎情報





【PROFILE】
1990年生まれ、千葉県出身。大学卒業後、メーカーに4年間、会計事務所に1年間勤務。2018年6月、青年海外協力隊員としてガーナに赴任。20年3月に一時帰国し、同年6月に任期終了。

【活動概要】
セントラル州エクムフィ郡の役所に配属され、主に以下の活動に従事。
●パイナップル農家の支援(アグリツーリズムの導入など)
●稲作普及の支援


 柏木さんが配属されたのは、ガーナ南部に位置するセントラル州エクムフィ郡の役所。地域開発に関する事業の管理を担う地域計画課が所属先となった。同僚は、カウンターパート(以下、CP)となった課長を含めて2人。人口約6万5000人の同郡は農業を主要産業とするが、特に栽培が盛んなのはパイナップルで、国内有数の産地となっている。柏木さんの主な活動となったのは、余剰が出てしまっていたパイナップルの販路開拓を支援すること、および郡内ではそれまでほとんど行われていなかった稲作の普及を支援することだった。

パイナップルの販路開拓

エクムフィ郡の農家の農園で収穫されたパイナップル。葉が鋭い品種であり、収穫は長袖・長ズボンで行うため、猛暑の日は過酷な作業になる

柏木さんと共に他州の市場に赴き、卸先の開拓をするエクムフィ郡のパイナップル農家たち(右の2人)

 同郡で栽培されているパイナップルは、縦長で甘さが強いシュガーローフという品種。国内の他地域ではあまり栽培されていないものだった。しかし柏木さんが赴任した当時、同郡のパイナップル農家は流通に関する課題を抱えていた。可食期間の短さから輸出には向かない品種であり、主な販路となっていたのは、セントラル州内の市場、および隣接するイースタン州にある外資系の食品会社だった。パイナップルを使ったドライフルーツなどを製造・販売する会社で、農園も持っていたが、その収穫量が不足したときだけエクムフィ郡のパイナップル生産者組合から買い取っていた。そのため注文は安定せず、収穫したパイナップルを廃棄せざるを得ないことが多発していた。
 そうしたなかで柏木さんがCPと共に企画したのは、パイナップルを活用したアグリツーリズムの導入だ。セントラル州には、かつて奴隷貿易の拠点とされ、現在はユネスコの世界遺産に登録されている城塞群があり、観光名所となっている。首都から城塞群まではエクムフィ郡を通過する幹線道路が通じており、車で3時間程の距離。幹線道路沿いには同郡の農家のパイナップル農園があったことから、城塞群を見学する日帰りツアーにパイナップル農園の見学を組み込んでもらおうと計画した。ワインやジャムなど、パイナップルの加工品の土産物を生産し、農園の近くに観光センターを置いてツアーの客に販売することで、パイナップルの廃棄率を下げようと考えたのだった。
 そうして、2019年度の郡の予算で枠を確保する手続きをCPがとるところまでは順調に進んだが、その後、思いがけず計画が一時中断してしまった。CPが18年度末で異動となり、19年度は課長が不在の状態となったうえ、確保できていた予算の額が少なすぎたため、観光センターの設置が難しくなってしまったのだ。それから1年経ち、20年度の予算では必要な金額を確保することができた。柏木さんは、残る半年ほどの任期でツアーの実現に漕ぎ着けようと準備を開始。ところが、観光センターの設置場所が決まったところでコロナ禍が発生し、一時帰国することとなってしまった。観光業自体の回復の見通しが不透明ななか、アグリツーリズムの立ち上げはコロナ禍が収束した後に持ち越されることとなった。

モデル農家による稲作の試験的栽培

同僚たちに稲作技術の研修を行うAさん(手前)

 アグリツーリズム立ち上げの活動を進めることができなかった19年度、柏木さんは稲作普及の支援に活動の重点を移した。活動のパートナーとなったのは、ガーナ食料農業省がエクムフィ郡に置く政策実施機関の職員(以下、Aさん)だ。
 ガーナでは当時、米の自給率が5割程度と低迷。政府はこれを引き上げたいと考えており、稲作普及のテコ入れとして、米はすべて適正な価格で政府が買い取るという政策をとっていた。しかし、エクムフィ郡で稲作を行っている農家は1軒に留まっていた。
 そうしたなかで19年の初め、柏木さんは陸稲であるネリカ(*)の栽培技術を学ぶウガンダでの研修にAさんと参加する機会を得た。それまでAさんは稲作についての知識をほとんど持っていなかったが、この研修をきっかけに、柏木さんとAさんはエクムフィ郡での稲作普及に乗り出すことにしたのだった。
 最初に取り組んだのは、モデル農家を選んで種もみを無償で提供し、稲作に挑戦してもらうことだ。その栽培を手伝うなかでAさん自身が技術を学び、稲作の指導者としての力を付けていくことを狙った。モデル農家に栽培してもらったのは、4種のネリカと4種の水稲。エクムフィ郡には2本の川が流れており、灌漑をして水稲を栽培することができる場所もあったからだ。
 栽培の結果は、雨で圃場が水没したためネリカの3品種は収穫ができなかったが、そのほかはおおむね期待どおりの収穫量だった。翌年も引き続き6農家に稲作をやってもらえることとなったため、収穫の一部は種もみとして翌年の栽培に回し、その他は換金して肥料の購入などに充ててもらうことにした。
 栽培期間中、Aさんには自分の配属先の同僚たちに栽培の現場で稲作の技術を伝える研修を実施してもらった。そうして、20年の4月ごろからAさんとその同僚、および柏木さんが手伝いながらふたたびモデル農家たちに稲作栽培に取り組んでもらうつもりだったが、直前にコロナ禍で柏木さんは帰国。しかしその後、Aさんからは20年も無事に収穫できたとの連絡が入った。

* ネリカ…アジアイネの高収量性と、アフリカイネの耐乾燥性・耐病虫性などを併せ持つ米の品種。

任地ひと口メモ 〈セントラル州エクムフィ郡〉

ガーナでは「チーフ」と呼ばれる世襲の長が村を治めている。写真は、エクムフィ郡の村のチーフ(左から2人目)とその一族




各村には「クイーンマザー」と呼ばれる名誉職の女性リーダーが存在する。写真はその1人で、染色の仕事をしている




発酵させたトウモロコシやキャッサバを練ってつくるガーナ南部の伝統料理「バンク」の調理風景




知られざるストーリー